唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

ヘルメスは泥棒の神様。

盗用をした人も守ってくれるのだろうか。

 
 唐沢俊一キッチュワールド案内』(早川書房)P.108にはシューベルトが水銀中毒で死んだという説が書かれているのだが。

 シューベルトの弟のフェルディナントも兄の症状と同じような様相を呈した末に死んでいるが、キームレはこの理由について、彼が兄の家に引っ越したからである、というシャーロック・ホームズばりの推理を披露している。すなわち、兄のフランツ・シューベルトに対して施された水銀療法の際の気化水銀が四方の壁に染み込んでいて、これが弟に、兄と同じ症状を呈させるに至ったのだ、と言うのだが……。

 フェルディナンド・シューベルト(Ferdinand Schubert)は、フランツ・ペーター・シューベルト(Franz Peter Schubert)の3歳年上の兄である。唐沢俊一シューベルトの水銀中毒死についてハンス・D・キームレの文章を元にして書いているのだが(文中には一応「ハンス・D・キームレによれば」と書かれている)、キームレの文章から引用してみよう。

 まだ残る問題は、なぜフェルディナント・シューベルトもまた、同じ病状の下にーー神経熱とチフスーー死を迎えたのか、ということである。ドイッチュによると、シューベルトは、身体の故障を訴え、充血とめまいの症状を呈したので、かかりつけの医師の勧告に従って、1828年の9月1日に兄の所へ引っ越している。この住まいは新築で、それゆえ湿気が漂っていた。建築生物学的観点からすると、壁の湿ったしっくいは呼気の二酸化炭素を吸収して水分を放出する。父親の支出計算によると、ここでは6回の水銀塗布治療が行われて、それによって少なくとも1グラムのHgが居住空間に達し、四方の壁に蓄積されて埃と混じり合ったことになる。この住まいはこうして後の時代にまで汚染されることとなって、それとともに住人の健康まで害する結果を招いたのである。

つまり、シューベルトは死の間際にフェルディナンドの家に引っ越して、そこで水銀療法を受けたのだが、その際に使用された水銀が残存し、フェルディナンドの健康を損なったというのである(シューベルトはフェルディナンドの家で亡くなっている)。それなのに、唐沢俊一の文章だとフェルディナンドがフランツの家に引っ越したことになってしまっている。…完全に誤読してるな。ついでに書いておくと、フェルディナンドはシューベルトの死後だいぶ経ってから亡くなっている(フランツ=1797〜1828、フェルディナンド=1794〜1859)。

 もうひとつキームレの文章を誤読した箇所がある。同じくP.108より。

 キームレによれば、梅毒によるシューベルトの薔薇疹はいくぶん、これで軽減したらしい。だが、彼の精神はしだいにこの水銀に侵され、水銀中毒特有の感情激発などが起こる様子が彼の周囲の人々によって記録されている。彼はニコニコ笑いながら話していると思うと急に激昂し、何か気にいらないことがあると、グラスや皿を物音ひとつ立てずに破壊したという(どうやってやったのかわからないが)。また、そういう際には彼は微笑するように両目を縮めたとも記されているが、これは神経症のチック症状ではないかと言われている。

 このくだりもキームレの文章を下敷きにしているが(上記のリンクから比較してみてほしい)、実はキームレはこれらのシューベルトの奇矯な行動はシューベルトの母方の家系が慢性の水銀中毒に侵されていたためだと主張しているのである。

 シューベルトの小作りでいくらか不格好な体型(ウィルヘルム・フォン・シェジーの「牛脂の塊」による)、皮膚の発疹の起きやすい体質、かれの幼児期からの弱視は、いずれも慢性の水銀中毒の結果を推測させるものだし、また、かれの予期し得ぬ激情の爆発をともなうビザールな天性もそうである。

ということはシューベルトのトレードマークであるメガネも水銀中毒によって必要となったものなんだろうか。いずれにせよ、水銀療法のせいでシューベルトの精神がおかしくなったかのように唐沢俊一が書いているのは、キームレの文章を読み違えているせいであるとしか言いようがない。

キッチュワールド案内(ガイド)

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