唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

唐沢俊一vs東浩紀(後篇)。

 前回に引き続き唐沢俊一東浩紀氏の間で起こったバトルを取り上げていく。一応おさらいしておくと、唐沢俊一東浩紀氏に『裏モノ日記』で執拗に批判をくりかえし、東氏の著書である『動物化するポストモダン』にも批判をしているのだが、その批判がヘンだということを指摘したのが前回の流れである。なお、赤木颱輔さんに質問されたついでに書いておくが、自分は別に東氏のことを支持しているわけではないし、東氏の活動にさほど関心を持っているわけではない。勉強させてもらうことはあるものの、『動物化するポストモダン』の内容に疑問を持ったことは前回の記事で書いたし、ごくたまに社会問題についての東氏の言説に首を捻ることもあるので。そのあたりを詳しく書くと当ブログの目的からズレてしまうのでやむなく自粛させていただくが、「ガンダム論争」の時のように「オタク史」を検証する機会があれば少し触れてみてもいいかな、と思う。…「オタク第一世代」だけでなく「第二世代」まで対象になってきたということなのか…。

 では、本題。既にお気づきの方も居られるかも知れないが、前回は「唐沢俊一vs東浩紀」というタイトルでありながら、実は唐沢俊一が一方的に東氏を批判している内容であった。東氏はただ一度反論しただけなのである。無反応の相手を一方的に攻撃する唐沢の執念の深さが感じられるが、逆に言えば東氏が反撃しなかったからこそ唐沢は攻撃を続けた、とも考えられる。唐沢俊一がきわめて打たれ弱い人間であることは当ブログが何度も指摘しているし、東氏のただ一度の反論に泡を食っている(「裏モノ日記」2000年7月12日より)ことからもよくわかる。だから、東氏も「DAICON」で直接声をかけたり(2008年8月26日の記事より)「住所も近いし、一度会ってじっくりと話しませんか」と言ってみればよかった(2008年11月20日の記事より)と思う。しかし、東氏は思いもよらぬ方法で唐沢俊一へと反撃したのであった…というわけで、唐沢vs東の第2ラウンドについて説明していく。

 第2ラウンドの発端は2007年5月20日の「朝日新聞」で唐沢俊一が東氏の著書である『ゲーム的リアリズムの誕生』(講談社現代新書)の書評をしたことである。唐沢俊一によればこの書評は褒めていると見せかけて実は皮肉を書いていたらしいのだが、現代思想の本を「剣豪小説」にたとえることが皮肉なんだろうか?結局のところ、唐沢俊一が東氏の話を理解しないまま書評をしているものだから、どうしても表面的な話になってしまうのだろう。自慢できるような出来の皮肉じゃない。というか、

ライトノベルに比較された時の自然主義文学への勉強不足(本書での認識はクラシックに過ぎるだろう)

と言うのなら、唐沢俊一自然主義文学についてとくとレクチャーしてほしいものだと思うが。…サリンジャーも分からない人間に文学を語ってほしくないけどね(2008年10月11日の記事より)。しかし、東氏もさすがにバカではない。唐沢俊一に揶揄されているのに気づいたのだろう(あの程度の皮肉なら腹も立たないと思うが)。そこで、東氏は反撃に出たわけである。

 『新潮』2007年10月号に東氏は桜坂洋氏との共著で『キャラクターズ』という小説(現在は新潮社から単行本が発売中)を発表した。この小説の内容を説明するのはちょっと難しいのでかなり大雑把にやってしまうと(大森望氏の解説がわかりやすいので参照して欲しい)主人公である「批評家・東浩紀」が現在の文壇の状況に異議を唱えるべく批評を織り交ぜつついろいろな行動に出てみるのだが…、という話である(大雑把すぎてスマン)。クライマックスでは(ネタバレになってしまうが話の都合上やむをえない)「東浩紀」が朝日新聞社タンクローリーで突っ込み、朝日新聞社は炎上し、たくさんの有名人も死ぬことになる。そして、その有名人の中に唐沢俊一も含まれていたのである。…つまり、東氏は自作の小説の中で唐沢俊一を殺したのである。なかなかスマートなやり方で、自分も当時『新潮』を読んで「東さん、やったな」と内心ニヤニヤしてしまったものだ。・・・あ、自分は東氏のやり方に感心したのであって、唐沢俊一が死んだことを嬉しく思ったわけじゃないから誤解しないでねw

 で、他人の評価をかなり気にする性格である唐沢俊一がこれに気づかないはずがなく、当然反撃に出た。…しかし、これがまた問題のある内容なのだ。
 まず、問題なのは『キャラクターズ』への批判を「と学会」の例会で行っていて、その内容がと学会年鑑AQUA』(楽工社)に収録されていることである。…『動物化するポストモダン』批判を『トンデモ本の世界S』に載せた件と同様に、『キャラクターズ』も「トンデモ本」の条件に当てはまるのかどうか疑問である。ただ、小説の中で殺された人間がその小説について語るというのは洒落になっているから、『動物化するポストモダン』の時よりはまだマシかな、とも思う。だが、『キャラクターズ』の内容について具体的に批判を始めると、ダメダメになってしまうのである。『AQUA』P.38より。

……ええ、まずここで純文、エンタテインメント双方の業界に詳しい読者であれば、佐藤友哉はともかく、桜庭一樹が(この時点で)受賞した推理作家協会賞というのが私小説を尊ぶ日本の批評論壇の支配下にあるものなのか、ということにハテナマークが浮かぶと思いますが、

 唐沢俊一は「純文、エンタテインメント双方の業界に詳しい読者」じゃないだろう。読書家を標榜している割りには全然小説を読んでいない(「裏モノ日記」を見る限りでもそれはわかるし、過去に「小説をあまり読まない」という記述をしていた)人に通ぶられても。それに桜庭一樹氏が桜坂洋氏とかつて一緒に同人誌を作っていたことは『キャラクターズ』の中でも触れられているから、かつて身近だった人間が文学賞を受賞したことにショックを受けてもおかしくないと思う。唐沢俊一だって、村崎百郎鶴岡法斎が賞を取ればショックを受けるはずだし。あと、『と学会年鑑AQUA』の脚注で『キャラクターズ』P.8にある「ライトノベル的想像力の文学への侵入」という部分は「ライトノベル的想像力への文学の侵入」でないと東氏の主張に合わない、と書かれているが、佐藤友哉氏や桜庭氏が文学賞を受賞したのだから、侵入されているのは「文学」の方だろう。脚注を書いた人(唐沢本人?)は『キャラクターズ』をちゃんと読んだのかなあ。

『AQUA』P.38〜39より。

まあ、それで、とにかく小説という虚構に最も大事なのは作られたキャラクターなのだ、ということで、この作品中においては、東浩紀という人間が3つのキャラクターに分身します。それぞれ東浩紀R、東浩紀S、東浩紀Iで、これらがお互いに会話したりするわけです。
 ……はっきり言いまして、じゃあこの作品が文芸誌に掲載された画期的なラノベ風キャラクター小説になり得ているか、というと全然そこらは失敗しているとしか思えません。R、S、Iの3人の東浩紀は人数的には増えているものの、そこには明確なキャラクターの描き分けがなされていない。あたかも人数だけ増えても、個性ある性格設定が全然出来ておらず区別がつかなかったハカイダー四人衆みたいなものです
(会場笑・拍手)。

唐沢俊一は『キャラクターズ』という小説をちゃんと読んでいるんだろうか?と再び激しく疑問に感じる。まず、主人公である「東浩紀」が3人に分裂した点を説明しておくと、「R」=現実界(Reel)、「S」=象徴界(Symbolique)、「I」=想像界(Imaginaire)という思想用語から来ている。「R」は文章を書いている東浩紀、「S」は文章の中に登場する東浩紀で、そこからさらに「I」が分裂したのであるが、作中ではこのように解説されている。『キャラクターズ』P.36より。

 象徴界を代表する存在であるS、すなわちぼくは、そうした逃げからは本来的に自由であるはずだった。作家たちが文学を書くために怖れや羞恥を越えて向き合わなければならない内なるなにかとやらから逃げたり、綺麗事でお茶を濁さねばならない理由が自分にはない。だが、そういう風に主張することそのものを逃げだととりたがる人間はいるだろう。Rの言うとおりだ。そこでIの登場だ。一見、文学への筒井康隆的なパロディーとしてIの行動は組み立てられているように見えるが、それだけではない。SとIがRより分離してキャラクター化したことにより、東浩紀の「私」はRの「私」から自由に解き放たれた。SとIはどちらも東浩紀であり、どちらか一方が真というわけではない。IはSが文学から逃げを打たないことを、一方SはIが過剰にキャラクターに逃げ込まないことを互いに監視しているのだ。

…この文章を読む限りでは、『キャラクターズ』で「東浩紀」が分裂したのは、小説の進行上必要なことだったのであって、別にキャラクターの「描き分け」を目的にはしていないと思うのだが(それに「東浩紀」が分裂したことはストーリー上でちゃんと機能している)。それから、東氏も桜坂氏も「画期的なラノベ風キャラクター小説」を書くつもりではなかったはずだ。『キャラクターズ』にはラノベの必須要素ともいえる「萌え」がまるで見られないのだ。『よくわかる現代魔法』というヒット作の作者である桜坂氏ならいかにもラノベらしい話を簡単に書けたはずなのにそれをやっていないことからも「ラノベ風」にしようとしたのではないだろう。「とにかく小説という虚構に最も大事なのは作られたキャラクターなのだ」っていうとなんだか「キャラクターが立っている話は素晴らしい」ということでしかないみたいだしなあ。自分のわかりいいように解釈しているからどうしても妙なことになっている。…それにしても「ハカイダー四人衆」とか自分達にわかりやすいネタに置き換えて喜んでいるのがどうもなあ…。いや、自分だって、同好の士と集まったときにはマニアックなネタで盛り上がることはあるけど、唐沢俊一の盗用について何一つ追及していない「と学会」の面々が和気藹々とした雰囲気をかもしだしているかと思うと…やっぱり釈然としない。仲がいいのは結構だけどその前にもっと他にやるべきことがあると思う。

『AQUA』P.39より。

 要するに東氏は自分がさんざんけなして、その対局(原文ママ)にある形式で書こうと思っている私小説とか自然主義小説というものがよくわかっていらっしゃらないんじゃないか、と心配になるわけですが、まあ、そういう小説に対する批評はこの際おいておきます。

 唐沢俊一はこのように言っているのだが、『と学会年鑑AQUA』の中の「トンデモファイル」で『キャラクターズ』は

破綻した私小説以外の何ものでもない(後略)

と紹介されている。…はあ?『キャラクターズ』が「私小説」であるわけがない。「私小説」についてgoo辞書を引いてみよう。

ししょうせつ ―せうせつ 2 【私小説
(1)作者自身を主人公とし、自分の生活や経験を虚構を排して描き、自分の心境の披瀝を重視する日本近代文学に特有の小説の一形態。わたくし小説。

…ということは、『キャラクターズ』の中で朝日新聞社が爆発炎上したり登場人物が魔法を使ったりしたのも本当にあったことなんだろうか?それとも東氏が「東浩紀」を主人公にした小説を書いているから「私小説」ということか?しかし、それだと『キャラクターズ』の中でたびたび名前の出てくる筒井康隆の『筒井順慶』も「私小説」になってしまうような(『歌と饒舌の戦記』とかは部分的に「私小説」?)。あと、当ブログでおなじみの藤岡真さんの小説『ゲッベルスの贈り物』でも「藤岡真」というキャラクターが登場するけど、あれも「私小説」になるのかと。「よくわかっていらっしゃらない」のはいったい誰のことなんだろうか?

『AQUA』P.39〜40より。

そもそも、小説としてはそんなに面白いものじゃない。この作品が興味深いのはひたすら、東氏が実際の文壇や評論界に関する、実名を出してのグチやヒガミを書いているところです。
(以下、『キャラクターズ』P.18の作家・批評家を実名で罵倒している箇所を引用。なお、この部分では唐沢俊一の名前も出ている)
 正直な感想を言えばまあ、餅つけ、と(会場笑)。小説の、つまりキャラクターの言い草だからこれで腹を立てるというのは野暮だという逃げを打っておいてあるから、もう言いたい放題。私は自分の名前が出たのでもう大爆笑、酒の席での話題にもなるし、大変に嬉しかったんですが、この作品の中で言及されていた某社の編集長が、
「訴えようと本気で思った」
と言ってましたから、マジに怒った、というより、これを本気にとる読者がいるということで迷惑したところもだいぶあったようです。

 このくだりを読んだ時は「まずいなあ」と思った。唐沢俊一は素直に読みすぎている。『キャラクターズ』を読むときに注意しなければいけないのは、東・桜坂両氏は「わかってやっている」ということだ(「確信犯的」というのは誤用?)。「私小説」の魅力の一つが「暴露」であり(田山花袋『蒲団』からしてそうだ)、そして、作家・批評家を罵倒する箇所が筒井康隆『大いなる助走』に良く似ていることを考えれば、文章を額面通りにとらえてはいけないということはすぐに気づく。それから、東氏は別に逃げを打っているわけではない。以下、東氏の説明を引用。

しかし、『キャラクターズ』が(少なくとも文芸誌の目次においては明示的に)批評ではなく小説として発表されている以上、小説内の「東浩紀」と現実の東浩紀をとりあえず区別しておくのは、文章を読むうえでの最低限のリテラシーではないかと思います。そんなリテラシーすら成立しないのか、と思える反応が今回プロの書き手からも複数あったのには、いささか驚きました

 簡単に言えば小説と現実をゴッチャにするなということである。それは「逃げ」でもなんでもない。…で、唐沢俊一は作中で罵倒されたことに平静を装っているが本当にそうなのかというと…。

『AQUA』P.40より。

(前略)で、結局、東氏は作中で桜坂氏も殺してしまい、東浩紀同士の会話の中から、結論として、朝日新聞社に放火して燃やしてしまうことを決意する。ここがいまいちわからない。
(中略)
どうも飛躍が過ぎるというか、小説における私小説的良識を崩壊させるのであれば、そういう小説を量産させている文芸出版社、何よりその一方の雄であるところの新潮社を襲うほうがずっとダイレクトでしょうし、そもそも小説の虚構性を際立たせる手段としてならば、その作品が掲載されている雑誌の刊行元を襲って燃やしてしまうという展開にしくはない、と思えるのですが、そこで朝日新聞社が唐突に出てきて、しかも朝日が日本人全員の良識の代表っていつの時代の感覚だと呆れてしまいます。

 「ここがいまいちわからない」って、いや、そこが面白いのにどうしてスルーするんだ?『キャラクターズ』で「東浩紀R」が朝日新聞への襲撃を決意するのは、ジャック・ラカンが「現実界象徴界想像界」を説明するために用いた「ボロメオの結び目」という図形を分析したことからなのだが…、まさか、唐沢俊一あれが本気で書かれていると思ったのだろうか?普通の読解力があればジョークだとわかるはずなんだが。しかも、『キャラクターズ』P.81〜82で「東浩紀S」はこんなことを言っている。

 Rの頭のネジは何本かはずれかけているようだった。桜坂が死ぬとかすべての元凶は朝日新聞だとか、変な念波をぼくに送ってきているのだ。仮に桜坂が危機に陥ることがあっても、朝日は関係ないだろう朝日は。単なる報道機関じゃないか。朝日陰謀説は2ちゃんねるの読みすぎだ。

 東氏が「朝日が日本人全員の良識の代表」だと考えていないことはわかるはずだ。ちゃんと読んでいないのか、それともわざと説明しなかったのか。

 さて、ここから先を書く前に、まず『キャラクターズ』で唐沢俊一が死ぬシーンを引用しておく。『キャラクターズ』P.145〜146より。

靴に守られた爪先でIがエレベーターボックスの扉を蹴った。扉が開いた。白い蒸気とむせ返る熱が吹き出した。煙の中から姿を現したのは蒸し焼き状態になった人間だ。その男は、よろけながら二歩進み、三歩めで右膝の関節が崩れ歩道に突っ伏した。投げ出した手の甲が、中華料理に出てくる蒸し鳥のように真っ白に変色していた。
「この帽子見てみろよ。唐沢俊一だよ!」
Iが叫ぶ。その声は興奮気味だ。
「動ポモ2に好意的な書評を書いてくれたんだけどな」
Sが、さして興味もなさそうにつぶやく。死んだ人間に書評は書けない。

 このシーンについて唐沢俊一

いやあ、小説の中で殺されるのは、実は2回目なんですが、やはりいいもんですね(会場笑)

と喜んでいる。まあ、朝日新聞社の最上階の窓が開くのはおかしいとかツッコミを入れているが…、「ボロメオの結び目」にツッコミを入れないでそこを突っ込むの?と少しビックリ。

『AQUA』P.41より。

実際には書評委員会はもっと下層の階で選考を行っているんですが、それを最上階でやっているというふうに設定したのは、東氏の(この部分の執筆を担当したのは桜坂氏でしょうが)内面の、新聞批評というものに対して抱いている権威の大きさが無意識に出ているところでしょう。

 ヘンな分析!…いや、あの、文芸批評の真似事はよしておいたほうがいいと思うよ。あなたは
サリンジャー
なんだから。それに、東氏は読売新聞で書評を担当していたんだから、新聞の書評に幻想を持ったりしていないと思う。むしろ、唐沢俊一の方が「おれ、実際の書評委員会の様子を知ってるもんね」と権威をアピールしているかのようにも読めるんだけど。

『AQUA』P.41〜42より。

……要するに、自分の書いたものを批評されるということを、かなりビクビクしている、ということなんじゃないか。私ら一般人は、アカデミズムの世界で10年に1人の天才だとか騒がれている人だから、その言動にいろいろとツッコんで面白がっても向こうはいたくもかゆくもないだろう、という、いわば有名税だと思ってからかっていたんですが、案外、そういうことをいちいち気にする、気の小さい人だった。そう思うとちょっと悪いことをしたな、とも思います。

…ツッコミどころが多すぎる。というかまた人格攻撃かよ。
(1)東氏が「気の小さい人」なら関係者の実名を出した小説を書かないのでは?
まあ、論敵の気が小さいと思い込むのは精神上の安定には役立つんだろうけど、仲間内でしか文句を言えない人が相手を「気の小さい人」とか言えるんだろうか。
(2)一般人は盗用なんかしないんじゃ?
一般人は悪いことをしたら謝罪して、その後で被害者を貶める言動なんかとらない。一般人は名誉毀損で訴えられたりしない。唐沢俊一一般人以下でしょう。
(3)反撃されたら「いちいち気にしてるのか」と言う方が「気の小さい人」なのでは?
ガンダム論争」で松本零士に反論されたときと同じだね(詳しくは2008年11月23日の記事を参照)。相手が反撃しないと思って調子に乗りすぎなのである。学者だってライターに反論する権利は当然あるし、反論したって何ら倫理に反するものでもない。公の場で意見を発表するのなら、反論される覚悟は必要だと思うけど、唐沢俊一にはそれがないらしい。…まあ、唐沢俊一を批判している人は、これから唐沢に反撃されたら「雑学の王様も案外気が小さいんですね。悪いことをしちゃったなあ」と返事をしたらいいのかも。

『AQUA』P.42より。

とはいえ、この小説は読後の感想を言わせてもらえばキャラクター小説でもなんでもない、むしろ破綻した私小説以外の何ものでもないし、私を殺した後で(私への皮肉のつもりなんでしょうが)の東浩紀Sの台詞、

「『動ポモ2』に好意的な書評を書いてくれたんだけどな」
 Sが、さして興味もなさそうにつぶやく。死んだ人間に書評は書けない」

を見ると、あの書評を好意的と思ったのか、と驚き(会場笑)、もう少し東氏には、文章とか人の態度の裏を読むという、オトナの知恵みたいなものを身につけていただきたいな、と思ってしまうわけなんであります。

 まず、『キャラクターズ』を「破綻した私小説」と考えるのはおかしい、というのは既に指摘したが…、思ったのは「皮肉」というのは書いたものにとって実に便利なんだな、ということである。つまり、「皮肉」を書かれた相手が怒れば「それくらいで怒るなよ」とやりかえせばいいし、相手が表面どおりに受け取ったら「皮肉がわからないのか」と嘲笑する、なんともラクチンなのである。「朝日新聞」紙上で皮肉を書いたことに得意になっているのはどうかと思うが。
 それにしても、この文章を読んでビックリさせられるのは、唐沢俊一が東氏の皮肉を理解できていないことである。…いや、『キャラクターズ』の中での扱いをみたら、東氏が唐沢の『動ポモ2』(=『ゲーム的リアリズムの誕生』)の書評が「好意的な書評」であると本気で思っているわけがないことくらいすぐに分かると思うんだが。唐沢俊一こそ「文章とか人の態度の裏を読むという、オトナの知恵みたいなものを身につけていただきたいな」と思う。「大丈夫だろうか、そんなに素直で」
…しかし、唐沢俊一東氏にネタにされたのがよっぽどこたえたのだと思う。一生懸命に平静を装っているが、ハッキリ言わせてもらえば、「と学会」の例会で長々と批判している時点で精神的ダメージは明らかだ。本当に平気なら「なんともない」としつこく言ったりはしない。かと言って無視することもできずに、理解できもしない小説をなんとか批判しようとしている。年下ながらしたたかな学者に翻弄されているのが気の毒でならない。

 さて、『と学会年鑑AQUA』での唐沢俊一の最大の問題発言をまだ紹介していなかった。唐沢俊一がこんなことを言ってるから本当にビックリしてしまった。『AQUA』P.38より。

なんか、東氏がオタク業界に侵入しようとして阻止された状況を自分で再生産しているのではないか、と読めてしまうようなリクツなんですが(会場笑)

 えーっ!?じゃあ、唐沢俊一は東氏がオタク業界に来ること(「侵入」じゃないよねw)を「阻止」するつもりであんなに批判してたってこと?唐沢俊一以外のオタク業界人で東氏を批判していた人ってどれくらいいるのか、そもそもなんで「阻止」しようとしたの?それから、唐沢俊一に残念なお知らせをしなくてはならないんだけど、東氏のオタク業界への「侵入」は「阻止」できてないと思う。こないだ、アニメ雑誌でヤマカンと対談してたし。唐沢俊一は東氏みたいにアニメの作り手と対談できたりするんだろうか(いつだったか岡田斗司夫氏は「北久保弘之しか自分と会ってくれない」とかボヤいていたが)。まあ、唐沢がヤマカンのアニメを観ているのかどうか疑問だし「山本寛」という名前が読めるかどうかも疑問だが(「やまもとひろし」会長に聞いてみれば?)。あと、東氏はNHKBSの『ザ☆ネットスター』にもよく出演している。この番組のディレクターは唐沢俊一とも仲のいい弓削哲矢氏なんだけどね(詳しくは2008年11月5日の記事を参照)。…要するに唐沢がいくら阻止しようとしても(少なくとも唐沢よりは)若くて有能な人間の台頭を防ぐことはできない、ということなのだろう。唐沢俊一も身の振り方をそろそろ真剣に考えた方がいいのかもしれない。



 個人的に興味深いのは、今回取り上げた唐沢vs東の第2ラウンドがまったく話題になっていないことである。『キャラクターズ』は評判になったし、作中で唐沢俊一が殺されたこともわりと話題になった。しかし、唐沢俊一の反論についてはネット上で検索しても全然ひっかからない。その原因として考えられるのは、
(1)「唐沢vs東」という構図に意味が無くなった
または「オタク第1世代」vs「第2世代」とでもいうのか。まあ、唐沢俊一と東氏の仕事がカブることは最近ではあまりないし、『AQUA』が発売された2008年4月には既に唐沢の盗用が発覚しているのだから、盗用した人間の発言に説得力が感じられなくてもしょうがないのかもしれない(いまだに唐沢に関心を持っている当ブログなどはまことに物好きである)。
(2)『と学会年鑑AQUA』をチェックしている人が少ない
だから、唐沢俊一による反論があったこと自体知られていないのではないか。
…いずれにしても、もはや唐沢vs東がホットな話題ではないことは明らかで、状況の移り変わりの激しさを感じさせる。いずれ、このことは「オタク史」を検証する際にもう少し考えてみたい(『エヴァ』のときの状況はいずれ取り上げるので。『ガンダム論争』についても補足する予定)。

 唐沢俊一が東氏にあれだけこだわったのは、月並みな考えであるが、根底に「アカデミズム」「東大出身者」への抜きがたいコンプレックスがあるせいではないだろうか?…オタクをやっていく上で学歴なんて関係ないんじゃないかなあ?と思うのは、自分が世間知らずなせいなのかもしれない(「オタク業界」では学歴がモノを言うんだろうか?)。しかし、自分は地方国立大学の出身だけど、青山学院大学出身の唐沢の活動について十分に検証できているんだから、唐沢だって東氏より出来のいい著作を書くことは十分可能だと思う。がんばってほしいところだ。…あまりにも『キャラクターズ』を読めていない(にもかかわらず批判している)のがかわいそうなので、つい応援してしまったw

※追記 一部文章に不備があったので直しておきました。

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