唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

あしたのジョーのようなあいつ。

 唐沢俊一ソルボンヌK子『昭和ニッポン怪人伝』(大和書房)、今回は第10章「三億円事件よど号ハイジャック」を紹介する。唐沢俊一は犯罪にも詳しいということになっているから触れたのだろうが、やっぱり今回も面白いことになっている。


 まず、ヘンなところを指摘しておく。『昭和ニッポン怪人伝』P.187より。

 人間には快感本能というものがある。己の欲望のままに、気まま勝手に生きたい、行動したい、という本能である。しかし、その一方で、社会的生物としての自己抑制本能もある。すべての欲望を一気に開放したときのアノミー(無規範)状況を、人はやはり本能的に嫌うのである。基本的に、この2つの本能の間で、人は揺れ動く。

 本能というのは一般に「生まれながらに持っている性質や能力」とされるが、自己抑制というのは人間が後天的に学んでいくものだから、本能として備わっているとは言えないだろう。

P.188より。

 アメリカで、キング牧師ロバート・ケネディが相次いで暗殺され、自由主義社会の矛盾が露呈し、一方のソ連チェコスロバキアに軍を侵攻させて(「プラハの春」事件)、社会主義に理想を抱いていた人々に大きな失望を与えた1968年。日本では先に上げた(原文ママ永山則夫事件、空母エンタープライズの寄港、佐藤栄作首相の非核三原則問題で世論がわきかえり、ライフル魔金嬉老が温泉地の旅館に立てこもり、円谷幸吉選手が自殺し、カネミ油症事件が起こり、東大紛争はついに安田講堂占拠にまで発展して卒業式、次年度の入試が中止となり、といった事件が連続して起こっていた年であった。

 として、1968年が「誰もが、日本の先行きに暗雲が垂れこめている、と思い、重く、沈んだ気分でいた」年だったと書いているが、こういう風に書けばどんな年だって「暗雲が垂れこめている」と思っちゃうよ。ためしに去年(2008年)の出来事を同じように書いてみよう。
アメリカでは、バラク・オバマ氏が大統領に当選し、黒人初のアメリカ大統領の誕生は変革を予感させ、一方、中国では四川大地震が発生し、被害の甚大さに人々が大きな衝撃を受けた2008年。日本では元厚生事務次官襲撃事件、毒入りギョーザの輸入、福田康夫首相の突然の退陣で世論がわきかえり、加藤智大が秋葉原で無差別殺人を起こし、三浦和義が自殺し、房総沖ではイージス艦と漁船が衝突、角界の不祥事はついに時津風親方の逮捕にまで発展して、麻薬を使用した外国人力士が逮捕・解雇されるといった事件が連続して起こっていた年であった」
…だから、単に出来事を列挙しても意味がないのである。どんな年にだって暗い話題はあるものだよ。…っていうか、唐沢は以前「私は現在のカタチの日本社会の基礎となるものが出そろったのは、1968年だと認識している」と真逆のことを書いていたじゃないか(詳しくは2008年10月29日の記事を参照)。

 さて、ここからがまたちょっと大変である。まずは以下の文章を読んでいただきたい。『昭和ニッポン怪人伝』P.185〜186より。

 不思議なことに、内閣の改造とか、国際政治の動きなどのニュースよりも、犯罪事件の方がよっぽど、その”時代”の空気をストレートに伝えてくれる。戦後の混乱期を一事をもって表すとしたら、やはり帝銀事件をおいてほかにはないだろうし、高度経済成長時代の裏面をイメージさせるのは、1968(昭和43)年、当時19歳だった永山則夫の起こした連続ピストル射殺事件だろう。
 同様に、20世紀末をわれわれはオウム真理教のテロや“酒鬼薔薇事件”を通じて記憶しているし、“インターネット社会”という言葉を聞けば、即座に自殺サイトや依頼殺人事件のいくつかが頭に浮かぶ。時代のイメージは犯罪によって表現され、人々に認識されることは確かなのである。
 戦前におけるその最大の例が“下腹部”切りで有名になった阿部定事件だろう。ニ・ニ六事件で社会が騒然とし、世情に人々が不安を抱いているときに起こった阿部定の情人殺害、下腹部切断事件は、奇妙なことに、民衆に、この暗いムードを吹き飛ばす救いの神のようにもてはやされた。
 事件があった待合宿では、定の泊まった部屋を、その時の様子を再現して展示し、定と被害者の写真を飾り、見物客を入れて見料をとった。定が逮捕された旅館では、主人が客にその逮捕のときの模様を講釈のように語って喝采をあびた。当時のマスコミには、彼女のことを”世直し大明神”と呼んだものまである。
 確かに定の行動には、第二次世界大戦開戦前夜、国家の統制が国民を縛りつけ、行動ばかりか思想までを統一しようとする中、自分の恋情のおもむくまま、自由に生きた、最も女性らしい、人間らしい生き方をした人物、という側面はあるが、仮にも殺人犯である女性を、どうして世間はここまで喝采をもって迎えたのか。

同じくP.190より。

 奪われた金は東芝の府中工場従業員のボーナスだったが、外資系の保険がかかっていたため、翌日には全員にボーナスが支払われ、みな、温かい正月を過ごすことができた。

さらにP.191より。

 奪われた被害実額の2億9430万7500円をマスコミは“憎しみのない(強盗)”と呼んで、この事件をそっと賛美した。事実、あの犯人は、そのスマートでスピーディな犯行で、暮れなずみかけてきた高度経済成長期のアンニュイの中、一時なりと我々のテンションを上げてくれるカンフル剤の役割を果たしてくれたのである。
 この事件の影響はそういうことばかりではない。連日のこの記事の報道は新聞や雑誌の売り上げ倍増、テレビの報道番組の視聴率アップなど、さまざまな経済効果を生み、その後のワイドショーが、犯罪報道を主とするようになる元をつくった。
 また、それまでは給料というのは手ずから渡されることが長い日本の伝統であったが、現金輸送車は危ない、というイメージが社会に浸透したことから、銀行でのオンライン振り込み化がその後、促進されることになっていく。


 この文章は爆笑問題『ニッポンの犯罪12選』(幻冬舎文庫)の解説(P.225〜226)の使い回しである。解説の原文は活字中毒Rで紹介されているのでそちらを参照して欲しい。ちなみに『ニッポン昭和怪人伝』の巻末には「本書は書き下ろし作品です」と大きく書かれている。…使い回しはあまり褒められたことじゃないけど、正直に書いてくれればまだよかったんだけどなあ。「連日のこの記事の報道」というのは「事件の報道」の間違いなんだろうけど。阿部定を「最も女性らしい、人間らしい生き方をした人物」と呼ぶのもどうかと思う。

…しかし、この章には大きな問題点がもうひとつあって、唐沢俊一妙な価値判断が働いているのである。三億円事件を評価する一方でよど号ハイジャック犯を厳しく批判しているのだ。『昭和ニッポン怪人伝』P.192より。

 三億円事件の2年後、1970(昭和45)年3月31日に日本赤軍のグループが起こした日航機ハイジャック事件、通称“よど号事件”の犯人たちは、まさに自分たちの犯罪行為が国民の喝采を受けるであろう、という勘違いによって引き起こされた事件であると言える。

 よど号をハイジャックした「赤軍派」と「日本赤軍」は通常分けて考えられている。左翼の歴史には詳しくないのだろうか。

P.193〜194より。

 彼らはピース缶爆弾、鉄パイプ爆弾などという“兵器”を開発し、100人の赤軍兵士による首相官邸襲撃を計画した。首相官邸を占拠し、人民政府の成立を全世界に宣言する計画だったというが、この作戦のモデルが、彼らとは思想的には180度異なる二・二六事件の日本軍兵士だったというのが、どうも納得できないところである。
 ところが、大菩薩峠で襲撃訓練をしていた中枢部隊53人が、彼らに目をつけていた警察により、凶器準備集合罪で逮捕されてしまい、この計画はかえって赤軍の力を弱めることになってしまった。
 警察の捜査はさらに強まり、塩見孝也ら幹部が次々に逮捕されていく中で、赤軍派はゲリラ戦術へと方針を転向した。そして、その戦術の一端として計画されたのが、「フェニックス作戦」と名付けられた、よど号乗っ取り事件である。日航機をハイジャックし、当時労働者の理想郷と考えられていた北朝鮮へ向かうというものだ。

 この記述は遊撃インターネットの記述を元にしている。なお、よど号ハイジャック犯が北朝鮮へ向かったのは、国際根拠地論に基づいて世界革命をめざしたためで、別に北朝鮮を理想郷だと考えていたからではない(最初はキューバを目指す予定だったらしい)。

P.195より。

 犯行グループにとり、自分たちの行動が逐一、全世界の人々の感心(原文ママ)を集めているという事実は、革命家としてのナルシシズムを非常に満足させる結果となっただろう。

P.196より。

 ドヤ街を出身地として、ボクシングの世界でトップに登りつめようとするジョーの姿と自分たちを重ね合わせることで、彼らは己の姿のカッコよさに陶酔したことだろう(後略)

 「ハイジャックする俺カッコいい」と赤軍派が考えていたことにしたいようだ。しかし、ナルシシズムだけで革命を目指すとは考えにくい。別の観点から論じることが必要だろう。

P.196〜197より。

 しかし、当時も今も、日本人で、彼らの行動に理解と共感を抱く者は少ない。それは、しょせん、彼らが爆弾テロなどをくりかえし、自らの政治思想のために、口では国民が国民がとくりかえしながら、国民自身の生活を不安に陥れた末に、追いつめられ、ハイジャックという形をとって亡命したことを、国民が見抜いていたためだろう。
 1回も素顔をさらすことなく、鮮烈なイメージのみを残した三億円事件犯人とは、そこが違うのである。

 鈴木邦男よど号ハイジャック犯の田中義三とこんな話をしている。

それと、「よど号」事件の時に、人質の乗客が歌った「北帰行」も。この話をしたら田中義三さんが、「あっ、それを歌ったのは三菱商事の○○さんですよ」と即座に言う。エッ、あれは実話だったのか。北に行く人々を送る歌としてはピッタリだ。「飛行機の中は、のどかなものでしたよ。最後の別れの夜なんて、ジーンときて涙が出ましたよ」と田中さん。リーダーの田宮は、「自分たちの主義主張の為とは言え皆さまにはご迷惑をかけました。私達はこれから、北朝鮮に行き、革命の為に挺身します」と演説する。「頑張れよ!」と乗客から声が飛ぶ。田宮がまず詩吟をうなる。「田中さんは何を歌ったんですか。『人生劇場』?それとも『唐獅子牡丹』?」と訊いたら、「いやー、皆でインターを歌いましたよ」

『昭和ニッポン怪人伝』のソルボンヌK子のマンガも同じように「人質たちと和気あいあいな雰囲気」だったと書いている。赤軍派に悪いイメージが定着するのは山岳ベースで仲間をリンチして殺害していたことが発覚して以降のことで、それまでは赤軍派に対して共感を覚えなくても「そこまで悪い連中ではないだろう」程度に多くの国民は思っていた、と呉智英もかつて書いていた。…しかし、よど号のハイジャック犯を批判したいのなら、彼らが日本人拉致に関与していたことをどうして書かないのかが不思議


 唐沢俊一よど号ハイジャック犯を激しく批判しているのがよくわからないので理由を考えてみる。ひとつには、唐沢が「運動」嫌いであるということだ。唐沢は世の中を変えようとする「運動」をしばしば批判していて、そのせいで保守的な(反左翼的心情を持つ)人々に支持されることがある。しかし、唐沢は何らかの思想に基づいて発言しているわけではなく、単純に変化を嫌っている、目立っている物が気に食わないとかその程度の考えで発言しているだけなのだ(だから、唐沢が「ウヨ」か「サヨ」か考えてもしょうがない)。もうひとつは、政治思想が理解できないから卑近な話題に落とさないと語れないということなのかも。…まあ、もっと単純に、ナルシストは他人のナルシシズムが許せない、ということなのかもしれないけれど。


 今回は使い回し発覚と毎回話題に事欠かない本である。あと3章。『ハルヒ』の新作あずにゃんを心の支えに(京アニ厨?)頑張ろう。


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