唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

さ〜っと!たなかくえいさく。

 「こぶたぬきつねこ」的なキャラクターだと思います。


 唐沢俊一ソルボンヌK子『昭和ニッポン怪人伝』(大和書房)、今回は第4章「佐藤栄作田中角栄」を紹介する。一言で言えば、佐藤の方が首相としての業績が大きいのに、角栄の方が圧倒的に人気があるのは何故か、またその評価は正しいのか?という話である。『昭和ニッポン怪人伝』P.70より。

 2005年4月に読売新聞が実施した「戦後六十年」に関する全国世論調査(面接方式)によれば、“戦後日本の発展の功労者”のトップが田中角栄であり、2位は吉田茂、3位は佐藤栄作であった。1994年度の調査でもこの顔ぶれと順位は変わっていないそうだから、この3人は日本人の中で、戦後発展を成し遂げた人物として、すでに歴史的評価が定まっている、と言っていいだろう。特に田中角栄の名前は5人に1人があげたという人気であったらしい。

P.72より。

 “コンピューターつきブルドーザー”と呼ばれたその政策手腕にしても、テレビ『時事放談』の司会を務める政治学者の御厨貴東大教授によれば、
「田中の掲げた政策課題で成功したのは、短期決戦で臨んだ日中国交回復だけ」(渡邉昭夫編『戦後日本の宰相たち』中公文庫所収)
 だということで、専門家の意見も手厳しい。

P.73より。

 ノーベル賞委員会は佐藤栄作ノーベル平和賞を与えたことを、“ノーベル賞委員会最大の失敗”と記録に残しているし、佐藤が自分の政治家としての最大の業績として誇っている沖縄返還であるが、返還された沖縄の人々に佐藤は感謝されておらず、いまだにその銅像すら建っていない(沖縄サミットを実現させた小渕首相の像はあるのに)。

 上の文章は全てノリオウェブの記述を下敷きにしている。ノーベル平和賞についての記述はウィキペディアにある。『戦後日本の宰相たち』をちゃんと読んだのだろうか。…っていうか、唐沢は『パチスロ必勝ガイドNEO』7月号で「最下層の労働者街からの成り上がり物語が遠い過去のものになっている」って書いていたけど、角栄が今もなお支持されているのは「成り上がり物語」が今でも通用するからなのではないか?(詳しくは5月21日の記事を参照)

 田中角栄が今でも国民に人気がある理由について唐沢俊一は考察している。P.73より。

 1つは、日本人は基本的に、その政治生命をまっとうして生き長らえた人物よりも、途中で非命に斃れた人物の方を好む、判官びいきの心情を持っていることだ。
 前記の朝日新聞の政治リーダー投票の角栄より上の3人(引用者註 坂本龍馬徳川家康織田信長)のうち、寿命をまっとうしたのは家康しかいない。田中角栄は命こそ75歳まであったが、最年少で総理大臣になったあと、早々と実質的な表舞台での政治生命を絶たれ、のちには闇将軍などと言われるように、裏側でしか動くことができなくなっていた。

 角栄に対して「判官びいきの心情」が働いただろうか?角栄は首相を退陣した後も長くキングメーカーとして強い影響力を持ち続けたのだから「非命に斃れた」とは言えないだろう。

P.73〜74より。

 2つ目に、日本人はどちらかというと開けっぴろげなリーダーが好きだ。官僚あがりの佐藤は、国民に政策が事前に漏れることを嫌った。先ほど述べた沖縄返還の密約のほか、非核三原則を口にしながら、1965年の訪米時、マクナマラ国防長官と、もし米中戦争ということになれば、日本は洋上で核兵器用施設を造り発動できると言明している。これらはいずれも、佐藤の存命中は一切、国民に知らされることはなかった。
 一方の田中角栄は、ロッキード事件などに関してはともかくも、政治的な政策に関しては常にそれを隠すことなく発表した。

 いや、ロッキード事件があったのに「開けっぴろげ」って。ロッキードこそが角栄の最も大きなマイナス要因なのだから「ともかく」って書いちゃダメだよ。政治的じゃない政策があるのかどうかも疑問だ。

P.74より。

 さらに言えば、好景気の時代には、人間は、下層からの“成り上がり”をジャパニーズドリームとして賛美する。

 あ、言い訳してるw 今は不況だから「成り上がり」はもてはやされない、ということなのか?…いや、でも2005年の調査で「戦後日本の発展の功労者」のトップに選ばれてるからなあ。結局のところ間違っていることに変わりはない。

P.75より。

 対照的に、佐藤栄作は、造り酒屋の坊っちゃんとして何不自由なく育ち、東大から鉄道省に入り、政務次官官房長官というエリートコースを歩いてきた(実際のところ、五島慶太ににらまれて左遷同様の処置を受けたり、いろいろ苦労もしているのだが、しょせん庶民から見れば雲の上での確執に過ぎない)。

 佐藤栄作の「苦労」について取り上げるなら造船疑獄について触れた方がいいと思う。犬養健が指揮権を発動しなかったら逮捕されていたわけだから。あと、佐藤は運輸事務次官になったことはあるが政務次官にはなっていない

P.76より。

 そんな庶民たちが、21世紀に入って、その人物を高く評価しているという理由は何なのだろうか。田中角栄時代に比べ、あまりに政治家の技量が低くなっていることがあげられるだろう。これは金権汚職などといった田中角栄の負の部分が時とともに忘却されているからだ、と指摘する識者もいる。が、それだけではないのではないか、と思えてならない。
 これには、沖縄返還当時から現在まで続く、いや、現在になってよりネット言論界などでその声が高まっている“嫌アメリカ”的感情のせいなのではないか、と思えるのである。
 一言で言えば、佐藤栄作アメリカの力を借りて日本を繁栄させることを画策した政治家、田中角栄アメリカの傘から離れることを模索した政治家であった。

 というわけで、嫌米感情が佐藤と角栄の人気の差の原因なのだと唐沢俊一は説明するのだが、唐沢はこの第4章をもう一度読み直して欲しい。P.70には世論調査の結果判明した「戦後日本の発展の功労者」のトップが1994年度も田中角栄であったと書かれているのだから、「21世紀に入って」から角栄が高く評価されるようになったわけではない。次に、角栄の人気が「アメリカの傘から離れることを模索した政治家」であることに由来するのであれば、P.70にある「戦後日本の発展の功労者」の第2位に吉田茂がいる理由が説明できない。吉田は現在の日米関係の根本を築き上げた政治家なのだから、嫌米感情の持ち主からは到底評価することができないはずである。また、P.70〜71にはこのように書かれている。

 いや、もっと時間枠を広げると、2000年に朝日新聞が行った「この1000年の日本の政治リーダー人気投票」では、坂本龍馬徳川家康織田信長に次いで第4位になったというから、すでに田中角栄は名実ともに、歴史上に残る日本のリーダー、という扱いを受けているのである。

とあるが、「この1000年の日本の政治リーダー人気投票」で田中角栄に次ぐ第5位は吉田茂である(詳しくはあなたへのめいメイ名言を参照)。さらに言えば、小泉純一郎はその政治姿勢から首相在任中は嫌米(反米)の立場をとる人々から批判を受けていたが、今年1月から2月にかけて読売新聞社が行った世論調査の結果「首相に最もふさわしいと思う国会議員」のトップになっている(詳しくはgooニュース畑を参照)。…よって、嫌米感情によって政治家の人気が決められるという唐沢の話は通らないものと思われる。…同じ章の中に検証のヒントを仕込んでおいてくれるとは親切ですね

 で、この後、唐沢俊一佐藤栄作が1965年に訪米したときに密約を結んでいたことを報じた『朝日新聞』2008年12月22日付けの記事の全文を2ページにわたって引用しているのだが、実に理解しがたい行為である。何故なら、引用されている記事の内容は、唐沢がP.73〜74で書いている

非核三原則を口にしながら、1965年の訪米時、マクナマラ国防長官と、もし米中戦争ということになれば、日本は洋上で核兵器用施設を造り発動できると言明している

という文章と丸々カブっているからだ。一応記事には他にも佐藤がジョンソン大統領からアメリカが日本を守る保証を得たことも書いているが、それにしたところでわざわざ全文引用するほどの記事だとはとても思えない。字数稼ぎ?と勘繰りたくなってしまう。

 その次に唐沢は、ロッキード事件アメリカからの自立を目指した田中角栄を陥れるためにアメリカが仕組んだ陰謀であるというおなじみの話を紹介している。…しかし、唐沢は前の方で角栄が「開けっぴろげ」だと書いていたが、本当に「開けっぴろげ」なら陰謀論がささやかれるはずがないのでは?とも思うのだが。P.80〜81より。

 こんなところにまで陰謀説が及ぶのは、日本人の意識の中に脈々と流れていた、敗戦以来のアメリカへのコンプレックスが、9・11テロに端を発するアメリカのイラク攻撃によって一挙に嫌アメリカ感情として噴出し、ブッシュに媚びを売った小泉純一郎、そしてそれ以前のジョンソン、ニクソンに媚びを売った佐藤栄作アメリカの犬として罵倒し、アメリカの支配に果敢に立ち向かった英雄として田中角栄を再評価しよう、という意識が、国民の間にあるからなのではないか。 

 角栄の評価が21世紀になって高くなったのではないこと、嫌米感情が政治家の人気とさほど関係していないことは前に書いた通りである。それに、小室直樹がずっと昔からロッキード事件は陰謀だったとして「田中角栄無罪論」を唱えていることを唐沢は知っているはずだと思うのだが。どうして最近になって角栄の評価が高くなったことにしたいのかわからない

P.82より。

 私は、閣僚時代は別として、総理大臣としての田中角栄という人物は、大した政治的能力のない人間であった、と考える。いや、能力というよりは経験と言った方がよいかもしれない。
 田中が総理になったのはまだ54歳だった(その当時日本最年少)。若い人間はロマンチストである。
 田中の『日本列島改造論』の中には、
 「三国峠をダイナマイトでふっ飛ばせば新潟に雪は降らない。そしてその土を日本海に運んで佐渡と陸繋ぎにしよう」
 という、妄想としか思えないアイデアがいくつも書かれている。アメリカからの独立も、いまだ彼の総理だった時代には、それと同じレベルの実現性しかない妄想なのであった。

 「若い人間はロマンチストである」は凄いなあ。そんなの年齢で決まるものでもないじゃん。20歳近く若い自分から見ても唐沢俊一はかなりのロマンチストだ(褒めてません)。そして、ロマンチストである角栄の方が老獪な佐藤よりも国民に人気があるのだとしているのだが、沖縄返還にこだわった佐藤もまたロマンチストである、と考えることもできよう。
 また、佐藤の不人気について語るのであれば、佐藤が「自分も栄ちゃんと呼ばれたい」と言っていたのだが、国会で横山ノックにいざ本当に「栄ちゃん!」と呼ばれるとムッとしてしまったという話も入れればよかったと思う。『昭和ニッポン怪人伝』を読んでいると、「どうしてこの話がないの?」と思ってばかりなのだが。

 あと2章。検証が終わったら『チョコレート・ファイター』を観に行こう。

※追記 記事の最後の文章が欠落していたので改めて書き直しました。