唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

かどかわされて。

 唐沢俊一の札幌時代の「伝説」のひとつに、唐沢が参加していた「リーブルなにわ」という書店の伝言板角川歴彦氏が本にして出版しようとした、という話がある。もっとも、この話はきわめてアヤしいのだが(詳しくは「トンデモない一行知識の世界OLD」を参照)。
 唐沢俊一『古本マニア雑学ノート』(ダイヤモンド社)には、その辺の事情がより詳しく書かれているので紹介してみたい。P.121〜123より。

 その当時もうひとり、そのN書店の伝言板に注目した人がいた。もっとも、これは僕らの知る由もないことだった。H店長が古本屋さんになってから聞いた話である。

 つまり、この話は「リーブルなにわ」の店長から聞いた話だったのである。ちなみに、他に伝言板に注目していた人というのは、西崎義展氏のこと。

 今でこそこの伝言板のような、マニアたちがそこに書き込んで情報交換をする場は珍しくないが、当時、これは実にユニークな試みだったようで、書店経営者の間で話題になっていた。そして、東京でそれを聞きつけた、角川書店の若い営業部長が自らH店長のもとを訪れ、
「あの伝言板をそっくりコピーして、そのまま本にしましょう」
と持ちかけたというのである。
「あそこに書かれた言葉は、今のアニメやSFファンの若者たちの言葉そのものです。いま、彼らはわれわれの世代とは違う言葉で話し出している。その貴重な記録になっている。おたくに保存してある今までの伝言板のモゾウ紙を、そっくりコピーして、ゴチャゴチャの書き込みをそのゴチャゴチャのままに本にすればいい。きっと、若者たちには簡単に読めるものであるはずだ……」
 その営業部長は憑かれたようにしゃべり続けたが、H店長は、あわててそれを遮った。
「……ちょ、ちょっと待ってください。さっきからうかがっていると、まるで私があの伝言板の紙を全部とってあるということを前提にお話ししてらっしゃるようですが、あそこの紙は、いっぱいになるとまるめて捨てているのです」
 そう言うと、営業部長は仰天したように天井を仰いで、
「す、捨てているんですか!」
 と叫び、やがて、肩をガックリと落として、残念そうに帰っていったという。
 その若い営業部長こそ誰あろう、現在の角川書店社長、角川歴彦氏だったそうだ。

 「仰天したように天井を仰いで」ってどういうことだ?と思いつついろいろ突っ込んでみる。
 まず、『トンデモ創世記』で書かれていることといろいろ違っている。『トンデモ創世記』では「若い営業マン」だったのが『古本マニア雑学ノート』では「若い営業部長」になっているし、『トンデモ創世記』扶桑社文庫版P.39では、

そのときに角川書店の若い営業マンが例の「伝言板」を見て、あまりの密度の濃さにビックリ仰天したんです

となっているのが『古本マニア雑学ノート』では

東京でそれを聞きつけた

となっている。…なんだか話がデカくなってるな
 次に、この「営業マン」もしくは「営業部長」が本当に角川氏であるか考えてみる。『トンデモ創世記』P.37〜38にはこのようにある。

唐沢(前略)その中(引用者註 「リーブルなにわ」の伝言板)に「『宇宙戦艦ヤマト』のファンクラブを作りませんか?」って、わずか一行、目立たなくあったんですよ。すぐに連絡して参加しましたよ。その辺りから「『宇宙戦艦ヤマト』の再放送嘆願をしましょう」とかいう、いわゆるファン活動をはじめましたね。札幌が東京に比べて有利だったのは、地方局でしたから放送局がこぢんまりとしていて、STV(札幌テレビ)とかHBC北海道テレビ)など、だいたい五、六十人の署名を集めて送ると再放送してくれたんですよね。
(中略)
 あの頃、我々が喫茶店とか入ると、「じゃあ、今日は一日ヤマトのセリフだけで会話しましょう」とかね、そんな遊びをよくやってたな。とにかく、そういう世界に浸ることで自分のアイデンティティーを形成していた。今思うと暗いように聞こえるけど、SFの草創期も似たようなもんなんですね。ある種の文化的共同体を作るときには、まず独自性、それこそ他者との差違を強調しないといけない。「アニソン以外絶対歌わない」と誓いを立てたりしてね(笑)。僕はやらなかったけど。
 とにかく再放送率が一番高かったのは『宇宙戦艦ヤマト』で、「何でこんなに北海道で再放送が多いんだ?」っていうことになるわけですよ。ヤマト関連のレコードもずっと注文が続いたり。さっきの「リーブルなにわ」の上が、レコード屋なんですよ。アニメのレコード注文がかなりあるんで、レコード会社のコロムビアの営業マンや、出版の営業マンとかが、札幌の地方営業で「リーブルなにわ」詣でをするようにまでなったんですよね。

 「僕はやらなかったけど」にカチンとくるが、それはともかく、『宇宙戦艦ヤマト』の再放送が何度も行われたために、出版社の営業マンが「リーブルなにわ」にやってくるようになったというわけだ。しかし、「トンデモない一行知識の世界OLD」で既に指摘されているが、角川歴彦氏は1975年10月に角川書店の専務取締役に就任しているのである。『ヤマト』の本放送は1974年10月から1975年3月までだから、角川氏が専務に就任するまでに北海道での『ヤマト』の盛り上がりが注目されるようになっていたかというと、やはり少し難しいように思われる。あと、HBCは「北海道放送」のことだからね。…なんで北海道の人間に地元のテレビ局の正式名称を教えないといけないのか。

『古本マニア雑学ノート』より続き。

モノカキを生業とするようになって、角川書店に単行本の企画を持っていったことがあるが、歴彦社長に見事にケッ飛ばされた。あのとき、伝言板が本になっていたら、社長の態度も違っていたかも知れないけどなあ、と苦笑したものである。

 社長グッジョブ!

…って本音を書いちゃマズいなw いや、でも、角川書店を唐沢のガセパクリ汚染から救ったんだから、やっぱりGJでしょう。…まあ、社長じきじきに単行本の企画をチェックするかどうかは疑問ではあるが。


以下は余談だけど、結構重大な内容かも。『トンデモ創世記』P.36より唐沢俊一の発言。

高校受験のとき『日本沈没』が封切られて、期待して見に行ったけどつまらなくてね(笑)。日本の特撮って何とかならないもんかなと思った。

 はい、ポンニチのサツトク批判、ドーン!!(夙川アトム風)。…唐沢俊一は「ガンダム論争」で『ゴジラ』や『ウルトラマン』を批判していたけど、高校に入る時点で既に日本の特撮を批判していたわけだ。…っていうか、唐沢は中野昭慶監督と個人的に親しくしていたはずだが、ちゃんと「『日本沈没』はつまらなかった」って言ったんだろうか?岡田斗司夫氏や山本弘会長はちゃんとテレビ版まで観ているのになあ。

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トンデモ創世記 (扶桑社文庫)

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