道玄坂せんといかん。
「東京新聞」3月5日朝刊(つまり今日の朝刊である)掲載のコラム『わが街わが友』で唐沢俊一がこんなことを書いている。
渋谷は坂の多い街で、最も有名なのは道玄坂であろう。あれは江戸の昔、大和田道玄という山賊がそのあたりに出没したところからついた地名だそうで、いささか物騒な由来だが、何となく歴史を感じる。
道玄坂上交差点にある石碑には道玄坂の地名の由来がこのように書かれている(筆者は「うめぼし博士」こと樋口清之教授)。
渋谷氏が北条氏綱に亡ぼされたとき(1525年)その一族の大和田太郎道玄がこの坂の傍に道玄庵を造って住んだ。それでこの坂を道玄坂というといわれている。江戸時代ここを通る青山街道は神奈川県の人と物を江戸へ運ぶ大切な道だった。やがて明治になり品川鉄道(山手線)ができると渋谷付近もひらけだした。近くに住んだ芥川竜之介、柳田国男がここを通って通学したが、 坂下に新詩社ができたり、林芙美子が夜店を出した思い出もある。これからも道玄坂は今までと同じくむしろ若者の街として希望と夢を宿して長く栄えてゆくことであろう。
まず、大和田道玄が出没したのは1525年、つまり室町時代後期にあたり、「江戸の昔」ではない。それに石碑の文章には大和田道玄が山賊をしていたとは書かれていない。山賊が「道玄庵」なんてものを建てるかなあ。
しかし、道玄坂の地名の由来には諸説あって、たとえば、『江戸名所図会』には、和田義盛の残党であった大和田道玄が現在の道玄坂付近で山賊をしていたのが地名の由来として書かれているという。だが、和田義盛が「和田合戦」に敗れたのは1213年なので、「江戸の昔」とはとても言えない。
まあ、唐沢俊一が諸説ある中のひとつに過ぎないものを断定的に書くのは毎度のことなのだが、渋谷区の公式サイトを見て思わずひっくりかえってしまった。
道玄坂(どうげんざか)
江戸時代に作られた地誌類によると、和田義盛の残党、大和田太郎道玄が、大永4年渋谷氏滅亡後にこの坂に出没して、山賊野党の振る舞いをしたと伝えられています。また、『天正日記』によると、道玄庵という寺の庵主が徳川家康に由緒書を出していることから、その寺の名をとってこの名がつけられたとのことです。
おいおいおいおいおい!
どうして和田義盛の残党が大永四(1524)年に道玄坂に出没するんだよ!?300年間何をやってたんだ?時空が歪みすぎだよ。…いったい何をやってるんだ渋谷区。
…いつも通りにガセを書く唐沢俊一、間違いをそのまま載せてしまう「東京新聞」、そしてとんでもない間違いを公式サイトに掲載している渋谷区。…世の中のいろいろなことをどうにかしなきゃいけない、と痛感させられてしまった。
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