モルグというより耄碌?
唐沢俊一『キッチュワールド案内』(早川書房)P.170より。
同じ当時の大都市でも、パリにはロンドンほど幽霊ばなしが伝わっていない。パリっ子は幽霊ばなしより、もっと現実的な、殺人や犯罪の話を好んだらしい。パリのシャプタル街に出来た恐怖劇専門の劇場、グラン・ギニョール座では、もちろん怪奇劇も時にはかかったが、主要な演目のほとんどは、生身の人間たちの繰り広げる残酷と恐怖だった。推理小説の鼻祖たるエドガー・アラン・ポーが、その『モルグ街の殺人』の舞台にパリを選んだのは、当時のロンドンであれば、不可思議な犯罪が起きればそれは幽霊の仕業、になってしまい、科学的な推理が開陳させられない、と思ったからではあるまいか。
「あるまいか」と推測する前にもう少し調べてみてはどうか。小説の舞台を選ぶからには、それなりの根拠があるはずなのだ。「ロンドンって雰囲気じゃないからパリにしよう」とか考えるか?
『モルグ街の殺人』の舞台がパリになった理由として考えられるのは、オーギュスト・デュパンのモデルとなった人物がパリにいた、ということである。フランソワ・ヴィドック(Eugène François Vidocq)、「世界初の私立探偵」と呼ばれる人物である。現に『モルグ街の殺人』の中でヴィドックの名前が出てくる。
たとえば、ヴィドックは推量がうまくて、根気強い男だった。しかし、考えに教養がなくて、いつも調査に熱心すぎるためにしくじっていた。彼は物をあまり近くへ持ってくるので視力を減じたのだ。一、二の点はたぶん非常にはっきり見えたかもしれん。が、そのためにどうしてもものごとを全体として見失うんだね。
ヴィドックを引き合いに出すことでデュパンの優秀さを表しているのだろう。また、パリを舞台にしているからこそ、ヴィドックの名前を出せたとも言える。
なお、ヴィドックは他にも数多くの小説の主人公のモデルになっていて、ルコック(エミール・ガボリオ)、ジャン・バルジャン(ユゴー)、ヴォートラン(バルザック)、アルセーヌ・ルパン(ルブラン)などもヴィドックの影響を受けたキャラクターだと言われている。…ということは、名探偵と怪盗のルーツはともにヴィドックにあるわけで、なかなか興味深い。…ちゃんと調べれば、こんな風に面白いことがわかったのに。唐沢俊一の探究心の無さが残念である。
※追記 この件については、以前「トンデモない一行知識の世界OLD」で取り上げられている。
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