唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

僕は本当に呆れて物も言えません。

 現在発売中の『フィギュア王』№133に掲載されている『唐沢俊一のトンデモクロペディア』第46回『B級映画怪人伝/ケニー・ダンカン』にはいくつかおかしなところがあるので指摘しておく。

 まず、唐沢俊一が監修・出演した『BS熱中夜話』の『マニアック映画ナイト』について説明されているのだが、

 番組は『熱中夜話』というタイトルで、そういう映画にハマっているマニアたちが大挙出演したのだが、

とあるが、実際に『マニアック映画ナイト』を観覧した人のブログにはこんなことが書かれている。

私らはマニア代表って事で司会席後方に鈴なりになっているわけですが、正直、
「何を語ればええっちゅうねん!」
これは控え室で私の周りにいた人の総意。どうやら私以外の人にとっても「守備範囲外」の作品群だったようです。
種を明かせば、放映著作権の問題で「パブリック・ドメイン」になっているような旧作(ほとんどがモノクロ、大半が日本未公開、一部サイレント)になってしまったという“大人の事情”。
当然、製作側としては「誰も語らず盛り下がったらどうしよう」という不安を抱きます。このリスクを回避するために「セミプロ」を仕込んでおりました。
これが痛し痒しで。こういう人が率先して発言すると「あ、こんな詳しい人がいるんなら俺らは無理して喋らなくてもいいか」という空気を醸成してしまうんですね。

とのこと(詳しくは3月2日の記事を参照)。また、当ブログにも、いつもの『BS熱中夜話』と比べて観客に元気が無かったというコメントがいくつか寄せられてきており、唐沢の監修に問題があったのではないか?という疑問をおぼえるところである。

 で、本題であるエド・ウッドの作品に出演している俳優ケニー・ダンカン(Kenne Duncan )の話となるのだが、こんなことが書かれている。

 そんな中で、ただ一人、プロの俳優が出演している。その名はケニー・ダンカン。
 この名を聞いてピンとくる人は映画マニアというより、昭和史マニアの方に多いかも知れない。ジョン・ウェインとも共演した、ハリウッドの人気西部劇スター、というフレコミで、1951(昭和26)年の7月に来日した人物だ。
 拳銃と投げ縄の名人だと宣伝され、戦争のため主演映画は日本では公開されていないが、ハリウッドでは有名人で、当時の日本(やっと米軍の占領時代が終わったばかり)では彼が来日するということで、国民全員が興奮したと言って過言でない。なにしろ、彼は戦後初めて、日本にやってきたハリウッド・スターだったのだ。

「Household Industries歴史館」によれば、ケニー・ダンカンが来日したのは1951年6月27日らしいのだが、さて、ここで昭和史のおさらいをしてみようと思う。サンフランシスコ講和条約が発効し、日本国が主権を回復したのは1952年4月28日のことである。つまり、ケニー・ダンカンが来日した1951年6月27日の時点では、日本はまだ連合国軍の占領下にあったことになる。…これは小学校の社会科のテストに出る話なんだけどなあ。

 その後で、トニー谷がケニー・ダンカンのショーの司会をしたことで世間に認められた、と書かれているが、これと同じことを快楽亭ブラック師匠も書いている。ただ、トニー谷はそれ以前に日米野球の司会をしたり「第1回帝劇コミックオペラ」に出演しているようなのだが。

 次に、ケニー・ダンカンと美空ひばりの対談の模様が書かれているのだが、この対談がどこから引用されたものなのか出典が明記されていない。おそらく、当時の雑誌から引用しているのだろうが、どうして横着なことをするのか。「世界の三面記事・オモロイド」さんから盗用したときのように、

もちろん、紹介サイトとはいえ、参考にした際にはその旨の表記が必用ではないか、というご意見もおありと思いますが、参考サイトに複数のものがある場合、雑誌掲載などに際しては読者の煩雑やスペースの問題を考え、それらを省略する場合もあります。

と言いたいのだろうか。だけど、『トンデモクロペディア』が掲載されているページの下の余白に出典を記すことは十分可能だと思うので、やはりこれは単なる横着だろう。読者としては多少煩雑であっても出典を明記することを希望したい

 そして、ケニー・ダンカンが実は「ハリウッドの人気西部劇スター」でも「拳銃と投げ縄の名人」でもなかったことが書かれているのだが、それに続いてこんなことが書かれている。

 それでも彼にはやはり役者の才能があったのだろう、尻尾を出すこともなく日本国民をだましおおせて大金を儲け、笠置シヅ子主演の『女次郎長ワクワク道中』なんて映画に特別出演して“ヨウ言ワンワ”と笠置の『東京ブギウギ』をパロった日本語のセリフまで言っている。

 「よう言わんわ」という歌詞が出てくるのは、『東京ブギウギ』ではなく『買い物ブギ』。タイトルに「東京」ってあるのに「よう言わんわ」という歌詞が出てくるのはおかしいと思わなかったんだろうか。まあ、唐沢俊一はケニー・ダンカンが来日した1951年にはまだ生まれてなかったから、間違いがボコボコ出るのは不思議じゃないとも思えるが、『社会派くんがゆく!』でかつてこのようなことを言っていたことを考えると弁護するのは難しい。

唐沢 今、仕事で昭和二十年代文化の資料をいろいろ見ているんだけど、こういう国民全員が貧しかった時代が、本当にいい時代だったなって実感できるんだよ。みんなが明日に向かって希望の目を開いて頑張っているし、全員が似たような貧乏だから、他人を妬むということもない(笑)。

…どんな資料を見たら、連合国軍の日本占領の時期を間違えたうえに、『東京ブギウギ』と『買い物ブギ』を間違えるんだ?わてほんまによう言わんわ。

※追記 「裏モノ日記」2001年3月17日唐沢俊一は「ケニイ・ダンカン」と美空ひばりが出てくる青江徹『興行師』という本を読んでいるが、これが今回のモトネタなのかもしれない。

東京ブギウギ/買物ブギ

東京ブギウギ/買物ブギ