唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

鼻からスパゲッティ。

唐沢俊一の雑学王』(廣済堂)P.200より。

 ドラえもん映画の最高傑作といわれているのは1980年に公開された『のび太の恐竜』だが、この映画は、これを見て感動したS・スピルバーグが後に『E.T.』や『ジュラシック・パーク』を作ったとまで言われている名作である。

 まず、「ドラえもん映画の最高傑作」などと無造作に書いているが、これを決めるのは大変なことだと思う。なんてったって『映画ドラえもん』シリーズは傑作ぞろいなんだから。Yahoo!知恵袋でさまざまな意見が出ていることからも決めるのが難しいのはわかる。…そもそも唐沢俊一が『映画ドラえもん』シリーズをちゃんとチェックしているのかどうか気になるが。
 次に、スピルバーグが『のび太の恐竜』を見たという話。この話自体はなかなか良く出来ていて面白い。ウィキペディアより。

一部ではスティーヴン・スピルバーグが来日中に同時上映の『ゴジラ』目当てで入った映画館でこの映画を見て、「E.T.」などの作品に影響を与えたといわれ、小学館発行の『藤子・F・不二雄の世界』(1997年)等でも言及されているが、真偽のほどは明らかではない。

 『のび太の恐竜』と同時上映だった『モスラ対ゴジラ』を目当てで劇場に入ったとしているあたり芸が細かいし、スピルバーグならもしや、と思わせるところがある。しかし、実際にそのような事実があったかというと、はなはだ疑問である。
 まず、『E.T.』はスピルバーグの少年時代の経験が色濃く反映された映画なのだが、スピルバーグ1978年に“Growing Up”というタイトルで自分の少年時代をモチーフにした作品を作ろうとしていることを『Variety』誌に語っている。また、『未知との遭遇』の後に企画された『ナイト・スカイズ』という宇宙人をテーマにした作品も『E.T.』のベースとなっている。だから、『のび太の恐竜』を観たから『E.T.』を作ったという唐沢俊一の話は否定される。そして、『E.T.』が具体的に動き出したのは、『レイダース/失われたアーク』のチュニジアでのロケの最中にスピルバーグメリッサ・マシスン(脚本家。当時ハリソン・フォードと交際中だった)が会ったことがきっかけなのだが、『レイダース』の撮影が始まったのは1980年6月23日で、『のび太の恐竜』が公開されたのは1980年3月15日である。…時期的には一応ツジツマは合うが、かなりギリギリである(まるで時刻表トリックだ)。そして、のび太の恐竜』が公開された時期にスピルバーグが来日していたという記録は今のところ確認できていない。ただ、お忍びで来ていた可能性もあるから完全に否定はできないのだが、スピルバーグが『のび太の恐竜』を観ていたというのは、かなり怪しい話であると言わざるを得ない。それに『のび太の恐竜』と『E.T.』って似てるか?まあ、「すべての映画はリメイク映画である」という唐沢俊一の理論(詳しくは1月16日の記事を参照)によれば「子供たちが協力して恐竜(宇宙人)を故郷に帰す」というアイディアが同じだから、『E.T.』は『のび太の恐竜』のリメイク、ということになるのかもしれないが…。
 それから、『ジュラシック・パーク』だが、マイケル・クライトンの小説はどうなるんだ?原作があることを忘れちゃいけない。本当に『のび太の恐竜』を観て作っていたのなら、『ジュラシック・パーク』にフタバスズキリュウが出そうなものだが。スピルバーグならきっとやる。

唐沢俊一の雑学王―役に立たない!でも妙に気になるムダ知識

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映画ドラえもん のび太の恐竜 [DVD]

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モスラ対ゴジラ [DVD]

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インディ・ジョーンズ レイダース 失われたアーク《聖櫃》 [DVD]

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ジュラシック・パーク〈上〉 (ハヤカワ文庫NV)

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地球に落ちてきた男―スティーブン・スピルバーグ伝

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シネマの天才 スティーブン・スピルバーグ (シネマ・スター・ライブラリー・シリーズ)

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