いわばガセとパクリのシーソーゲーム。
昨日の「東京新聞」朝刊から、唐沢俊一が「わが街わが友」の連載を始めている。テーマとなる街は日替わりで1回目は「有楽町」、2回目は「阿佐ヶ谷」だった。
では本題。唐沢俊一の80年代の動向についていくつかわかったことがあるので補足しておく。
まず、大西巨人・のぞゑのぶひさ・岩田和博『神聖喜劇』4巻(幻冬舎)の解説を唐沢俊一が書いているのだが、その中にこんなくだりがある。P.308より。
「記憶力を武器とする」
という、この奇想天外なアイディアに、初めてこの作品を読んだ(一九八二年、仙台における学生生活中のことで、テキストは当時刊行されたばかりの文春文庫初版であった)私は驚愕し、いちいちその引用された書籍の原本を図書館や古書店で探して回ることを決意し、もちろんその野望は途中で挫折したものの、所持していた本はチェックのため付箋紙でびっしりになったものだ。
『江戸の戯作絵本』(三)に続いて、また1982年に仙台で本を読んでいたという記述である。やはり1982年に東北薬科大学に合格していたのではないだろうか。ちなみに文春文庫版『神聖喜劇』が発売されたのは1982年1月。なお、この情報は雪虫さんに教えていただきました。ありがとうございます。
次に『文藝』(河出書房新社)2002年秋季号掲載の唐沢俊一とD[di:] の対談より。P.102。
僕なんか、二十代後半で、それまで関わってきた演劇とか映像とかの仕事が全部、アッと言う間なくコケちゃった。もちろん食えないし、仕方なく親に泣きついて、札幌の処方箋薬局の請求書のパソコン打ちの仕事をもらって、そこに通って毎日パチパチと。まあ、都落ちの気分は満喫したなあ(笑)。
(中略)
でも、凄い職場だったよ。六畳くらいの部屋に端末がひとつ、ポツンと置いてあって、あとは事務用書類棚とロッカーだけ。朝八時に出社して、そのままパソコンの前に座って、ひとことも喋らず……そりゃそうだ、他に人がいないんだから。朝一回と夕方一回、その病院の事務の人がやってきて、「これお願いします」って新しいデータをくれて、出来たものを渡して、それだけ。
これを二年半、続けたのかな。二年目にね、処方箋打ち込み専門だと思っていたそのパソコンに、ワープロ機能があることに気がついたの(笑)。キーボードじゃなくって、薬品の名前が書かれた文字盤だったんだけど、ワープロとして使えないことはない。で、ひまつぶしに、エッセイみたいなものをコチョコチョ書いてね。休みをとって東京に行って、昔の顔見知りの出版社とか回って見てもらったら、ちょうどマガジンハウスでさ、新雑誌作るから加われ、と。月五十万の収入は保証するから、と。
そして、上京するわけである。…ここで興味深いのは「二年半」である。『奇人怪人偏愛記』より札幌にいた期間が長くなっている。あと演劇はともかく「映像とかの仕事」って何?
他にもこの対談では面白い部分があるので紹介しておく。P.104でD[di:] に「2ちゃんねるとか見ます?」と聞かれた唐沢は次のように答えている。
今はもう全然見ないけど、一時は自分の名がないと寂しいから、自分で「唐沢俊一ってどうよ」スレなんか立ててた(笑)。
(中略)
悪口も言われなくなったらもうダメ。オスカー・ワイルドじゃないけど、悪口を言われるより悪いことは何も言われないことだ、と思うことだね。あそこで悪く言われてるってことは、大体その数倍の人間が一般世間でいい、と思ってるって考えればいい。自分でスレ立てるのはやりすぎだけど(笑)。
そのスレッドってこれかな?唐沢本人が降臨しているし。当時と今のスレッドの雰囲気が違いすぎててビックリだけど。2ちゃん唐沢スレのみなさん、本人のお墨付きも出たのでどんどん悪口を言っちゃってくださいw P.106より。
文学関係の人に聞いたら、作家が多作に走ろうとすると出版社が止めるんだってね。「×年ぶりの新作!」とかうたう方が売れるからって。この常識からくつがえしていかないと、現代の傑作は生まれないと思う。
いや、それは人と場合によるんじゃ。同じくP.106より。
だって、手塚治虫の全集は三〇〇巻あるんだよ。
手塚の生前、『手塚治虫漫画全集』全300巻が刊行されていたが、手塚の死後、さらに100巻が刊行されて1997年に全400巻で全集は完結している。唐沢俊一、毎度のことながらアンテナが鈍すぎである。同じくP.106より。
日本ではこれまで、質の作家ばかりを注目して、量の作家を敢えて無視してきたんです。菊池寛とか山岡荘八、吉川英治なんて人は多作というだけで文学的価値なんかないとされてきた。
菊池寛と吉川英治はともかく、山岡荘八は多作な作家の例としてどうかなあ。なんといっても『徳川家康』全26巻という大長編小説を書いた人なのであって。あと、彼らの「文学的価値」が「多作というだけ」で否定されていたかどうかは疑問。同じくP.106より。
シェイクスピアは多作すぎて、同名の作家が何人かいるんじゃないかと言われたくらいだし
(中略)
音楽の世界にも、古くはバッハ、最近はエルビス・コステロみたいな異様な多作の天才がいるし。
なぜエルヴィス・コステロ?まあ、ミュージシャンとして多作の部類には入るとは思うが「異様」とまではいかないんじゃ?と思ってたらこんなサイトが。
シェークスピアの作品には、あまりにいろいろなタイプがあり、そのためシェークスピアは一人の人物ではなく、複数の作家グループだったのではないかと言う説もあるのです。そして、それはある程度「異能の多作家」コステロについても言えることのような気がしたのです。シェークスピアだって、基本的には「多作な職人」でしたし、エンターテイメントを追求する人でした。それが後の評価で「天才」と言われることになったのです。だとしたら、コステロだってけっこういい線いっているんじゃないでしょうか?
…「異能の多作家」と「異様な多作」は違うだろう。唐沢俊一みたいに洋楽の知識が皆無に等しい人は無理をしてはいけません。で、この対談で一番味わい深い発言。P.104より。
ネット時代になって、以前よりもダイレクトに読者と著者がつながるようになって、それでダメになった書き手がいかに多いか。あれは注意が必要だね。
…いや、本当に注意して欲しかった!「ダイレクトに」盗用しすぎましたね。
「AERA」1998年9月21日号巻頭特集『親の介護とイエ』に唐沢俊一が登場している。P.6〜7。担当は蝶名林薫記者。
ある時は「おどおどした人格」になりすまし、ある時は癇癪を起こし、金切り声をあげる。親と口喧嘩を絶やさない。
最新刊に『トンデモ一行知識の世界』がある評論家、唐沢俊一さん(40)は二十代半ば、いかに薬剤師として役にたたないか、薬局経営に向いていないかということを親に示すために、徹底してダメ人間を装っていた。幸いなことに、人格を演じ分けるのは学生時代にイッセー尾形さんの芝居に取り組んでいたから、おてのものだ。母(65)はそんな息子の姿に大泣きし、大雪の中、外へ飛び出したこともあった。
唐沢俊一の母上もお気の毒に…と思うがちょっと待て。「イッセー尾形さんの芝居に取り組んでいたから」って、唐沢はただのスタッフだろう。演劇ってスタッフをしていても演技力って身につくのか?…もしかすると、「DAICON7」で藤岡真さんから逃げたときも、東大で自分に質問されたときも、演技していたのかなあ?いやあ、それは見抜けなかった。あ、一応みなさんにも唐沢俊一の演技力を知っておいてもらおうかな。
唐沢さんの実家は、札幌市の北海道庁前にある薬局だ。祖父の夢を受け継ぐように父(68)が開業した。
唐沢さんが子どもの頃から、「長男は家を継ぐ」が家族の間で暗黙の了解になっていた。
家を継げば店を守って不自由なくやっていけるだろう。しかし、そうしたレールに乗った人生を送るのは嫌だった。「二代目」がいかにバカにされるかも知っている。
「二代目」がバカにされるとは限らないのでは。
しかも、本が好きで、小さい頃から将来は文筆関係に進みたいと思っていた。
どうやって「長男の宿命」から逃げるか。まずは、文系の大学に進むことに成功した。「将来的に戻ってきてくれればいい。とりあえず息子の好きなことをさせてやろう」というように親を説得した。
在学中、イッセー尾形さんの芝居やアニメ関係など、多方面に首を突っ込んだ。
卒業後はどうするか、という頃、「もういっぺん金を出すから、薬学へ行かないか」と親が誘ってきた。どうせ合格しない、それで親も諦めるだろう、と思って薬学部を受験したら、合格した。
薬局と文筆という二足のわらじもありかな、という気持ちもどこかにあった。心が揺れていた。
しかも、間がいいのか悪いのか、仙台の大学へ移ったとたん、イッセー尾形さんの仕事が多く入るようになり、たびたび東京へ。結局、大学は三年の前半までしか通わなかった。
さあ、重要な情報が出てきた。東北薬科大学には3年の前半までは行っていたということになる。もうひとつ興味深いのは青学を卒業したとハッキリ書かれていない点だ。
大学にも行かないので、「とりあえず家の手伝いをしろ」と札幌に呼び戻された。
パソコンを導入して、処方箋の整理などで薬局を手伝った。
薬局にいれば、居心地はいい。従業員も「俊ちゃん」と可愛がってくれる。つい安住しそうになる。しかし、ここで踏ん切らないと中途半端になる。
安住を断ち切るために、自分をその場に居づらくするよう考えた。それで、思いついたのが「ダメ人間」演技だった。「こいつは薬局を継がせられない」と親に思わせる。ここまでやれば親も引き留めないだろうという限りを二年間続けた。結婚する相手が当時米国にいたので、毎日のようにエアメールを送ってもらい、「彼女がいないと生きていけない」とも力説した。
「結婚する相手」というのは現在の奥さんであるソルボンヌK子のこと。…しかし、よくわからない。なんで「家を継ぎたくない」と言わないで、「ダメ人間の演技」なんてまわりくどい手段をとったのか。そんなことをしたら親も余計につらい思いをするだろうに。それにツッコミを入れない蝶名林記者もよくわからない。ちなみに「と学会」の植木不等式氏こと木元俊宏氏も過去に「AERA」編集部に在籍したことがある(1998年9月に在籍していたかどうかは不明)。
その末にようやく東京に出た。だが数年間は、両親は「息子がぐれた」と言い、話をするのも嫌、という感じだった。 一代で築いた薬局。それが人様の手に渡ることになれば、「自分の人生は何だったのか」と、親は途方に暮れるだろう、と唐沢さんも思った。
唐沢さんの三つ下の弟は『怪奇版画男』の漫画家、唐沢なをきさん。漫画家を目指して美術大学へ進んだ。進路をめぐって親は何も注文をつけなかった。
このくだりで蝶名林記者は唐沢の話をそのまま書いているんだな、というのがわかる。唐沢なをきが行ったのは「多摩美大の付属の専門学校」なのだが、唐沢俊一は山田五郎『20世紀少年白書』で「東京の美大に通いながら」と言っている。この記事は唐沢と同じ間違いをしているのである。
「長男にとって家は重い。継がなかった時に自分はどのような位置に置かれるのか。そのプレッシャーたるやすごい」
それが家を出たからには頑張るという発奮の材料にもなった。
文筆の世界で売れ出してから、薬局に出入りする問屋や製薬会社の若い人の中に「全部本をもっています」というようなファンもいたりして、親も価値観を変えたようだという。
「お前の本が売っていたが、物好きの本屋もあるもんだね」と電話がきたこともある。喜んでくれていたようだった。
そうなるまでに数年かかった。
二年前、父から手紙が届いた。薬局の後継者を養子でとることにした、顔合わせで一緒に旅行しよう、と。「必ず出席して下さい」と万年筆でしたためてあった。
今は、親や養子と食事したり旅行したりもする。
父は七十まで店に立つと言っている。徐々に養子に任せることになるだろう。親が病気になったりした時にどうするか。
「とりあえず、女房が飛んでいって、介護役を引き受けることになるでしょう」
これについては少し気になることがある。『裏モノ日記』(アスペクト)P.12より唐沢俊一のコメント。
父は一九九八年の五月に脳溢血で倒れ、この時期(引用者註 1999年10月)は療養中だった。
この記事は「AERA」1998年9月21日号に掲載されているから、唐沢俊一の父上は当時現に病気だったわけで、それなのに「親が病気になったりした時にどうするか」と記事で書かれているのはおかしいのではないか?蝶名林記者は唐沢だけでなく唐沢の両親にも話を聞いているのだろうか?…どうして唐沢が自分について語ると必ずおかしなことが出てくるのかなあ。
…今回分かったことをまとめてみよう。まず、「1982年に仙台にいた」という唐沢の発言が複数存在したことがわかり、唐沢俊一が1982年4月に東北薬科大学に入学した可能性が高くなった。次に、「大学は三年の前半までしか通わなかった」ということから、1984年10月からは学校に行っていないということになる。加えて、唐沢は『20世紀少年白書』の中で仙台で登校拒否を1年間続けていたと書いている。そして、唐沢は札幌には「二年半」いたと言っている。以上のことを簡単にまとめてみると…。
1982年4月 東北薬科大学に入学
1984年10月〜1985年9月 大学に登校せず
1985年10月 東北薬科大学を休学。札幌の実家に戻る
1985年10月〜1988年 札幌の実家で暮らす
1988年 ライターになるために上京
…こうすれば時間に空きがなくなるのだがどうだろうか?…ただ、やはり「前説事件」がいつ起こったのかがわからないとなあ。うーん。…いっそ夏コミで本人に聞こうか?
※追記しました。
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