ジャントニオ猪場。
唐沢俊一・ソルボンヌK子『昭和ニッポン怪人伝』(大和書房)、今回は第8章「ジャイアント馬場とアントニオ猪木」を取り上げる。
P.148より。
日本のプロレスの祖と言えばもちろん力道山だが、晩年の力道山は、プロレスに見切りをつけ、ボクシングの方に比重を移そうとしていた。
「リキジム」というボクシングジムを設立し、世界チャンピオンを誕生させるために、ハワイからボクシングのトレーナーとして名のあったエディ・タウンゼントを招聘したりしている。
力道山はタウンゼントを呼んだ翌1963年(昭和38)年の暮れに赤坂で暴漢に刺され、この世を去ったため、この夢はかなうことなく終わったが(タウンゼントはその後も日本に残り、藤猛、海老原博幸、ガッツ石松などを育てた名トレーナーとして今に名を残す)(後略)
唐沢は、力道山がプロレスに見切りをつけた理由として、目の肥えたテレビの視聴者には「あからさまなドラマがあるショー的な強いプロレス」が受け入れられなくなる、と力道山が判断したためとしている。
しかし、本当にそうだったのだろうか?唐沢も書いているが、力道山が亡くなる半年前の1963年5月に行われた力道山vsザ・デストロイヤーは平均視聴率64.0%を記録しており、見切りをつけなければならないほどプロレス人気が落ち込んでいたとは思えない。それにプロレスを「ショー」だと考える風潮があったとすれば、どうして高視聴率を記録したのだろうか(後年のミスター高橋の暴露がショックを与えたことの説明もつかない)。
また、力道山はリキパレスの中にボクシングジムを作っていたことはその通りだが、同様にリキパレスの中にレスリングジムも作っていた。…要するに実業家として多角経営に乗り出しただけではないのだろうか?
さらに付け加えると、藤猛はリキジムに所属して世界チャンピオンになっているから、力道山の夢はかなったと言える(力道山はヘビー級のボクサーを育てたかったようだが)。
この後で、唐沢は力道山のプロレスが国民に熱狂的に支持されたのは、戦後の国民がアメリカに対して抱えた「遺恨」を力道山が外国人レスラーをたたきのめすことによって晴らしたからであるとして、日本が豊かになるにつれて「遺恨」は薄れていき、「日本人vs外国人」という単純な構図は通用しなくなった、としている。この「遺恨」については後で触れることにする。
続いて、唐沢は
力道山時代末期から死後しばらくは、怪レスラーばかりを強調するプロレスが流行っていた。
として(P.153)、グレート・アントニオとザ・マミーの名前を挙げているが、「そういうレスラーもいたよね」という話でしかないのではないか?
P.154より。
のちに馬場は猪木流のシュート(本気のケンカ試合)に批判的だったが、実は馬場はアメリカ時代、シュート名人と言われたレスラー、フレッド・アトキンスに徹底的にしごかれて、シュート技術もマスターしている。ちなみに、アトキンスのコーチを同じく受けたレスラーにタイガー・ジェット・シンがいて、馬場はシンのレスリングを見て、
「俺と同じレスリングをするんだよなあ」と懐かしそうだったという。
このくだりは、『Gスピリッツ』Vol.7の記事、もしくは「日刊H.T」をモトネタにしている。しかし、猪木は実際のところそれほど「シュート」の試合をやっていないと思うけどなあ。「シュート名人」というのはいわゆる「シューター」のことなのかな。あまり聞くことがない言い回しである。
P.156より。
ストロングスタイルという、実際の格闘技に近い真剣勝負をうたい文句にプロレスの革命を唱えたアントニオ猪木、力道山以来のブックを中心に(もちろん、新時代的な工夫は加えていたが)いかにもプロレスらしいプロレスを標榜していたジャイアント馬場の2人は、その後(引用者註 新日本プロレスと全日本プロレスの設立後)、永久にそのお互いのベクトルを交わらせることなく、1999(平成11)年の馬場の死まで、お互いを強く意識し、時に互いのスタイルを罵倒しながら、プロレス2大団体時代(実際には全日・新日に先駆けて日本プロレスから別れた国際プロレスというマイナー団体も存在したが、1981年に解散している)を築いていった。
…プロレスに興味がある人なら「あれ?」と思ったはずである。この第8章の最大の問題点がここで出ている。唐沢俊一はUWFをスルーしているのである。新日からUWFが分裂し、さらにUWFが分裂をくりかえしていったことによって、「プロレス2大団体時代」は馬場の死以前に終焉を迎えているのである。あと、U系以外だとSWSとかFMWとかもあったし。そして、UWFをスルーしていることで、この後の文章にも無理が生じてしまっているのだ。
それから、1979年8月26日の「プロレス夢のオールスター戦」でBI砲は一日限りで再結成しているので、「永久にそのお互いのベクトルを交わらせることなく」というのも疑問。さらに付け加えると、全日本プロレスでも新日ばりに異種格闘技戦が行われたことがある。ジャイアント馬場vsラジャ・ライオン、長州力vsトム・マギー、いずれも迷試合として知られている…というか実際の試合を見てもらえれば凄さがわかる(トム・マギーについては中島らも/ミスター・ヒト『クマと闘ったヒト』も参照されたい)。
三沢さんならヒョードルに勝てると確信。…唐沢俊一もこういう「裏モノ」的なことを紹介すればいいのに。
その後、唐沢俊一は村松友視『私、プロレスの味方です』について触れた後で、このように書いている。P.157〜158より。
村松は、その著書の中で、猪木と、シンやハンセンなどのレスリングを、これまでのプロレスの常識を打ち破る“新時代”のレスリングと呼んでいたが、果たしてそうだったか。
村松がそう感じたのは、力道山死後、ジャイアント馬場が標榜していた、明朗で楽しいプロレスという、力道山時代から比べれば“新しかった”プロレスに比べて、猪木のプロレスが違っている、ということであり、実は猪木と新日本プロレスがその後突き進んでいた道は、“遺恨”が支配する、昭和20年代の、古い(いい言葉でいえば最もプロレスに活気があった時代を再現した)プロレスではなかったか。
そして、新日本プロレスが「遺恨」に支配されていた例として長州力のいわゆる「かませ犬」発言を挙げているのだが…。えーと、それだったら、力道山はプロレスに見切りをつける必要なんか全く無かったんじゃないの?「日本人vs外国人」の構図が通用しなくなったら、別の構図を用意すればいいだけの話であって。それに「遺恨」はプロレスに付き物なのであって、全日にだって当然ある。レスリングパラダイスのザ・ファンクスvsザ・シーク&ブッチャー組の試合(1977年12月15日)の解説より。
全日本プロレス創立5周年記念として1977年末に開催された同シリーズはファンクス12点、ブッチャー組12点と
接戦の中、結末は最終戦へともつれ込んだ。セミファイナルで当時、インタータッグ王者だった韓国組を降した
馬場組は勝ち点13を挙げ、勝負の行方を待つ。
選手入場、ゴングが鳴らされる前からザ・ファンク(原文ママ)が突進、ブッチャー組を攻め立てた!観客は大喝采!
開幕戦での遺恨がこの試合を更に盛り上げる。
それにWWEだって「遺恨」を大いに利用している。新日が「遺恨」をアングルとして使うのは当たり前の話ではないか。…唐沢俊一の青春時代は、猪木がモハメド・アリ戦をはじめとした異種格闘技戦を推し進めていた時期と重なるんだけど、ちゃんとチェックしていなかったのかなあ?
P.159より。
日本におけるプロレスに、前記の『プロレス社会学』の理論を応用すれば、当時猪木に熱狂していた20代の若者たちは、混迷の時代の80年代に入って、自分たちの確固たる存在(アイデンティティ)を社会に対して示せないことにいらだちを感じていた。その彼らの価値である、“強い、負けない自分”(これもボールの言うように、実社会ではそうでない場合が多い)を、リングの上に投影してくれる猪木のプロレスに新興宗教のようにはまっていったのだろう。
そして、猪木のそうしたスタイルが、戦いの要求に応じないことで自分を“日本一強いプロレスラー”とついに名乗らせなかった、ジャイアント馬場への“遺恨”によって形づくられたことを考えると、プロレスリングという存在は、形をいろいろに変化させながらも、力道山の引いた路線から全く外れていなかったのだ(むしろ外して自分なりのプロレスをつくり出していたのは馬場の方だったのだ)と、思わざるを得ない。
文中にある「ボール」とは『プロレス社会学』(JICカルチャー選書)の著者であるマイケル・R・ボールのこと。…しかし、毎度のことながら、何かにハマる人間をバカにしているなあ。『エヴァ』ファンに対してもそうだったけど。心の弱さゆえに何かにハマることはあるかも知れないが、何かにハマることもできずにハマっている人をバカにしている人もどうかと思う。唐沢俊一とか岡田斗司夫とか。それから「80年代」と書いたのは、はっきり言って余計である。「80年代」のプロレスファンが熱狂したのは猪木よりもむしろUWFの方なのだ。UWFに対しては創設の経緯からして猪木は「守旧派」であったのだし。…しかし、唐沢はUWFについてはまるでわかっていないんだなあ(ということは『週刊プロレス』が部数を伸ばした経緯も知らないのでは)。…前田日明って知ってる?
P.159より。
最近のプロレスは、テレビ放映もままならない不振にあえいでいるようだが、それは彼らがプロレスの基本の“遺恨”というギミックを使いこなせていないのか、それとも、現代のオタク化した観客は、技などの細部にこだわるあまり、“遺恨”をドラマとして楽しむという、その楽しみ方を忘れてしまったのか、どちらなのだろうか。
どちらでもないよ。…まあ、しかし、いつものことながら、あるキーワードをひとつ思いついたら、それで最後まで押し切ってしまわなきゃ気が済まないんだなあ。「遺恨」でプロレスについてすべて説明できれば苦労しないって。
じゃあ、順に説明していこう。プロレス人気の低迷の理由としては、第一に団体の乱立が挙げられる。インディーズまで入れると何十じゃきかないんじゃ。第二にはプロレスというジャンル自体が訴求力を失っている、とも言える(おそらくこれが一番大きい)。K-1や総合格闘技の人気が出ているのに加え、高田延彦がヒクソン・グレイシーに2度敗れたのをはじめとして、総合格闘技に出場したプロレスラーが敗戦を重ねたのが痛かった。プロレスラーこそが最強である、というイメージが崩れてしまったのだ。その一方で、K-1や総合格闘技はプロレスのノウハウを上手く生かしていて、それこそ「遺恨」も盛り上げるネタとしてよく使われている。「リベンジ」という言葉は既に一般化しているが、その切っ掛けとなったのはK-1である(1994年9月の大会の名称が「K-1REVENGE」)。…つまり、ジャンル自体に魅力が無ければ「遺恨」で盛り上げることもできないのだ。麻生太郎と鳩山由紀夫の対決を「祖父の代から続く抗争!」とか盛り上げることが出来るんだろうか、とか思ったり。政治とプロレスを同一視しちゃいけないか(ワイドショーやニュースショーによって「プロレス的」なものの見方が広められてるようにも思う)。
それから、今のプロレスファンが「遺恨」を楽しめないというのは大嘘である。「ハッスルマニア2008」のグレート・ムタvsエスペランサー・ザ・グレートで、ムタがエスペランサーにドラゴンスクリューから4の字固めを仕掛けると観客は大いに盛り上がったのだが、これはかつての新日とUインターの対抗戦における武藤敬司vs高田延彦を踏まえた展開なのだ。自分もテレビで観戦しながら「みんなマニアックだなあ」と感心したものだ(他人のことは言えない)。同じく2008年末に行われた「Dynamite!!」の桜庭和志vs田村潔司は2人の間の「遺恨」を理解してないとただの凡戦にしか見えないのだが、テレビで観る限りでは会場から野次る声は聞こえてこなかった。「遺恨」を楽しむ術をファンはよく知っているのだ。よく調べもしないで「現代のオタク化した観客」をバカにするのはやめておいた方がいい。唐沢よりずっと勉強してるよ。
…UWFを知らないのはともかく(プロレスファンとしては大問題だが)猪木の異種格闘技戦を知らないのはなあ。あれはプロレスファン以外でも見ているだろう。…残り7章かあ。
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