ゲゲゲのどろろー。
唐沢俊一・ソルボンヌK子『昭和ニッポン怪人伝』(大和書房)が発売された。内容は次の通りである。
60〜70年代にかけて“日本の黄金時代”を作り上げた天才とそのライバルたち。文化、政治、事件から昭和という時代を紐解く!
つまり、ある分野においてライバル関係にあった人物を対比して描くことで高度経済成長期を描き出そうというのである。唐沢俊一は作品や人物を評価するときに「何かをほめるために別の何かをこきおろす」というやりくちをよく用いているので、もしかしたらうまくいくのでは?と思っていたのだが、残念ながらそうはいかなかった。
最も大きな問題点は、2つの物事を対比して描こうとするあまり、こじつけが多くなっていることである。クローズアップしたせいで物の見方が単純化しすぎているのである。もうひとつの問題点は内容がウスいこと。「おもしろ雑学評伝」と銘打っている割りに、ハタとヒザを打ちたくなるような話が出てこないのだ。…蔵書を処分して本当によかったのだろうか。
ともあれ、具体的な指摘をしていくことにする。今回は第1章「手塚治虫と水木しげる」を取り上げてみる。
第1章は、1978年3月に行われた「新宿アニメランド」に観客として参加していた唐沢俊一が、手塚治虫とおかだえみこ氏との対談を見た話から始まっている。この対談で手塚は『どろろ』が水木しげるの作品に対抗して描かれたものだということを明らかにしている、というのである。実はこの話は『脳天気教養図鑑』(幻冬舎文庫)でもマンガで描かれているので唐沢俊一ウォッチャーとしては旧聞に属する話題である。…ところが、ウィキペディアの『どろろ』ではこのように説明されている。
ちなみに唐沢俊一が生前の手塚に執筆動機を尋ねた際に、手塚は執筆当時の白土三平(カムイ伝)、水木しげる(ゲゲゲの鬼太郎)の作品人気を意識して描いたと答えた。 唐沢の談によれば、以前から水木や白土の作品人気を意識していた手塚が、ある授賞式の折、賞を受賞した水木に向かって『僕だってあなたみたいな妖怪ものぐらい書けるんですよ』と息巻いてそのまま退場したという。
…?
いや、唐沢は手塚に直接聞いてないよ。観客として対談を見ていただけであって。これはウィキペディアに書き込んだ人が間違っているのか、それともどこかで唐沢がそんなことを書いているのか。それから、手塚の水木への発言については、足立倫行『妖怪と歩く』(文藝春秋社)には次のように書かれている。同書P.30〜31より。
昭和四十一年(一九六六年)の春、講談社漫画賞の授賞パーティーだったと水木は記憶する。貸本マンガ界で苦労した末にようやく大手商業誌に認められたということで、白土三平、楳図かずおなど大勢のマンガ家仲間が駆けつけ、祝い、激励してくれた。マンガ界の頂点にいた手塚治虫ともその席で実質的に初めて会った(その前に一度マンガ家の集まりで同席したことがあったが会話はなかった)。ところが手塚の表情はなぜか固く、掛けてくれた言葉も「曙(出版)か何かで描いておられましたね」とそれだけ、きわめて冷ややかな態度だった。
『僕だってあなたみたいな妖怪ものぐらい書けるんですよ』とは言われてないようなのだが(もしかすると、後年手塚が大友克洋に対して「あなたのような絵を描くこともできる」と発言したことと混同しているのだろうか)。なお、パーティーでの出来事をもとに水木は手塚をモデルにした人物が登場する『一番病』という短篇を描くのだが、なぜか唐沢俊一は『一番病』について触れていない。…えーっ?手塚と水木の関係を取り上げるのなら『一番病』をスルーしちゃダメだろう。『宇宙虫』を知らなかったゲームのスタッフを馬鹿にしていた人とは思えないよ(詳しくは5月4日の記事を参照)。余談だが『一番病』を執筆した数年後に水木は手塚と宝塚市で行われたパーティーで顔を合わせ、水木は手塚に「私の故郷ですよ!」と何故か怒られたという。『妖怪と歩く』の中で水木は手塚に対して「あの人、おかしいですよ!」と怒っているが、無理も無いと言うべきか。
ついでに文章がおかしなところを指摘しておく。P.15〜16より。
2人とも現役のときは、意識はしていても、ライバルというには、あまりに世界を違えて生きてきた2人であった。
「世界を違えて」ってどういうこと?「たがえて」ってルビが振られているけど、普通は「約束を違える」という風に使うだろう。「異なる世界で生きてきた」とか書けばいいのに。
その後、手塚と水木の経歴に簡単に触れているが、「W3事件」で手塚が「週刊少年マガジン」と関係を断った(その後74年の『三つ目がとおる』で関係は復活する)ことを説明した後で、このようなことが書かれている。P.17より。
その当時マガジンの編集長だった内田勝は、対抗策として手塚的作品の対極にある、オトナの世界の漫画を描いてきた作家たちを、続々少年漫画誌に呼び込んだ。前記のさいとう・たかを、佐藤まさあき、さらには『巨人の星』を描く川崎のぼる、影丸譲也、ビッグ錠など、みな貸本漫画出身の作家である。水木もその中に含まれていた。
要するに「マガジン」が水木しげると同じ貸本漫画出身の作家を起用していた、と言いたいわけだが、どうして白土三平の名前が出てこないのだろうか(『ワタリ』は「マガジン」で連載されていた)。この後で唐沢は『どろろ』について解説しているのだが、『どろろ』は水木だけでなく白土からも影響を受けた作品とされているのだから、触れないのはなおさら不可解である。…もしかすると、手塚と水木に話を絞ろうとしてわざと白土の存在を省いたのかもしれないが、そういうことをすると、どうしても話の流れに無理が出てくるのでやめておいた方がいいと思う。
P.19より。
手塚の本当の偉大さは、この、自分の業界トップとしての立場も省みず、ライバルの得意分野にも平気で手を出すというチャレンジャー精神にあるのではないかとも思うのだが、実のところ、“妖怪なら”と思った時点で、手塚はアウェイの戦いを強いられたことになる。
京極夏彦などの考察によれば、それまで民俗学などで専門用語としてしか使われておらず、一般的な認知のほとんどなかった“妖怪”という言葉をポピュラーな用語として広めたのは水木しげるであり、かつ、人を驚かしたりとり殺したりという怪奇な“行為”、怪奇な“現象”に名をつけただけであった妖怪に、今のようなキャラクター性を与えたのも水木であった。
いわば“妖怪”というテーマでは、手塚は水木の掌の中を飛び回るだけという宿命に陥っていたのである。
・・・するとなんだろうか。妖怪の出てくるマンガはみんな「水木の掌の中を飛び回るだけ」と済ませてしまっていいのだろうか。『犬夜叉』も『うしおととら』も『妖怪始末人トラウマ!!』も『ぬらりひょんの孫』(雪女かわいい)も。もちろん、そんな決め付けはアホのすることである。当然作品ごとに評価しなくてはならないのだ。『どろろ』も「週刊少年サンデー」連載時には人気を得られなかったが、今では高い評価を得ている。さすがに夏目房之介氏はそんな雑な批評をしていなくて、『手塚治虫の冒険』(小学館文庫)で『どろろ』に登場する妖怪が水木作品の妖怪に比べてずっと人間くさいことを指摘している。さらに夏目氏は水木作品の特徴である点描を手塚が取り入れていることも指摘している。『どろろ』を論じるのなら夏目氏の所論は読んでおいて欲しい。
それから「アウェイ」というのは「敵地」を意味しているのだから、「不得手なテーマに取り組む」という意味で使うのは適当ではない。たとえば、唐沢のガセやパクリを面白おかしく語り倒す「唐沢俊一検証LIVE」という集会があったとして(開催予定はありません)、そこに唐沢俊一がゲストとしてやってくるような状況を「アウェイ」というのだ。…いやいや、ダマして連れていこうなんてそんなことはもちろん考えてませんよ。ええ。
さらに言えば、『どろろ』が連載されていた1968年に手塚が「業界トップ」にいたかというと疑問がある。その時期の手塚は劇画の台頭に押されて苦しんでいて、1968年から73年までを「冬の時代」と自ら呼んでいたくらいなのだ(『ブラック・ジャック』で復活するのはみなさんご存知の通り)。
P.20より。
手塚の代表作、『鉄腕アトム』がアニメ化されたのは東京オリンピックの前年、1963(昭和39)年のことだった。この番組は、平均視聴率が30%を超えるという凄まじいヒットを記録した。高度経済成長はそのピークを迎えつつあり、三種の神器とか、3Cなどと言われたカー、カラーテレビ、クーラーなどの電気製品が都市部を中心に爆発的な勢いで普及し始め、国民のあいだに科学技術信仰のようなものが定着していた時代だった。その心理に、科学の素晴らしさ、未来の素晴らしさを訴えかける手塚治虫の漫画は、ピッタリとフィットしたのである。
さあ、どこから突っ込もうか。まず、ケアレスミス(唐沢用語だと「ケアミス」)から指摘すると、1963年は昭和38年である。それから、電化製品のいわゆる「三種の神器」は白黒テレビ・冷蔵庫・洗濯機、「新・三種の神器」または「3C」はカラーテレビ・クーラー・自動車である。
…しかし、唐沢俊一が『アトム』が1951年から連載されていたことを素っ飛ばしているのがまるで理解できない。1959年には実写版も作られているくらいなのに、『アトム』が1963年になっていきなり人気が出たかのような言い草だ。それにアニメでも映画でもドラマでも人はテーマで見るのではなく面白いから見るのであって、『アトム』のアニメ第1作は作品として純粋に面白かったから人気を博した、それだけの話なのではないか?
P.21より。
しかし、1960年代も後半になってくると、科学の進歩が本当に人類を幸せにするものなのかどうか、人々は疑問を抱くようになっていた。熊本・新潟の水俣病、四日市ぜんそく、そしてイタイイタイ病という、いわゆる四大公害病に対する訴訟が次々と起こったのも60年代後半だった。人類の不幸は科学の進歩がすべて解決する、といった、単純な思想はもはや、国民に信用されなくなっていたのだ。
そういう風潮の中、科学の進歩(それはまさに手塚漫画とイコールだと言っていい)へのアンチテーゼとして、人々は水木漫画の古めかしい妖怪、祟り、呪(まじな)いといった世界に魅力を感じるようになっていた。(中略)
いつの間にか、手塚の描いていた未来は、水木の描く過去に追い越されていたのである。
…いや、手塚治虫は「科学の進歩」ばかりを描いてきたわけじゃないと思うのだが。『鉄腕アトム』について手塚治虫公式サイトでも次のように説明されている。
けれど、一般的には元気いっぱいの正義の子で、原子融合システムによる10万馬力(のちに100 万馬力にパワーアップ)のロボットで科学万能主義のように思われていますが、手塚治虫がアトムに演じさせていたのは、科学と人間は本当に共存できるのだろうか? というメッセージでした。
科学の明るい面も暗い面もあわせて描いていたからこそ『アトム』は今もなお支持されているのである。それに手塚以外のマンガに目を向けると、1972年に「週刊少年ジャンプ」で連載が開始した『マジンガーZ』が大ヒットしているけど(アニメは72年末に放映開始)、マジンガーだって「科学」なんだから、人々が「科学」に魅力を感じなくなったということではないだろう。
P.22より。
さらには、高度経済成長期、“モーレツ社員”という呼称を名誉とし、仕事自体を自分のアイデンティティにしていた日本人が、オイルショック等の不況を経験し、自分の生き方を見直そうとしていたときに、“多忙”を人気のバロメーターにしてきた手塚の生き方は、時代遅れに映った。
手塚治虫は自分の多忙さを誇っていたのだろうか。創作に明け暮れて結果的に多忙になっていたのだと思うが(しかも趣味の映画鑑賞も欠かさなかった)。唐沢俊一はバルザックについてどう考えているんだろう。
P.22より。
死の床でも原稿を書くための鉛筆を要求したという手塚には、どうして“仕事に殺された”というイメージがつきまとうが、手塚の死の1989(平成元)年以降、対照的に神格化されつつある水木の若者人気は、この、“世間の要求に応えず、マイペースで行く”という生き方に、21世紀の若者たちが羨望と共感を抱いたことによるだろう。
勝手に決め付けないで欲しいなあ。手塚の生き方を「素晴らしい」と思う人だっているはずだ。「仕事に殺された」のではなく「人生をかけてひとつの仕事に打ち込んだ」と考えれば、そこまで必死になることができた人に憧れ、自分もそうありたいと考える人だってきっといる。手塚治虫が今でも「漫画の神様」と呼ばれているのは、手塚の作品だけでなく手塚の生き方そのものが尊敬されているあらわれなのではないか。
それに唐沢俊一は誤解しているが、水木しげるの人気は水木の生き方に対する人気ではなく、水木しげるのキャラクターに対する人気である(呉智英氏たちがアピールしてたおかげだろう)。だって、妖怪漫画を書いている人がまるで妖怪みたいなんだもの。面白すぎるって。それに普通の人間は水木のようには生きられないことはちょっと考えればすぐにわかる。だいたい、ただ単にマイペースで生きているだけであれだけの作品を描けるわけが無いのだ。かなりの努力をしているに決まっている。…そもそも「1989(平成元)年以降」「21世紀の若者たちが羨望と共感を抱いた」ってどういうことなんだろう。1990年代は一体どうなっていたのか。
P.23より。
しかし、これも京極夏彦に言わせると、ちょっと、いや、かなり違うらしい。要は水木のいう理想の“なまけ者”とは、“働かなくても食える”才能のあるなまけ者、なのだそうである。
「なまけ者になるには、才能と努力が必要だ」
と、水木は言っている、生まれつきの才能がある者が努力をすれば、巨万の富を得られるので、あとは何もしなくても生きていける、のだそうである。何のことはない、努力はやはり必要なのだ。しかし、努力の方向性が、手塚と水木では全く違っていたのではないか、と思わざるを得ない。
「水木しげるのマイペースな生き方に憧れる若者が多い」→「水木のように生きるには才能と努力は必要」→「でも水木と手塚とでは努力の方向性が違う」…何が何やら。考えをまとめてから文章を書いて欲しい。じゃあ、結局水木の生き方というのはどういうものなのか、水木と手塚の努力はどのように違うのか。唐沢の書き方だと手塚の努力が間違っていたかのようでイラッとくるけど。
P.24より。
敗戦後の手塚が、日本の復興・発展と足並みを揃えるように、縦横無尽の活躍を見せていくのは、戦後の日本を担った人々と手塚治虫がほぼ、同時代人であったことが大きい。
手塚治虫と水木しげるは6歳しか離れていないのだから十分「同時代人」だろう。区別する必要はないと思う。
P.24〜25より。
同じように、“あるべき明日の日本”というものを具体的なイメージとして日本人が描くのに最も役立ったのが、手塚治虫の漫画であった。人々は手塚の漫画に描かれた21世紀を理想として働いてきた。
一方の水木は、そのような作品をほとんど描いていない。水木が描いたのは、経済優先の世界で、その非情さに押しつぶされる庶民の姿ばかりである。
『昭和ニッポン怪人伝』という本が、2人の人物を対比することで昭和の時代を描こうとしているのであるからある程度はやむを得ないのかもしれないが、それにしても無理して時代の分析を絡めすぎ。おかげでかえって2人の実像を歪めてしまっているのではないか。時代を超えたものを描いているからこそ手塚も水木も素晴らしいのに。
P.25より。
手塚治虫と水木しげるは、共に日本の戦後のイメージを形づくってきた天才である。双方の作品を対比して、どちらが優れているか、などを論ずるのはナンセンスであろう。
しかし、まぎれもなく、21世紀に入って10年が経過しようとしているこの現在、国民が支持しているのは、水木的な生き方、水木的個人主義であろう(水木しげるが生み出したキャラクター中、最も人気があるのは水木自身が“日本人の姿”であると言っている「ねずみ男」である)。
かつて21世紀を舞台にした手塚の『鉄腕アトム』で日本人たちは自分たちの理想の未来を夢見たはずなのに、どこでどのように、その理想が変わってしまったのか。あるいはその理想の追求があまりに急だったため、未来の姿に変化を生じてしまったのだろうか。
これで第1章は終わり…っておい!前の方で「水木的な生き方」の条件として「生まれつきの才能がある者が努力」をすると書いていたじゃないか。「生まれつきの才能がある者」なんかそうそういないんだから支持したってしょうがないだろう。そもそも「水木的な生き方」を国民が支持しているかどうかわからないし。どこの国民に聞いたんだ。
それに『ゲゲゲの鬼太郎』で人気№1の妖怪はねずみ男らしいが(ただし鬼太郎と目玉のおやじを除く)、オリコンスタイルによるとねずみ男の人気の理由は次のようなものらしい。
「弱虫で、ずるいところが可愛い」
「少し間の抜けたところに愛着がわく」
「いなくなると、さみしいキャラだから」
「裏切りと協力がいつも同居している」
「裏切っても最後は仲間になるから」
要するにコメディ・リリーフとしての人気であって「日本人の姿」はあまり関係がないのではないか。
締めの文章はよくあるノスタルジーにすぎないのでコメントしないでおく。
…今回の唐沢俊一の文章の問題点が、前出した夏目房之介『手塚治虫の冒険』にそのまま出ているので、同書P.17より引用する。
マンガについて知識人や知識人予備軍が、雑誌や投稿欄でさかんに発言をはじめたのは、60年代以降、とくに70年代前後からでした。発言する知識人は大衆文化にかかわる文芸批評家とか映画評論家、あるいは美術評論家といったふうに専門分野を他にもった人たちでした。彼らの多くがマンガをどう批評したかっていうと、たとえばアトムは戦後の科学万能信仰を象徴しているんだとか、『巨人の星』はいつも勝利がテーマになるから高度経済成長時代の反映なんだとか、描かれた人物やテーマをいきなり大衆社会の動向や大衆の反映像に読みかえてしまう。おおざっぱにいうと、マンガ批評って基本的にはそういうことでした。じつは今でもそればかりやっている人が多いんです。僕にいわせれば、それはいちばん重要な、マンガが表現される過程、表現として描かれるしくみをとばしちゃってる。
つまり、唐沢は40年前のスタイルのマンガ批評をやっていたということだ。まあ、作品と社会を結びつけて論じるのはアリなんだけど、唐沢は手塚治虫にしろ水木しげるにしろ作品について全然語ってなくてきわめて安易にやってしまっているからなあ。困った困った。…あ、そうだ。ゲンナリしてしまった人は口直しに漫棚通信さんのエントリーを読んでみて下さい。…一体どっちがプロなんだろう。
…えーと、この調子で『昭和ニッポン怪人伝』残り10章もやりたいと思いまーす。突っ込みどころが多くて今から涙目になってますorz
※追記 足立倫行『妖怪と歩く』の記述に基づいて、一部訂正しました。
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