唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

ガセの1号・パクリの2号。

 どう見てもショッカーライダーです。本当にありがとうございました。 


「俺、この記事を書いたら今度こそペースを落とすんだ…」

 
 何らかのフラグが立ってしまったが、それはさておき、「週刊昭和」4月26日号で、唐沢俊一が『仮面ライダー』について説明をしている。P.22より。

 仮面ライダーは、おそらく史上初のエコ・ヒーローであった。なにしろ、動力源がベルトにつけた風車を回して得られる“風力エネルギー”なのである。後に野暮な科学考証で、それでは得られるエネルギーがあまりに小さすぎるとして、風力で小型原子炉を起動させるという設定になったようだが、仮面のモデルとなったのが自然の象徴であるバッタ(初期のタイトル案は「仮面ライダーホッパーキング」だった)という点も含め、原作者石森(後に石ノ森)章太郎がこの孤独のヒーローに込めた意味は明らかだろう。
 思えば、そのようなヒーローが誕生するほど、放送が開始された昭和46年(1971)は、自然破壊と公害問題が子どもたちに強い印象を与えていた。同じ年にピープロダクション製作によるヒーロー「スペクトルマン」が誕生している(フジテレビ系、初放送時のタイトルは「宇宙猿人ゴリ」)が、そこで主人公が身を置く組織は“公害Gメン”であり、また、東宝は夏休み恒例のゴジラ映画に公害問題を取り入れ、同年、異色作「ゴジラ対ヘドラ」を公開している。

 上の文章はガセというより説明がヘタ、という感じである。「史上初のエコ・ヒーロー」と断定しきれずに「おそらく」とつけてしまっているうえに、風力エネルギーを動力源にしている、と書いておきながら「野暮な科学考証」について言い訳していて、おまけに『仮面ライダー』の他にも同時期に公害問題をテーマにした特撮作品があったと書いているせいで、「じゃあ『仮面ライダー』だけがエコなわけじゃないじゃん」と読者に首を捻らせてしまう文章になってしまっている。…こんなにワタワタとあわてふためいた文章はなかなか無いと思う
 では、順番に整理していこう。まず、石ノ森章太郎が環境問題を『仮面ライダー』のテーマのひとつとしていたことは確かである。
なにしろ初登場のときにライダーはこのように名乗るのだ。『仮面ライダー』第1巻(中公文庫)P.40〜41より。

……おまえたち「ショッカー」の地球征服という野望をうちくだき
人類の平和をまもるため……
大自然がつかわした正義の戦士
仮面ライダー

さらにP.61より。

「風よさけべ 風ようなれ
おれのからだの中で うずをまけ 嵐になれ
大自然のエネルギーが このおれの力だ!!

さらに石ノ森章太郎も1巻巻末でこのように書いている。P.262より。

 「ショッカー」とは、歪んだ技術文明の象徴である。その技術の付加によって誕生するのが「仮面ライダー」だ。後には自然の守護神(平和の戦士)になるが、言うなれば“技術文明の申し子”あるいは鬼っ子のモンスターである。したがって、こうなる。自然(バッタによる象徴)が直接人類(文明の象徴)に反旗を翻すのではなく、「仮面ライダー」(バッタと人間のハーフ)、即ち自然と人間が協力して“悪”に立ち向かう……。自然と上手に共生することが人間の叡智。「仮面ライダー」こそが“真の文明”のシンボルなのだ。

この石ノ森の文章をちゃんと読んでいなかったせいで、唐沢俊一は「野暮な科学考証」について言い訳する羽目になったのだと思う。自然を傷つけない、自然と共生できる技術ならば認められるわけで、だから、仮面ライダーの体内に小型原子炉が搭載されていたとしても全然アリなのだ。あと、サイクロン号原子力で動いているという設定なんだけど、それはどうするのか。…というか、動力源によって「エコ」かどうかを判断するのがそもそもおかしい。それだったら、『仮面ライダー』以前の生身で戦っているヒーローはみんな「エコ・ヒーロー」になるのではないか?「人力」で戦っているわけだからね。「エコ・ヒーロー」であるか否かは「ヒーローが地球や環境のために戦っているかどうか」によって決められるべきではないだろうか?石ノ森本人の言葉を引用しておけば、『仮面ライダー』と環境問題の関係についてずっと簡単かつ適切に説明できたと思うのだけど。
 次。『仮面ライダーホッパーキング』のタイトル案より前に『マスクマンK』、『仮面天使』、『十字仮面』、『スカルマン』といったタイトルが出ている(toshi`swebを参照)。
 そして、『仮面ライダー』の放送開始は1971年4月3日、『宇宙猿人ゴリ』の放送開始は1971年1月2日なので、スペクトルマンの方が「エコ・ヒーロー」としては先である。…すぐに「史上初」と書きたがる癖がアダとなってしまった。

 石森が本作以前の1960年代に生み出した代表的ヒーローが「サイボーグ009」だが、その敵「黒幽霊団」(ブラックゴースト)は敵対する国同士に武器を売りつけて戦争を巻き起こす死の商人であった。同じ“悪の組織に改造された主人公がその力を逆利用してその陰謀をはばむ”設定でありながら「仮面ライダー」での敵組織ショッカーは、戦争という大きな手段には手を出さない。常に闇に姿を隠して、細菌をばらまいたり(第2話「恐怖蝙蝠男」)、毒ガスを製造したり(第8話「怪異!蜂女」)、子どもをさらって催眠術でショッカー組織員に改造しようとしたり(第27話「ムカデラス怪人教室」)という、ある意味、姑息な手段を取る。
 これは、70年代になり、すでに戦争という大きな恐怖を子どもたちがイメージできなくなり、その代わりに公害のような、姿をはっきりと見ることができず、生活に密着してくる恐怖が、最も恐ろしい脅威になったということなのだろう。仮面ライダーは、まさに“時代の申し子”として誕生したのである。
 昭和45年の大阪万博を頂点として、それまでの経済成長を支えてきた“バラ色の未来”像は、昭和48年のオイルショックと公害問題によって一挙に崩壊した。番組放送当時に国民が抱いていた感情は、怒りと苦痛であった。

 「漫画」と「テレビ特撮」を比較されてもなあ。ショッカーが世界征服を狙っているわりに地道な手段をとっていることはよくネタにされるけど、それって「70年代」だからなんだろうか?「仮面ライダー」シリーズの組織はショッカー以降もわりと地道な手段をとっているし、「宇宙刑事」シリーズでもそれは変わらない。『星雲仮面マシンマン』のテンタクルなんか子供をいじめることを目的としているくらいだ。だから、「70年代」が問題なのではなく、等身大のヒーローが登場する特撮作品によくあるパターンなんじゃないか?と思うのだが。あと「黒い幽霊団」ね。
 それから、第一次オイルショック1973年10月に勃発した第四次中東戦争がきっかけになって起こっているのだが、『仮面ライダー』は1973年2月10日に放送終了している。…だったら関係ないんじゃ。当時の唐沢俊一は「怒りと苦痛」を感じていたとしても、他の人がみんなそうだとは限らないしね。

 石森とともにこの番組を作り上げた東映のプロデューサー・平山亨が語るところによれば、石森は、いったん完成デザインとして平山に渡した、スマートなヒーローのデザイン画を、すでに会社の会議を平山が通していたにもかかわらず破棄させ、新たに、それまでのヒーロー像を打ち破るグロテスクな、ドクロがモチーフのもの(後にバッタに変わる)を描き上げたという。時代の要求が、しゃれたスマートさではなく、怒りの表現であることを、石森は作家の直感で見抜いていたのだろう。今なお形を変えて作られ続けている仮面ライダーも、基本にあるのは“怒り”なのだ。

 ああ、なるほど。この結論に持っていくために「番組放送当時に国民が抱いていた感情は、怒りと苦痛であった」としたわけだ。しかし、よくわからない。「怒りの表現」であるドクロが「自然の象徴」であるバッタに変わるってどういうことなのよ?「怒り」と「エコ」、どっちが大事なんだ?考えをまとめてから書いて欲しい。…しかし、石ノ森章太郎がデザインしたヒーローには一歩間違えればグロテスクなのがわりといるけどなあ。キカイダーなんか中身が見えている上に左右非対称だし(個人的には大好きなデザインだけど)。
 それから『仮面ライダー』について唐沢俊一は過去にこんなことを書いている。『社会派くんがゆく!死闘編』(アスペクト)P.268より。

 二〇〇四年一月から開始された新作の『仮面ライダー剣ブレイド)』というのは、シリーズはじまって以来の“職業ライダー”なのである。つまり、自分でライダーになることを選択して、ライダーを作っている組織に“就職”したライダーの話、なのだ。初任給はいくらなのだとか、バイクのガソリン代は経費で落とすのかとか、出張手当はつくのかとか、いろいろとツッコミたいところはある設定ではあるが、それはまあ、置いておく。
 かつての(昭和の)仮面ライダーたちは、心ならずも悪の組織に改造されたという者たちがほとんどだった。彼らにとっては、自分が悪と闘う正義の味方である、ということ自体が不条理なことであった。これは原作者の石ノ森章太郎が、『サイボーグ009』の時から主人公に与え続けている、正義の味方のひとつの“業”だったはずだ。
 彼らは自分の意志ではなく、単なる運命のいたずらで、何億という人間の中からたまたま悪の組織に目をつけられてさらわれ、改造された。そして運良く脳改造をされる前に逃げ出しただけで、別に、正義を守り、命を危険にさらして悪の組織と闘い続けなければならない義理だの義務だのに縛られているわけではなかった。しかし、彼らはみな、粛然と、自分たちの身の上に降りかかった運命を受け入れ、報われない戦いの日々を選択した。その背中には常に孤独の影があり、表情には運命を受け入れた者の、諦念を噛みしめた険しさが刻まれていた。児童向け番組でそこまで深い描き方はできなかったとはいえ、設定の裏に隠されたその悲しみは、観ている者たちの意識下にはしっかり刻み込まれていた。仮面ライダーが、他の変身ヒーローにない、陰影を持った存在なのは、徹底した不条理な状況下で、その運命を甘んじて受け止めて闘う、悲愴美とすら言えるストイックさを有していたからであったろう。

 ……唐沢は何か別のオタク本に書くべきあとがきを、間違えてこの『社会派くんがゆく!死闘編』に持ってきてしまったんじゃないのか、とお思いの読者もおいでだろうが、違うのである。ひるがえって、私は、仮面ライダーでさえ自分の進む道を自分で決める、この現代社会を、ちと憂いているのである。

 犯罪の、戦争の、また天災の、悲惨な被害の話をわれわれが好んで取り上げ、どちらかというと弱者にキツい言葉を投げかけるのは、それを通じて、人々(もちろんわれわれも含めて)の慢心を振りかえり、反省をうながすためである。大きな流れの中で自分の卑小さを、再確認させるのが目的なのだ。そしてそれは、成長の儀式でもある。己れの弱さ、小ささを受け入れたもののみが、降りかかって不条理と闘う、仮面ライダーの力を身につけられる。パンクしそうにふくれあがった自尊心を扱い兼ねてオロオロしている若い読者に、この本が解毒剤となることを祈る。

 そして、ついでにそろそろ仮面ライダーも、昔ながらのヒーローに、また戻ってほしいものだと思っている。あんな歌舞伎町の安ホストみたいなツラの連中を仮面ライダーとは、私ゃもう呼びたくないのだよ。

 『昭和ライダー』をやたら持ち上げるので驚いていたら、何のことはない、オチで『平成ライダー』をクサすためだったというわけだ。まあ『平成ライダー』を批判する人にありがちなパターンではあるが、それなら「週刊昭和」でもそう書けばいいのに。…っていうか、唐沢俊一が『昭和ライダー』をちゃんと観ているのか疑問なのだが。以下、『昭和ライダー』誕生の経緯を列挙しておく。


1号・2号=ショッカーに改造される。
V3=1号・2号に改造される。
ライダーマン=ヨロイ元帥への復讐のために右腕を改造。
X=父親に改造される。
アマゾン=育ての親・パゴーの秘術によって変身能力を得る。
ストロンガー=自ら志願して改造人間になる。
スカイライダー=志度博士に改造される。
スーパー1=自ら志願して惑星開発用改造人間となる。

ZX=バダンに改造される。
BLACK=ゴルゴムに改造される。

BLACKRX=キングストーンが太陽光線を浴びることで進化した。
 

「心ならずも悪の組織に改造されたという者たちがほとんど」とは言えないんじゃないか?…あーあ、『ライダー』も観てないのか。この人、本当にオタクなのか?

 それに、「職業ライダー」は『剣』が「シリーズ初」ではない。それ以前に『仮面ライダーアギト』に登場するG3がいる。そして、『仮面ライダー剣』に登場するブレイドギャレンが「仮面ライダー」を職業にしているのはその通りであるのだが(『平成ライダー』だと他に、『響鬼』の「鬼」、『カブト』のガタック、『キバ』のイクサも「職業ライダー」か?)、『剣』を最後まで観ればわかるが、『剣』に登場する「仮面ライダー」たちはそれぞれ苛酷な運命と戦っていくのである。仮面ライダー」を職業にしているというだけで否定するのが馬鹿げているのだ。自分で選んだ道だからこそ逃げられない、言い訳できないということもあるのだし。唐沢俊一は『平成ライダー』をちゃんと観てほしい。
 それに「イケメンライダー」をクサすのもおかしい。藤岡弘佐々木剛だって顔がいいからライダーに選ばれていることには変わりはないんだから。
 そして、これを一番に言いたいのだが、自らの盗用について『社会派くんが行く!』でまったく触れなかった(カットしてしまった)唐沢俊一が他人に「慢心を振りかえり、反省をうながす」なんてちゃんちゃらおかしい。一刻も早く「自分の卑小さを、再確認」してほしいところだ。今のところ、怪人への道をまっしぐらに転げ落ちているよ。脳改造だけ先にやっちゃった感じ。


…結局、『ウルトラマン』と同様にイマイチなコラムになってしまっている(『ウルトラマン』については3月17日の記事を参照)。…「変身ポーズ」にも2号が登場したいきさつについても怪人についてもまったく触れられていないのがアレだけど。天本英世の大ファンで潮健児と一緒に仕事していたわりにはショッカー幹部にも触れていない。相変わらず誰を対象にしているのかよくわからないな。どうせなら島本和彦に書かせればよかったのに

 最後に石ノ森先生の言葉を引用して締めとしたい。『仮面ライダー』(中公文庫)第1巻P.262より。

 またもうひとつ。ナニが正義でナニが悪かが判然としない現代シラケ社会で、子ども時代「正義が必ず悪に勝つ」という単純で当然だが大切な構図(信念)を、子ども時代にキチンと意識の中にとどめていただけさえすれば、それはそれで十分意味のあることだ、と思う。

 もしかしたら、『仮面ライダー』を見てたから今こうやって検証をしているのかもなあ。

※追記 gurenekoさんのご指摘に基づき追記しておきました。

※追記2 昭和ライダー誕生の経緯について追記しておきました。唐沢俊一、ヒドいな…。

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