唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

1986年のパクリン。

 いわゆる「前説事件」は1986年の暮れにあったことがわかった。「前説事件」については2月18日の記事を参照して欲しい。
 中野翠『迷走熱』(文春文庫)P.227〜229より。

 最も敬愛している笑芸人イッセー尾形の公演を東京・池袋西武のスタジオ200に見に行く。
 私は5年前にテレビの『お笑いスター誕生』で彼の風変わりな一人芝居に注目、初めての舞台公演からずっと欠かさず見続けているのだ。
 イッセーほどワガママな芸人もいない。観客との間に生暖かい「愛と理解」の空気が流れるのを極度に嫌う。甘い観客を冷たく振り切ろうとする。私が言葉で彼の芸をとらえようとすると、スルリと逃げてしまう。
 わざとウケないネタに執着してみたり、毎回、新ネタを繰り出してみたり……。
 だから私は、彼の公演を見るたび、初公演を見るような緊張と期待に胸がはずむ。彼と一対一の真剣勝負をしているような気がする。芸人としての彼が勝つか、観客としての私が勝つか―という真剣勝負。
 私はずっと、負け気味だったが、なんとか、いい勝負をしてきたと思う。けれど’86年秋の公演ではついに勝った、つまり初めて彼の芸にガッカリした。彼にしてはずいぶん皮相な笑いになったもんだと思った。暮れの公演は見るのをやめようかと思った。
 しかし!やっぱり見てよかった。今回は公演の前に唐沢ナニガシというウッディ・アレン風にリクツっぽい「フリーライター」の講演がくっついていたのだが、この講演が実に白ける講演で、観客たちは「早く引っ込め!」と怒り狂ったわけだが。
 私は逆に、この講演が妙に面白かった。この「フリーライター」はイッセーの演じる一人芝居の中の人物みたいだ。この人物自体が、イッセーのファン(あるいは評論家)のパロディーみたいだ。もしかして、この講演はイッセーがしかけたイジワルなパフォーマンスかもしれない……。またしてもイッセーは甘い観客を突き放そうとしている。自分を孤独に、ゼロの地点に追い込もうとしている。なんと贅沢な、ワガママな!
 まだまだイッセーからは目が離せない。

 というわけである。しかし、中野翠の深読みがはからずも唐沢俊一に対してかなりキツいツッコミになっているのが笑える。「イッセーのファン(あるいは評論家)のパロディー」「イジワルなパフォーマンス」…いや!いやいやいや!唐沢は真剣にイッセー論をやってやろうと思ってたんですよ!そこはわかってほしい。真剣にやろうとしたのにパロディーになってしまったというのは残念きわまりないけど。

 さて、これで唐沢俊一の80年代の動向が一応分かったのでまとめてみよう。


1978年4月 青山学院大学に入学。入学式の日に「アニドウ」のイベントに参加。長文の感想を送りつけスタッフに加わる
1980年12月〜1981年7月 「ぴあ」で「ガンダム論争」に参加
1981年 イッセー尾形を『お笑いスター誕生』で知る

(1982年3月 青山学院大学を卒業?)
1982年4月 東北薬科大学に入学
1984年8月 イッセーの紀伊國屋ホールでのイベントにスタッフとして参加。東北新幹線の車内でイッセーの仕事のためにワープロ打ちをする
1984年10月〜1985年9月 大学を登校拒否し、引きこもりのような日々を送る
1985年10月 大学を休学。札幌の実家に戻る。薬局の処方箋をパソコンで入力する仕事をする
1986年末 「前説事件」。イッセーのスタッフをやめる
1988年 ライターになるために上京


…今まで出た情報をまとめるとこうなるが、注目すべきはやはり「前説事件」が1986年末に起こっていることだろう。今までは「イッセーのところで失敗して札幌の実家に引っ込んだのだろう」と筋の通りやすい考え方をしていたのだが、それは間違っていたことになる。しかし、札幌に帰ってからもイッセーのスタッフをしていたということは、つまり、札幌でおとなしく薬局の仕事だけをしていたのではない、ということになる。唐沢本人も山田五郎20世紀少年白書』(世界文化社)で次のように発言している。P.141より。

唐沢 (前略)イッセー尾形さんの手伝いも続けてたし、叔父の芸能プロダクションの手伝いもしたりで、だんだん札幌と東京の往復が増えていったんです。(後略)

こうなると、札幌時代に「前説事件」以外にも何かあったのではないか?と考えてしまう。

…ここで唐沢俊一の80年代の動向をめぐる検証を一段落したいと思う。もちろん、まだ不明な点が数多く残されていて、そもそも唐沢が青学を卒業したかどうかもハッキリしないままだ。とはいえ「大学を卒業したかどうかハッキリしない」こと自体が既に奇妙なのであって、それに唐沢が自分の80年代について語ると必ずどこかに矛盾が生じることもかなり奇妙である。おそらく、唐沢は今後も矛盾を重ねていくのだろう。己の過去を正直に語らなければ「前説事件」のトラウマを克服するのは難しいと思うが。唐沢の過去については今後も検証していかねばならないが、とりあえず、今回の検証で教訓を得られたとすれば、「唐沢俊一の自分語りを信用してはいけない」ということだろう。それは確信を持って言える。

迷走熱 (文春文庫)

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1986年のマリリン

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20世紀少年白書―山田五郎同世代対談集

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