唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

西暦0年はない。

 かつて、唐沢俊一は『月刊ほんとうに怖い童話』(ぶんか社)2008年7月号掲載のコラム『唐沢俊一が選ぶアブナイ奇書』でこんな大ボケかましていた(詳しくは2008年10月11日の記事を参照)。

やがて1999年になり、世界はさして破滅もせず、平穏な中でわれわれは2000年、新世紀を迎えた。

 もちろん、21世紀がスタートしたのは2001年のことである。ただ、このようなミスはありがちなものだし、うっかりやってしまったのだろうとその時は思っていた(「雑学王」と呼ばれている人間にあるまじきミスであることに変わりはないが)。ところが、どうやらうっかりミスではなかったようなのだ。『キッチュワールド案内』(早川書房)P.162より。

 さて、ワイルドが死んだまさにその年、新しい百年紀が始まった一九〇〇年に、そのニュースが声をひそめて広がっていたであろうロンドンを後にして、日本に帰りついた人物がいた。明治の日本が生んだ国際的博物学者、南方熊楠である。

 「百年紀」というのは「世紀」と同じ意味である。で、20世紀が始まったのはもちろん1901年のことなので、またしても間違えている。まあ、唐沢俊一が1900年から1999年までが20世紀で、2000年から新しい世紀が始まっていると考えていることは2つの文章を読んだらよくわかったけど。…雑学というより常識の問題だな。あと、「声をひそめて広がっていた」というのは一体どういうことなのか。
 ついでに書いておくと、南方熊楠は1867年、慶応三年生まれなので「明治の日本が生んだ」という書き方をするのはいかがなものか。

ほんとうに怖い童話 2008年 07月号 [雑誌]

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キッチュワールド案内(ガイド)

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慶応三年生まれ七人の旋毛曲り―漱石・外骨・熊楠・露伴・子規・紅葉・緑雨とその時代

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