唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

サソリガドラスを倒せ!

 唐沢俊一ソルボンヌK子『昭和ニッポン怪人伝』(大和書房)、今回は第9章「ウルトラマン仮面ライダー」を紹介する。


 まず、唐沢は、ウルトラマン仮面ライダーの基本設定について説明している。…視聴率の説明は明らかにウィキペディアを下敷きにしているんだけどね。ただ、この時点で間違いがあるので眩暈がしてくる。『昭和ニッポン怪人伝』P.168より。

 責任を感じたウルトラマンは、ハヤタ隊員に自分の命を与えることにする。それは、彼が地球人ハヤタと合体することを意味する。そして、フラッシュビームという装置を彼に与え、それを点灯させることで、3分間だけという短い時間ではあるが、身長40メートルの巨人、ウルトラマンに変身する能力を身につけさせるのだ。

 ハヤタがウルトラマンに変身するときに使うアイテムは「ベーターカプセル」である。「フラッシュビーム」は「ベーターカプセル」から出る光のことである。基本中の基本事項を間違えてしまった。…ウィキペディアを見ているのならまず間違えないと思うんだけどなあ(なお、市川大河さんからご指摘を受けたが、本放送当時は変身アイテムの名称として「フラッシュビーム」が使用されたこともあったとのことである)。

P.168〜169より。

(前略)最終回でウルトラマンを迎えにきた宇宙警備隊長ゾフィー(中略)が、
「私は命を2つ持ってきた」
と言い、ウルトラマンがM78星雲に帰ってもハヤタが死なずにすむ、と簡単に言ってその通りになっていることからみて、彼ら種族にとり、命をとったのとられたのということに大した重要さはないようだ。
 つまりウルトラマンは、最初から何の問題もなく、正義のヒーローたるために存在しているヒーローなのである。

 『ウルトラマン』の最終回で、ゼットンに倒されたウルトラマンゾフィーが迎えに来るのだが、ウルトラマンは自分が光の国に帰るとハヤタが死んでしまうので、自分の命をハヤタにあげたいと言うのである。それでゾフィーは「そんなに地球人を好きになったのか」と言って、2つ持ってきた命をハヤタとウルトラマンに1つずつ与えるのである。ウルトラマンたちにとっても命は大事なものであることには違いはないのだし、命が重要でないから、不死身だから「正義のヒーロー」なのだという説明はよくわからない(ただ、ここでのウルトラマンゾフィーの会話に気になる点がいくつかあることは確か)。

 で、ウルトラマンは最初から正義のヒーローであったのに対し、仮面ライダーは悪の組織に改造されたことで心ならずも戦うこととなった悲劇のヒーロー(「屈折ヒーロー」とも書いている)であると説明している。

P.171より。

 このライダーの、悪の組織に改造された者が脳を改造される前に脱出して、その組織に与えられた能力で戦う、という設定は、原作者である石森(石ノ森)章太郎が好んで使う設定で、先行作品『サイボーグ009』ですでに同様のヒーローたちを石森はクリエイトしている。
 『仮面ライダー』は、『サイボーグ009』の、より大衆向けの作品とみなしていいだろう。と、すれば、先に述べた、ウルトラマン仮面ライダーの制作年代の差は、逆転することになる。
 『サイボーグ009』が初めて『少年キング』誌に連載を開始したのは、『ウルトラマン』放映の2年前になる、1964(昭和39)年だからである。

 この文章に続けて唐沢はベトナム戦争の経緯と『サイボーグ009』の「ベトナム編」について2ページにわたって説明しているのだが、正直なところ、『サイボーグ009』についてわざわざ触れる意味があるとは思えない。普通なら、『仮面ライダー』も『サイボーグ009』と同じくベトナム戦争の影響を受けているのだ、という風に続かなくてはならないはずなのだが、そのようなことはまったく書かれていない。それに「制作年代の差は、逆転する」という一文についても、年代が逆転したらどういうことになるのか、ということが説明されていないので、はっきり言って無意味である。…そもそも年代が逆転することとなった理屈がトンデモなのだが。細かい部分にもおかしなところがある。P.172より。

“自らの意志と関係なく戦士とならざるを得なかった”サイボーグ戦士の姿は、そのまま、一介の農民や町民でありながら、戦士となり、ゲリラとなってアメリカ軍と戦わなければならなかったベトコンの若き兵士たちの姿と重なり合う。

「町民」ってこの場合に使うかなあ。「一般市民」でいいと思うけど。まあ、それにしたって「一般市民」と「ベトコン」を同一視した書き方をしているのは迂闊なんだけど。

P.173〜174より。

 一方で、1966(昭和41)年の放映に向けて『ウルトラマン』の製作準備を進めていた円谷プロは、ベトナム並みにアメリカサイドの介入を受けていた。本作の製作局となるTBSは、この番組を、最初からアメリカへの輸出を目的に企画していたからである。
 巨大ヒーローの登場も、そのヒーローの顔が鉄仮面のように無表情なのも、すべてアメリカの視聴者の好みを前提に注文がついた。いや、『ウルトラマン』全話を通じてのテイストが、他のウルトラシリーズと比べても、妙に明るく、未来と科学に対し楽観的なのは、日本人よりもアメリカ人視聴者の嗜好を重視したため、であった。地球人、また科学特捜隊のメンバーたちも、どこの誰ともわからない銀色の宇宙人が、なぜ地球人の味方をして、自らの命を危険にさらしてまで地球のために戦うことに、何の疑念も抱かない。

 さあ、大変なことになっております。まず、「ベトナム並みにアメリカサイドの介入を受けていた」。『ウルトラマン』を海外に売ろうとしていたのは確かなようなので、番組を制作するうえで「海外」の視点を意識したことは有り得るが、それにしても「ベトナム並み」はないアメリカ側が円谷プロを押しのけて自分達で『ウルトラマン』を作ろうとするくらい激烈な干渉でなければ「ベトナム並み」とは言えない。明らかにオーバーな表現である。それから、「妙に明るく、未来と科学に対し楽観的」であろうとしたのなら、『故郷は地球』のような作品は作れないだろう。アメリカ人がみんな楽観的であるかのような書き方もちょっとなあ(『ダークナイト』が大ヒットする国だもの)。そして、「ウルトラマンが地球人の味方であることに疑念を持っていない」云々だが・・・、唐沢俊一は「にせウルトラマン」のことを忘れているのか?疑念があるからこそザラブ星人ウルトラマンに化けたんじゃないか。それに『恐怖の宇宙線』でガヴァドンを倒そうとしたウルトラマンに向かって子供達が「帰れ」と叫ぶシーンがある。ウルトラマンと地球人との関係のあやうさを、作り手はちゃんとわかっていたし、見る側もそのことを感じていたはずなのだ。…唐沢みたいな人もいるから不安になるのだけれど。

P.174より。

ここに、アメリカ軍が“ベトナムの人民の共産主義化を防ぐため”にベトナムに軍事介入したことの正当化を見るのは、当時(1966年)の人間であれば当然のことだった。
 その中の1人が、のちのノーベル文学賞作家となる大江健三郎であった。ウルトラマンの成功により起こった怪獣ブームの、その第2期『ウルトラマンエース』(原文ママ)の放映時期と重なる1973年に大江氏が雑誌『世界』(岩波書店)で発表した『破壊者ウルトラマン』という文章(中略)は、左翼系インテリゲンチャが、子供向け娯楽作品に大人の論理で思想性をこじつける、およそ典型的な文章だった。

 『ウルトラマン』という番組から「アメリカのベトナムへの介入を正当化する動き」を見るというのはいくらなんでも妄想がひどすぎる。「当時の人間であれば当然」って…本当か?っていうか、唐沢俊一には歴史的な感覚がないんだなあとつくづく思う。今現在においては、マンガ・アニメ・特撮に政治的・文化的な意味を見出す論考はさほど珍しいものではなくなっている。しかし、1970年代において、特撮番組はあくまで「子供向け」であって、政治性を見出す対象にはなっていなかったのではないか?と思う。大江健三郎以外に特撮番組をまともに論じた「左翼系インテリゲンチャ」が当時どれくらいいたのか知らないが、少なくとも「およそ典型的」と言えるほど多くはないことは明らかだ。今の目線で当時の事情を考えるからおかしくなるのだ。それに『ウルトラマン』とベトナム戦争の関係を見出すのが「当然のこと」ならば、大江の文章もまた「当然のこと」を書いたまでのことで、「子供向け娯楽作品に大人の論理で思想性をこじつける」とは言えないのであって、それについて唐沢が大江を批判するのは根本的にヘンである。さらに付け加えるなら、単純に考えてみてもおかしいのは「当時(1966年)の人間であれば当然のこと」とあるのに、大江健三郎が『破壊者ウルトラマン』を書いたのは1973年なので、7年もの開きがある。こういうことをおかしいと思わないのが信じられない(それに大江健三郎はおそらく第1期『ウルトラ』シリーズを見ていない)。
 
 それではここで『破壊者ウルトラマン』について少し触れておく。単純に言えば、「怪獣映画」の世界が子供たちの想像力を支配しているとしてその影響を憂慮する内容なのだが、「ウルトラマンと怪獣が街を破壊してまわった後で街を再建するシーンがないのはおかしい」とかその程度の批判なので腰がヘナヘナになってしまう(もっとも特撮をよく知らない人は今でも大江と同じ事を言っているのだが)。ただ、面白いのは、大江が特撮番組をわりと真剣に見ていることが文章の端々から感じられることだ(おそらく息子の大江光と一緒に見ていたのだろう)。大江健三郎『状況へ』(岩波書店)P.68より。

 怪獣映画は一九七〇年代のわれわれ自身にとっていかなるメッセージをあらわしているだろう?深くわれわれの内部にひそんだ無意識の暗号を、あるいはわれわれの個人を超えたこの社会全体の圧力の情報を?アリブンタは、ドラゴリーは、カメレキングは、ガランは、泡怪人カニバブラーは、鳥人ギルガラスは、そしてすでに古典となっているゴジララドンアンギラスは……。

大江さん、それ怪獣じゃなくて超獣!」と突っ込みたくなるが、怪獣図鑑を参考にしていたとしても、この名前の連呼には情熱を感じさせられる。単に批判しようとするだけではなかなかこのようには書けない。そしてP.78より。

 もともと僕がはじめに怪獣映画へと関心をひかれたのは、単純な視覚的動機によっていた。ほとんどつねにそれらの番組では、怪獣とウルトラマンたちとの格闘によって、都市が破壊される。実際東京はいくたび破壊しつくされたことだろう。

この書き方からすると、大江は「怪獣映画」に魅力を感じていたのではないか?とも思える。「街が再建されないのはおかしい」と言うのは怪獣が街を破壊することに魅力を感じてしまった、その裏返しなのではないか?とも思う。もうひとつ感じるのは当時と今におけるサブカルチャーに対する姿勢の違いである。大江が「怪獣映画」について論じているだけなのに、わざわざベトナム戦争や「日本列島改造論」を持ち出して政治性を関係させてきているのは現在の視点から見るといささか奇異に感じられる。そういえば、1981年における『ぴあ』での「ガンダム論争」に参加していた人たちのほとんどが、政治的な話は持ち出さなかったものの、「アニメ・SFはどのようにあるべきか?」という視点から語っていて、結局のところ別の意味で「政治的」になっていた。今はアニメや特撮やマンガについて語るとしても、国際政治や業界の発展も持ち出す必要はまるでなくなっているが、果たしてそれがどのような意味を持っているのか、そのようなことを考える上で『破壊者ウルトラマン』は貴重な資料であると言っていいかもしれない(なお、詳しい解説はこのサイトを参照)。
 
 とはいえ、『破壊者ウルトラマン』は内容に多くの問題点があって、唐沢俊一に批判されても仕方がないことに変わりはないのだが。『昭和ニッポン怪人伝』P.175より。

大江氏は
「もしリアリズムによる怪獣映画があり得るとすれば、それはまず科学の悪、科学のもたらした人間的悲惨をも担い込んでいるウルトラマンこそを描き出さずにはおかなかっただろう」
 と指摘する。だが、もともとウルトラマンの生みの親、円谷英二が最初の製作した怪獣映画『ゴジラ』は、原水爆という人間の生み出した恐怖を、ゴジラという奇想天外な怪獣に託して描いたものであった。すでにして怪獣映画の元祖がそういう側面を持っていること、ウルトラマンの、実質撮影第1回作品である『侵略者を撃て』の中に、すでにバルタン星人の故郷が滅んだのは、狂った科学者の水爆実験によって、という設定がちゃんと描かれていることを大江氏は全く知らずに(要するに怪獣もの、ウルトラシリーズなどをきちんと見もせずに)ウルトラマンを破壊者として糾弾しているのである。

『ウルトラ』シリーズは科学の暗い面も取り上げているのだから「怪獣映画は科学の明るい面ばかりを取り上げている」とする大江の論考は間違っている、という唐沢俊一の批判はおおむね正しいといえる。とは言っても、問題がないわけではない。なぜなら、唐沢も『昭和ニッポン怪人伝』の中で手塚治虫が科学の明るい面ばかりを取り上げているかのように書いていたからだ(詳しくは5月13日の記事を参照)。それから、「きちんと見もせずに」ってあなたにそんなことを言う資格があるのか。うちのブログで「ちゃんと見ろ」「ちゃんと読め」って何度書いたかなあ。ともあれ、他人への批判がことごとく自分へと帰ってくるのはいっそ見事ですらある。ライターをやめてもブーメラン使いになれるから安心だ。

P.175〜176より。

 ウルトラシリーズの初期路線を設定した1人が、沖縄出身の脚本家、金城哲夫であった。彼はウルトラシリーズの抱える、アメリカ軍とのイメージ関係に心を悩ませていた。彼は1969年に円谷プロを退社し、故郷の沖縄に帰って沖縄海洋博の企画などに関わっていたが、沖縄問題に対し常に発言を繰り返してきてシンパシーを持っていたであろう大江の、自作に対するこの批判には大きなショックを受けたと言われている。
(中略)金城は、大江の『破壊者ウルトラマン』発表から2年後、泥酔した状態で階段を転落、脳挫傷で37歳という若さで彼岸の人となる。知識人たちが、金城のメッセージを理解しなかった(そもそも批判の前にその対象を最初からバカにして、よく観もしなかった)ことが、金城に筆を折らせた原因なのだろう。

…もうなんて言ったらいいかなあ。金城と大江に対してあまりにも無礼なのでどうしようかと。
 まず、金城は筆を折っていない。『ウルトラ』シリーズに関わったのは『帰ってきたウルトラマン』第12話『毒ガス怪獣出現』が最後だが(なお、この回は当時沖縄で実際にあった事件を基に書かれていて、沖縄の問題をあまり表に出すことがなかった金城としては異色の作品である)、沖縄に帰って以降も郷土劇やラジオドラマの脚本を手がけている。それから「知識人が金城のメッセージを理解しなかった」って、いや、だから、当時は今みたいにインテリは特撮番組を見たりしないし、考えたり発言したりしなかったんだってば。今と昔をゴッチャにしてはいけないし、大江に罪を着せるのはよくない。それに、知識人に褒められたからってどうなの?という話でもある。三島由紀夫は『博奕打ち 総長賭博』を絶賛したが、笠原和夫は三島の絶賛が必ずしもいい影響ばかりを与えたわけではないと生前語っていた。仮に大江が『ウルトラマン』を褒めたところで(ある意味褒めているかもしれないが)金城のためになったかどうかはわからない。『ウルトラマン』が「インテリゲンチャ」のおもちゃになっていたかもしれないし、それは『エヴァ』ブームに乗ったインテリを批判している唐沢にとっても面白くない事態だろうね。そして、金城が思うように活動できなかった理由は実にさまざまであって簡単にまとめることなどできない。第一に第1期『ウルトラ』シリーズ以降に手がけた『怪奇大作戦』『マイティジャック』で評価を得られなかったこと(当初『怪奇大作戦』では第1話を任される予定だったが、結局第1話から外されている)。第二に沖縄に帰って以降トラブルがあったこと。金城は地元のラジオ番組でパーソナリティーをしていたが、自衛隊を擁護する発言をしたことで抗議が殺到し、番組を降りている(『ウルトラ』シリーズの脚本家が自衛隊を擁護したことはなかなか考えさせられる)。また、金城は沖縄の方言(ウチナーグチ)を話せなかったために郷土劇の脚本・演出をするうえで苦しんでいたという。さらに、海洋博の企画に携わったものの地元の住民の理解が得られずに悩んでいたと金城の友人だった作家の大城立裕が話している(その結果、酒量が増えてしまったのである)。…金城哲夫の苦悩に思いを巡らしたことが少しでもあればこんな適当なことは書けないはずなのだが。一体どうしてくれよう。

P.176〜177より。

 しかし、子供たちはウルトラマンの背景にそのようなひねくれた思想を見出しはしなかった。逆に言うと、現実の、我々の生活をおびやかす科学(目には見えないが、そういうものがあることは子供たちだって十分に知っている)のアンチテーゼとして、科学特捜隊やM78星雲の科学の中に、かつて科学が理想としていた姿を見出し、科学への希望を失わないための目標とした。

大人と違い、子供は作品の中に常に理想を見るものなのだ。

パチスロ必勝ガイドNEO』の時と同じ事を書いている(詳しくは4月4日の記事を参照)。また「特撮は子供のため」論かあ。いつも若い人をバカにしている唐沢俊一に言われても白々しいとしか。

P.177より。

 また、仮面ライダーも『サイボーグ009』で呈示された、大国の横暴というような正義と悪の概念を引きずることなく、単純化された戦いの中で常に正義と平和を標榜し続けた。

…じゃあ、途中2ページにわたって『サイボーグ009』について書いていたのは一体なんだったんだ。結局、『ライダー』と『009』は基本設定が似ているだけってことなのか?

P.177より。

仮面ライダー』での敵組織・ショッカーは、ブラックゴーストと異なり、戦争という大きな手段には手を出さない。常に闇に姿を隠して細菌をばらまいたり、子供をさらってショッカー組織員にしようとしたりという、ある意味姑息な手段ばかりを取る。
 これは、70年代になり、すでに戦争という大きな恐怖を子供たちがイメージできなくなり、その代わりに公害のような、姿をはっきりと見ることができず、生活に密着してくる恐怖が、最も恐ろしい脅威になったということなのだろう。
 ウルトラマン仮面ライダーも、そういった“見えない恐怖”に怪獣・怪人という形を与えて、それと戦う姿を示していた。
 日本の誇る2大ヒーローはどちらも、まさに“時代の子”として誕生したのである。

これは『週刊昭和』と同じ(詳しくは4月15日の記事を参照)。…しかしだ。『仮面ライダー』本放送中もベトナム戦争は続いていたのだから、子供たちが戦争をイメージできないなんてことはないんじゃないか?いきなり説明抜きに「ブラックゴースト」とか言われてもなあ(もちろんわかりはするが不親切である)。それから、ショッカーが「姑息な手段」ばかりを取るのは、ぶっちゃけた話、制作費の問題なのではないか。平山亨プロデューサーにお会いする機会があればお聞きしたいものだが。ついでに唐沢の現状についても話してみようか。

なお、唐沢が「週刊昭和」に書いたコラムも読んで欲しい(詳しくは3月17日の記事を参照)。


…今回の文章は論理のつながりが支離滅裂で読んでいて頭がクラクラしてしまった。…もうね、なんというかね、自分の好きなテーマを唐沢が扱っている場合には避けた方がいいかも知れない。ネタとして消化することもできないから、精神衛生上非常によくない。でも、生きていくうえで非常にお世話になったウルトラマン仮面ライダーに恩返しがしたかったから出来るだけのことはやってみた。…残り8章、もうこれ以上ヒドいブツに出会いませんように。悪魔と契約したい気分

※ 一部追記しました。

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昭和の劇―映画脚本家・笠原和夫

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ウルトラマンを創った男―金城哲夫の生涯 (朝日文庫)

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金城哲夫 ウルトラマン島唄

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