唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

だけど涙が出ちゃう。

ガセばっかりなんだもん。


 というわけで、本日発売の『パチスロ必勝ガイドNEO』7月号に掲載されている『唐沢俊一のエンサイスロペディア』第26回は『アタック№1』を取り上げている。

 最近、テレビのCMを見ているといきなり懐かしのアニメ主題歌が流れてきて驚くことがある。ロッテのチューインガム“Fit’s”のCMに『狼少年ケン』が使われているのなどをみると、
「何歳以上の人間がわかるのか」
と心配になったりするほどだ。
 そこへ行くと、浅尾美和の出演するCMに『アタック№1』を使用するというのは、まずイメージがビーチバレーとバレーボールということでさほど違和感がないこと、原作の『アタック№1』が実写などでリメイクされているので、主題歌が若い世代の耳にもなじんでいる(実写版の主題歌『アタック№1 2005』は美少女クラブ31福田沙紀がハードロック調にして歌っているが、メロディラインは同じである)ことなどがあり、聞いていて時代の差をあまり感じない。これは私のような古いアニメファンだけの感想かと思ったら、若い世代もこの曲と歌詞には素直に同調できるようで、かえって意外に感じたものだ。

…うーむ。順を追って突っ込んでいこう。
 まず、『アタック№1』をCMに使っているのは、唐沢が説明している浅尾美和が出演しているHISのCMのほかに、相武紗季が出演していたOCNのCMがあるが、どちらかというとOCNのCMの方がメジャーなのではないか。なんといっても、相武紗季鮎原こずえにそっくりだし、HISの方の『アタック№1』は男性ボーカルが歌っているので違和感があるのだ。それなのにどうして浅尾美和の方だけを取り上げているかというと、「ビーチバレーとバレーボールということでさほど違和感がないこと」にしたかったからではないかと。自分の都合にあわせたわけだね。まあ、相武紗季がCMをやっていたことを知らなかった可能性も有るような無いような。

浅尾美和のCMはこっち
 次、「美少女クラブ31」とはまた懐かしいものを出してきたなあ。逆に福田沙紀のことをよく知らないんじゃないか?と思ってしまう。今なら実写版『ヤッターマン』でアイちゃんを演じた、とか紹介しそうなものだが。それに『アタック№1 2005』のアレンジは結構凄い。唐沢俊一はあれを聞いて本当に「時代の差をあまり感じない」のか?と思う。「若い世代もこの曲と歌詞には素直に同調できるようで」ってどこでリサーチしたの?「ボールがうなると胸がはずむわ」「レシーブトススパイクワンツワンツーアタック」という歌詞に同調(共感じゃなくて?)できるのか?それに「メロディラインは同じ」ってFit’sのCMソングも『狼少年ケン』とメロディラインは同じことに変わりは無いのでは?わからないことが多い文章である。


佐藤健は何タロスに憑依されているんだろう。

同じスポ根ものでも、『巨人の星』などは、今の高校生あたりの世代には時代劇のような、現代の価値観とはかけ離れたものとして受け止められている(中略)に比べ、その『巨人の星』人気で企画され、少女スポ根ものというジャンルを、『サインはV』と共に開拓した、この『アタック№1』がいまだリアルタイムでの実写ドラマ化に耐えるというのは、どういう理由によるものなのだろう。
 ひとつには、現代ではすでに多くの日本人の間で、『巨人の星』のような、最下層の労働者街からの成り上がり物語が遠い過去のものになっているのに比べて、『アタック№1』は基本的には学園ものであり、主人公の鮎原こずえも、名門校の明法学園から、富士見学園へと転校してきた優等生でバレーボールの天才という設定は、現代にも通用するものだということがある。

 出ました。「何かを持ち上げるために別の何かを貶す」パターン。しかし、これじゃあ贔屓の引き倒しである。
 第一に、唐沢は上戸彩主演の実写版『アタック№1』を見たのか?と思う。船越英一郎がヒゲをつけて猪野熊監督を怪演していたのだがなあ。この写真を見ればどんなドラマなのか想像はつくと思う。かつての大映ドラマファンの自分にとっては「キタコレ!」って感じだけどw 『巨人の星』だって実写化すれば今でも十分面白いと思うけどなあ。
 第二に、『アタック№1』も今の視点から見ると荒唐無稽な話である。漫棚通信さんがわかりやすくまとめておられるので参照して欲しいが、スポ根でおなじみの魔球や無茶な特訓(体操部に入って回転レシーブを編み出したり)が登場していて、これが現代でも通用するかというとはなはだ疑問である。
 第三に、「最下層の労働者街からの成り上がり物語が遠い過去のものになっている」というのは疑問である。それだったら、どうして亀田興毅が一時とはいえ人気を得たのだろうか。「成り上がり物語」が人々の関心を惹いたからこそあれだけ盛り上がったのではないか。
 しかし、『巨人の星』が現代に通用しなくなっていると言いたいのなら、どうして『新約「巨人の星」花形』に触れないのか疑問。

(前略)『アタック№1』は、少女スポ根ものの嚆矢の作品であるために、昔ながらのお嬢様が主人公の少女マンガの伝統(?)を大きくひきずっており、そのために、少年向けスポ根マンガとは、かなりの違いが生れる(原文ママ)ことになってしまった。なにしろ、鮎原こずえは、全国大会で優勝したあと、自分の実力に天狗になって、バレー部の練習時間を増やすために他のスポーツ部の練習時間を削らせたり、バレー部専用の体育館を造ることを学園に要求したりする、“嫌な女”になってしまうのだ(もちろん、その高慢さはソ連チームとの試合での惨敗という大きな代償でつぐなわなければならなくなるのだが)。どちらかと言えば単純な少年向けスポ根ものに比べ、少女スポ根もののドラマ性の高さは、特訓シーンだけ描いていれば読者が満足する少年マンガの世界ではなく、起伏あるストーリィを求められる少女マンガの世界だからこそ生れた(原文ママ)特長(原文ママ)と言えるだろう。

…どうして少年向けスポ根マンガを貶めるのかよくわからない。思い上がったせいで痛い目に遭う、というのは少年・少女を問わずスポ根ものの定番なのであって、『巨人の星』の飛雄馬だってしばしば思い上がっては痛い目に遭っているではないか(たとえば、高校の紅白戦で「へそ作戦」で打ち込まれている)。その点で『アタック№1』を特別扱いするのはナンセンスである。「少女マンガの伝統」というなら「恋人の死」とか「難病」といった、かつての少女マンガのお約束の展開(今じゃケータイ小説のお約束かな)が出てくることに注目すべきだったと思う(この点も漫棚通信さんのレビューを参照して欲しい)。

 もちろん、パチスロのこういうスポ根もの台の定番としてこの台も、特訓の成果がボーナスの確定に大きく影響を与えるのだが、試合に負けてもこずえが走り出し、チームメイトがそれを追いかけてボーナス確定、という演出など、少女ものならではの設定ではあるまいか。

 あるまいか、って言われてもどこが「少女ものならではの設定」なのかわからない。「スポ根ものならでは」ならわかるけど。

 往年の名作がパチスロになることで、その作品をもう一度振り返り、人気の秘密を分析することが出来るのは、私のようなオールドファンには別の意味で嬉しいことである。

 唐沢俊一パチスロのネタになった往年の名作を分析すると、ほぼ間違いなくボロが出るのでやめておいたほうがいいと思うのだが。毎回読んでいてつらくて仕方ない。

アタックNo.1 全7巻セット (ホーム社漫画文庫)

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アタックNo.1 DVD-BOX

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アタックNo.1 2005

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狼少年ケン

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漫文巨人の星全11巻セット (講談社漫画文庫)

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