「すべての映画はリメイク映画である」?
開田裕治氏の同人誌『特撮が来た16』に唐沢俊一が「すべての映画はリメイク映画である」という文章を寄稿している。内容を簡単に説明すると、『『隠し砦の三悪人 THE LAST PRINCESS』』をオリジナルの『隠し砦の三悪人』と比較するだけでなく単独の作品として評価しなければならないとしたうえで、このような文章を書いている。
作り手というのは、意識無意識に関わらずほぼ一〇〇パーセント、先達の作り送りだした作品のイメージを、自分の作品、シーン等に重ね合わせている。それらの作品を意識無意識に関わらず観ている観客が、復奏的(原文ママ)にそのシーンのイメージ、人物のイメージを重ね合わせることで作品を形成している。
これはパクリだのコピーだのパロディだのオマージュだのという問題ではない。それが文化の発達ということなのである。
日本の和歌の本歌取りが最も有名だが、同じことはヨーロッパの詩だってやっているし芝居にも音楽にも映画にも、至極当然のこととして取り入れられている手法だ。
…ここで書かれている内容は唐沢俊一がくりかえし述べてきた「完全にオリジナルな作品というものは存在せず、すべての作品は必ず過去の作品から何らかの影響を受けて成立している」という話である。『新世紀エヴァンゲリオン』を賛美する評論家に対してそのように主張していたし、『BSアニメ夜話』のムックでもそのような話をしていた。この話自体は一応正しいと言っていいと思うのだが、上の文章を読むと「観客ってそんなに「このシーンのモトネタはアレだな」と思いながら見てるかなあ?」と思ってしまう。こんなことまで書いているし。
いや、仮にも創作に関係する者のはしくれとして言えば、自分の作品を享受している人たちが、自分の作品を、過去の一切の先行作品のイメージを排して、<まっさらな>ココロで自分の作品を観てもらっては困るのである。
『血で描く』もそのように読んで欲しかったんだろうか。申し訳ないことに自分は読んでいて過去の作品を何も思い浮かべられなかったけど。まあ、それ以前に盗用を繰り返している唐沢俊一が「これはパクリだのコピーだのパロディだのオマージュだのという問題ではない」と書いているとなにやらドキドキしてしまうのだがw
…実は『特撮が来た16』の唐沢俊一の文章は途中まではまともであると言っていい。しかし、タイトル通り「すべての映画はリメイク映画である」ということを証明しようとして具体例を挙げるくだりになると完全におかしくなってしまう。
シェイクスピアの『ハムレット』は、十二世紀末の北欧伝説<アムレートの武勇>を、当時の王朝スキャンダルなどを取り入れてリメイクしたものである。
鶴屋南北の代表作『東海道四谷怪談』は、享保年間(南北の時代から約一〇〇年前)に刊行された『四谷雑談』のリメイクである。
それは「劇化」もしくは「舞台化」であって「リメイク」ではないのではないか?…この後の文章にも共通しているのだが、唐沢俊一は「リメイク」という言葉を拡大解釈しすぎなのである。
ミュージカル映画の名作『雨に唄えば』はMGMの作詞家アーサー・フリードと作曲家ナシオ・ハーフ・ブラウンが、彼らが二九年の映画『ハリウッド・レビュー』などの中で使った曲を再利用することを思いつき、主題曲の<タイトルだけを借りて>リメイクした作品である。そのため、当時の批評家たちは、この作品が<オリジナルでない>という理由でアカデミー賞にノミネートしなかった。
…わけがわからない文章である。『雨に唄えば』は一体何のリメイクだというのか?まず、『ハリウッド・レビュー』のリメイクということは有り得ない。なぜなら、『ハリウッド・レビュー』はストーリーのある劇映画ではないのだ。当時のMGMのスターが総出演して歌やダンスなどを披露する映画なのである。『ザッツ・エンターテインメントⅢ』には『ハリウッド・レビュー』のラストでMGMのスターたちが『雨に唄えば』を合唱するシーンが収録されている(バスター・キートンが手持ち無沙汰にしているのが笑える)。『雨に唄えば』が映画の中で何度も使われた曲だというのは本当で、『ザッツ・エンターテインメント』のオープニングで、クリフ・エドワーズ(別名ウクレレ・アイク。『ハリウッド・レビュー』より)、ジミー・デュランテ(『キートンの歌劇王』より)、ジュディ・ガーランド(『リトル・ネリー・ケリー』より)が『雨に唄えば』を歌うシーンがそれぞれ出てくるが、映画の中で何度も使われた曲をタイトルにした映画を作ることが「リメイク」とはとても言えないのではないか。アレックスが『雨に唄えば』を歌いながら暴行するシーンのある『時計じかけのオレンジ』も『雨に唄えば』のリメイクになってしまいそうだ。
黒澤明の『用心棒』がマカロニ・ウエスタン『荒野の七人』としてリメイクされたのは有名な話だが、じゃあ『用心棒』はオリジナルなのかというと、実はダシール・ハメットの『血の収穫』を時代劇に置き換えたものであり、しかも『用心棒』が最初ではなく、その前年に同じアイデアを岡本喜八が『暗黒街の対決』で映画化している。つまり、言ってみれば『用心棒』は『暗黒街の対決』のリメイクなのである。
…もう検証するのをやめようかな。いや、わかるよ。『荒野の用心棒』って書くつもりだったってわかるよ。『荒野の七人』はマカロニ・ウエスタンじゃないし。でも、ケアレスミス(唐沢風に書くとケアミス)にも限度があるだろう。今年1年映画について書いたり話したりするのを禁止にされたっておかしくないミスだと思う。…続きの文章もひどいのでやっぱり検証しよう。まず、「2つの組織を争わせて共倒れを狙う」というアイディアが同じだから「リメイク」というのが無茶苦茶。これじゃあ密室殺人や名探偵が出てくる作品はみんな『モルグ街の殺人』のリメイクになっちゃいそう。あと、唐沢俊一は『暗黒街の対決』(『月を消しちゃえ』でおなじみ)に原作があることを忘れている。『暗黒街の対決』の原作は大藪春彦『血の罠』である。同じように大藪春彦の小説(『人狩り』)を映画化した『野獣の青春』も「2つの組織を争わせて共倒れを狙う」話なんだけどね(メインとなるのは「親友の敵討ち」だが)。じゃあ、『野獣の青春』は『用心棒』のリメイクなのか?
…結局のところ、唐沢俊一が「リメイク」という言葉をあまりにも拡大解釈してしまっていることが問題なのである。goo辞書を引いてみよう。
リメーク 2 [remake]
(名)スル
作り直すこと。また、作り直されたもの。特に、既存の映画を改作して再映画化すること。また、その作品。
既存の作品があってこその「リメイク」なのである。アイディアが同じことまで「リメイク」に含めるからおかしくなるのだ。唐沢は「すべての映画はリメイク映画である」という文章をこのように締めている。
あなたがオリジナルと信じている作品もまた、結局は過去の作品のリメイクでしかない場合がほとんどなのである。
…このような書き方をするのはどうだろう?と思う。若い人に反感を持たせ、過去の作品を見ようとする意欲を殺ぐ効果しかないのではないか。ともあれ、唐沢俊一こそ過去の作品をしっかり観て欲しいものだが。『荒野の七人』はあんまりだ。
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