唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

『星を喰った男』にまつわる疑惑。

 こっそり検証をしていたら「トンデモない一行知識の世界」さんに先を越されてしまったのだが、参考にさせてもらいながら独自のネタも織り込んでやっていこう。


 まずは『星を喰った男』が出版された経緯について説明しておく。1993年9月にバンダイから潮健児の自伝『星を喰った男』が発売された。この本で唐沢俊一は「編集・構成」を担当していたことになっている(唐沢は「編集構成を終えて」という文章を書いている)。
 その後、『星を喰った男』は1996年9月に早川書房から文庫化されたのだが、この文庫版では唐沢俊一が編著者となっている。つまり、著作者の名義が変更されたわけで、潮氏の名前は「名脇役潮健児が語る昭和映画史」というサブタイトルへと移動している。『星を喰った男』の著作者の名前が変わったことについて、唐沢俊一は文庫版の最初にある「文庫版読者の皆様へ」で次のように書いている。

 本書は株式会社バンダイより一九九三年九月に出版された潮健児自伝『星を喰った男』を文庫化したものである。その際には著者は潮健児名義となっており、唐沢俊一は編・構成者の扱いだった。
 今回の文庫化に際し、潮氏の名をサブタイトルに表示し、編著者・唐沢俊一という形に改めたのは、著者データを統一するための早川書房からの要望によるものであって、他意はない。
 前著の執筆作業は、潮氏のとった膨大なメモと、唐沢がインタビューした総計十数時間に及ぶテープをもとに、唐沢が潮氏の口調をいかした形でまとめ、原稿にする形をとった。もともとペンの人ではない潮氏にとってこれは最も能率的な方法であり、なんら氏の名誉を傷つけるものではない。出版の際、著者名を潮氏の単独としたのは、この出版が潮氏の永年勤続功労賞受賞記念という性質のものだったからである。

疑問その1。潮氏を著作者から外していいものだろうか? 
 唐沢俊一も「潮健児自伝」と書いているのだ。それなのに唐沢俊一だけが著作者となっていていいものか。これに対しては「潮氏の話をもとに唐沢俊一が文章を書いたのだからそれでかまわない」とも考えられそうだが、果たしてそうか。たとえば、ベアテ・シロタ・ゴードンの自伝である『1945年のクリスマス』(柏書房)という本がある。この本はベアテ・シロタ・ゴードンの話をもとに平岡磨紀子氏が文章を書き構成しているという、『星を喰った男』と同じかたちで書かれているのだが、著作者の名義を見ると「ベアテ・シロタ・ゴードン著、平岡磨紀子構成・文」となっている。つまり、文章を書かずに話をしただけでも著作者となるのだ。だから、唐沢が「出版の際、著者名を潮氏の単独としたのは、この出版が潮氏の永年勤続功労賞受賞記念という性質のものだったからである」と書いているのは誤りである。…というか、この文章は「潮健児名義にしてやったんだ」という風に読めて、非常にイライラさせられる。潮氏の話をもとにしてまとめられた本なんだから、潮健児名義になるのは当然だろう。潮氏はれっきとした著作者として表記されるべきなのだ。また、『星を喰った男』と同じように俳優の話をもとに書かれた本として竹中労の傑作『鞍馬天狗のおじさんは』(ちくま文庫)があるが、この本で竹中労嵐寛寿郎から話を聞くだけでなく、子供のときからアラカンの映画を見ていたことなど自分自身の視点からの文章を書いている。一方、『星を喰った男』本編において、唐沢俊一の視点から書かれた文章はまったくなく、唐沢俊一潮氏の指示を受けるなり了解を得るなりしたうえで潮氏の話をまとめているにすぎないのである。
 …というわけで、潮氏の名前を著作者から外してしまうのは理解できない。このような行為は、潮氏の氏名表示権を侵害している疑いがある著作権法19条より。

第十九条 著作者は、その著作物の原作品に、又はその著作物の公衆への提供若しくは提示に際し、その実名若しくは変名を著作者名として表示し、又は著作者名を表示しないこととする権利を有する。その著作物を原著作物とする二次的著作物の公衆への提供又は提示に際しての原著作物の著作者名の表示についても、同様とする。

そして著作権法60条は著作者の死後も著作者人格権を侵害する行為をしてはならないと規定している。

第六十条 著作物を公衆に提供し、又は提示する者は、その著作物の著作者が存しなくなつた後においても、著作者が存しているとしたならばその著作者人格権の侵害となるべき行為をしてはならない。ただし、その行為の性質及び程度、社会的事情の変動その他によりその行為が当該著作者の意を害しないと認められる場合は、この限りでない。

 唐沢俊一は「文庫版読者の皆様へ」で次のように書いている。

 当初はこまかく原稿内容に注文を出していた潮氏だったが、原稿執筆の半ばあたりで氏の敬愛していた若山富三郎氏の死という出来事があり、構成を変更して、その模様を冒頭と末尾に持ってくることにした。その、プロローグの葬儀のシーン(潮氏の話をもとにこちらがまとめた)の原稿に目を通してもらったとき、潮氏は僕の目の前で原稿にポトリと涙を落とし、
「ここまで僕の気持ちをわかって文章にしてくれたのなら、もうこれからは何も言わず、一切おまかせします。唐沢さんの書く言葉は、間違いなく僕の言葉だ」
 と言ってくれた。心底からうれしく思ったことを覚えている。

しかし、これをもって潮氏が著作者の名義変更を認めたとは考えられない。「一切おまかせします」と言ってるのは、普通に考えれば『星を喰った男』の文章と構成についての話だろう。
 また、唐沢俊一「裏モノ日記」2001年5月26日でこのようにも書いている。

その後『星を喰った男』の文庫化の際、著作権者から潮さんの名を削ったことで、私もいろいろ陰口を叩かれたが、あれは実のところ、出版に対し、この弟さん側から何か言ってくるのを封じるという目的があったのである。

これは逆にマズいことをしたと思う。むしろ名前を変えてしまったせいでトラブルの種を作ってしまったのではないか。上に書いた通り、『星を喰った男』の著作者の名義変更は潮氏の氏名表示権を侵害している疑いがあるのだ。裁判になっていたらどうするつもりだったんだろう。まあ、唐沢俊一がデタラメなのはわかりきっているのだが、理解できないのは早川書房が著作者名義の変更を認めたことである。裁判沙汰のリスクを抱えてでも「著者データを統一」したかったのだろうか。早川書房が最近出したムハマド・ユヌスの自伝には共著者(アラン・ジョリ)の名前も明記されているから、最近では「著者データを統一する」ことにこだわっていないようだけど(ユヌスは他にも早川書房から本を出している)。
 それに『星を喰った男』文庫版の奥付では

(C)Kenji Usio&Syun-iti Karasawa

と、潮氏はちゃんと著作者になっている。文庫版の表紙の画像を見ると、潮氏より唐沢の名前をデカデカと表記していてデリカシーに欠けていると思わざるを得ない。くりかえしになるが、唐沢は潮氏の話を聞いてまとめただけなんだから、裏方に徹するべきであろう。どうして目立とうとするのか。

疑問その2。『星を喰った男』はどのような形で書かれているのか?
 上に書いた通り、唐沢俊一は「文庫版読者の皆様へ」で

前著の執筆作業は、潮氏のとった膨大なメモと、唐沢がインタビューした総計十数時間に及ぶテープをもとに、唐沢が潮氏の口調をいかした形でまとめ、原稿にする形をとった。

と書いている。ところが、単行本の『星を喰った男』の「編集構成を終えて」で唐沢俊一は違うことを書いている。

 その潮さんの書き下ろされた原稿は、この本に直せば優に五百ページを超え、とても一冊としてまとめきれるものではなかった。涙をのんで削除したエピソードの分量は、元原稿の三分の一にもあたる。

…えーと、この文章を読む限り潮健児は自分で原稿を書いていたように読めるんだけど。それだけの量のものを「膨大なメモ」とは言えないのではないか。それに『星を喰った男』を読んでいると「書く」という言葉が散見されるので、やはり潮氏がオリジナルとなる原稿を書いていたように思われる。ことさら「潮健児が書いている体」を装う必要があるとも思えないのだが。『脳天気教養図鑑』(幻冬舎文庫)P.142では、

……このショッカー怪人の鳴き声に由来するハナシを始めとして潮氏の、東映全盛期の撮影所のウラ話バカ話のおもしれーのなんのって 
私ゃそのうち聞き書きで本にしようと思うぞ
地獄大使大いに語る」てえタイトルはどうだ

と書いているところから最初から「聞き書き」にするつもりだったようだし。それに『カルト王』(幻冬舎文庫)P.49にはこのようにある。

 そのうち、僕の事務所にいたタレントを引き抜きにかかり、あげく、そのタレントが書いていた本の原稿をだましとり、出版詐欺をやらかそうとたくらんで大騒ぎとなった。

「タレント」というのは潮氏のこと。…やっぱり潮氏は原稿を書いていたんじゃないかなあ。

疑問その3。『星を喰った男』の編集・構成は適切か?
 『星を喰った男』文庫版の「文庫版読者の皆様へ」で唐沢俊一は次のように書いている。

 掲載したエピソードは上記のメモ及びインタビューの中から唐沢の責任において選択したものであるが、すべて潮氏が細かく事実を確認し、またその配分や人名の表記法(本名、仮名、イニシャル等の使い分け)等も潮氏の指示によるものである。今回の文庫化に際しては、単行本の際、諸般の事情で仮名を使った部分のいくつかを本名表記に直し、ページの関係などでカットしたエピソードをいくつかつけたす、といった作業を行なった(原文ママ)。何ヵ所かの部分において、潮氏の記憶違いでは、という指摘も受けたが、人名・地名等の表記の他は、潮氏がすでに亡くなっていることもあり、また確認が不可能なことがらが大部分のため、そのままとした。

 文庫版で付け加えられているのは、P.92〜94の天津敏のケチ話が目立つくらいで、ほとんど単行本と変わりがない。それから単行本から変更されている点もある。若山富三郎が銀座の甘味喫茶に行く場面で一緒についてきているのが単行本では志賀勝だったのが文庫版(P.211〜212)では関山耕司になっている。さらにカットされた部分もある。単行本P.153にあった以下の文章がカットされている。

(前略)もっとも『ピラニア』と呼ばれたのは、彼らより僕の方が早いんです。
 健さん任侠映画で、僕が池部良さんをドスで刺し殺すシーンがあるんですが、そのときの僕がすさまじくこわい顔をしていた、というんで池部さんが僕のことを
「ピラニアさん、ピラニアさん」
と呼ぶようになったんですよ。それが撮影スタッフにもひろがって……それを思うと、本当に僕は彼らの元祖かな、といい気分になるんです。

…全然「そのまま」にしてないじゃん。しかし、一番問題なのは潮氏のあとがきを改変していることである。まずは単行本のあとがきの締めの部分。

 人生は日々、挑戦であると思います。これからが私にとって最後の正念場でございます。人生の大半を映画の世界に生きた者にとって、その最後の場所はやはり映画界しかございません。何卒いま一度、映画俳優・潮健児にお力添えを賜りますようお願い申し上げる次第でございます。最後になりましたが、出版の企画から編集・構成までお一人ですっかりやっていただいた唐澤俊一さん、仕事の枠を超えてこの本に入れ込んでくださったバンダイの加藤智課長、拙い本に対し過分のお言葉をお寄せいただきました清川虹子様、池部良様、出版までにいろいろお手数ご迷惑をおかけした大野浩さん、なみきたかしさん、藤井敏夫さん、装丁・イラストレーションを引きうけてくれた片山雅博さん、そして、誰よりも、銀幕の中の私の姿をお心に留めて下さり、いままたこの本を御購読下さいました皆様に、改めて、衷心より熱く御礼申し上げます。
 有り難うございました。

単行本では「唐澤俊一」という表記がされている。次に文庫版のあとがきの締めの部分。

 人生は日々、挑戦であると思います。これからが私にとって最後の正念場でございます。人生の大半を映画の世界に生きた者にとって、その最後の場所はやはり映画界しかございません。何卒いま一度、映画俳優・潮健児にお力添えを賜りますようお願い申し上げる次第でございます。最後になりましたが、出版の企画から編集・構成までお一人ですっかりやっていただいた唐沢俊一さん、出版を実現させてくれた大野浩さん、そして、だれよりも、銀幕の中の私の姿をお心に留めて下さり、いままたこの本を御購読下さいました皆様に、改めて、衷心より熱く御礼申し上げます。
 有り難うございました。

…見ての通り、潮氏が謝辞を述べている人たちが文庫版では一部カットされている清川虹子池部良は単行本に推薦の言葉を寄せていて、片山雅博氏は単行本の表紙と本文中のイラストレーションを描いているが、推薦の言葉とイラストは文庫版には収録されていない。しかし、だからといって、故人の感謝の言葉を勝手にいじっていいものだろうか。こういうところを見ても、唐沢俊一が潮氏のことを大事に考えているとは思えない(本人は必死に弁解しているが)。ちなみに、大野浩氏は「ショッカーO野」名義で活動されているプロデューサー、加藤智氏は現在キャラアニの社長をされている。

疑問その4。唐沢俊一は潮氏の名誉を汚していないか?
 唐沢俊一は「文庫版あとがき」で次のように書いている。

 この本の出版を企画してから四年の間、潮さんとは実際の家族以上の深いおつきあいをさせていただいた。潮さんも、僕のことを家族のように思ってくれていたようだ。それは、肝臓病に犯されていた潮さんが、上記の虎ノ門病院に定期的に入院する際はいつも、保証人に僕の名を使っていたことでもわかると思う。

唐沢俊一は大事なことを書いていない。潮氏は晩年唐沢俊一がやっていた芸能プロダクションに所属していたのだ。俳優が入院するときに所属するプロダクションの社長が保証人になったわけであって、保証人になったことが潮氏が唐沢俊一を信頼していたことの証明になるわけではない(あえて意地悪な書き方をしている)。それに単行本での著作者の表記は次のようになっている。

(C)潮健児・カラサワ企画

「カラサワ企画」というのが唐沢俊一のやっていたプロダクションの名前なのだろう。…というか、単行本で「カラサワ企画」だったのが文庫版では「唐沢俊一」になっているのはアリなのか?ちなみに、唐沢俊一は「オノプロ」と「カラサワ企画」が同じであるかのような書き方を「裏モノ日記」でしているが、今回取材をしていて妙なことに気づいたのでいずれ調査してみるつもりだ。
 「トンデモない一行知識の世界」さんが嘆いている通り、唐沢俊一は「文庫版あとがき」でも「裏モノ日記」でも潮氏のことをそっちのけで自分を正当化することばかりを書いている。たとえば、「裏モノ日記」2000年3月5日では、潮氏の葬儀の後であったトラブルについて書いているが、そういうトラブルが起こること自体が唐沢の行動に問題があったことの証明なのだと思う(長文なので引用はしないが、唐沢俊一がどうして遺骨を渡すまいとしたのかよく分からない)。さらに「文庫版あとがき」から。

それには、あまりに潮健児と僕が密着していた故だろう、心ない一部
のファンたちからあびた、
「唐沢という男は潮健児を私物化している」
 という非難の声も一因となっている。古くたちのファンにとって、突然脇から出てきて、潮さんのスケジュールを牛耳る僕の姿は、確かに、さぞ憎々しげに映ったことだと思う。しかし、私物化と言うが、では、山ほどいる熱烈なファンたちのうち、いったい誰が、自腹を切ってまで潮健児の晩年を看取ろうとしてくれたろう? 潮健児の名を利用しようというYのようなゴロから、潮さんを守るには、私物化的な形で囲い込むしか方法がなかったのである。

 唐沢俊一にそのような意思がなかったとしても、現実問題として潮氏の自伝の名義を変えちゃってるんだから「私物化」してると言わざるを得ないし、唐沢俊一自身が「潮健児の名を利用しようという」ゴロになってはいないだろうか。「自腹を切ってまで」となどとわざわざ言い募ることが潮氏の名誉まで汚していることに気づいたほうがいい。
 さて、『古本マニア雑学ノート2冊目』(ダイヤモンド社)には「唐沢俊一ビブリオグラフィ」という唐沢俊一の自著解説が載っている。唐沢俊一自身による『星を喰った男』単行本・文庫版の解説を見てみよう。まず、P.229より単行本の解説を紹介。

 この当時、僕は伯父のやっていた芸能プロダクションを引き継いで、六本木に事務所を持っていた。これでひどい目にあったことは、いろんなところで書いているのでここでは略す。とにかく、そこの事務所の看板タレントが、『仮面ライダー』の地獄大使役で有名な、潮健児氏であった。『脳天気教養図鑑』の中に出会いのエピソードは書いたが、その話の面白さに、これは本にしなければならない、と決心して、1991年くらいから書き始めたものだった。ところが、いろんな事情で出版社を転々とするハメになり、その間に潮氏は病篤くなって、いよいよ出版が決まったときには、すでに余命いくばくもない状態であった。そして、この本が無事、できあがったことを確認し、山城新伍、梅宮辰夫などのスターもかけつけた出版記念パーティで元気に来客たちに挨拶して、その24時間後に潮氏は病院で不帰の人となったのだった。僕のモノカキ人生の中でも、最もドラマティックな形で完成した一冊である。

次に文庫版の解説。P.224より。

 元本はかなりの数の雑誌の書評欄などに取り上げられ、好評だったのだが、直後にバンダイが出版部を廃止して、出版部はそっくりメディアワークスに移ってしまった。そのため、書店等で手に入りにくくなり、復刻の要望が強くなったので、前回紙数の関係でカットした部分などを復活させ、早川書房で文庫化してもらった。このときもいくつかの雑誌に好意的な書評が載った。文庫化したものにこのような書評がなされるのは珍しいことではないかと思う。著者名をこのときに当たって、唐沢俊一名義に戻したが、これを売名行為だといって非難してきたやつがいたのにはホトホトいやになったものだ。そもそもこういう輩は、潮健児のことを世の中に知らしめ、映画史に残すという出版の目的を取り違えているのである。

 「唐沢俊一名義に戻したが」とあるが、『星を喰った男』はそもそもあなたの名義の作品じゃないだろう。唐沢俊一のやったことは潮氏の話を編集して構成したということなんだから、『星を喰った男』は唐沢俊一個人の名義で成立する書物ではない。それになんなんだろう、潮健児の自伝を出してやったんだから感謝しろ」とでも言いたげな書き方だが、むしろ映画史にとって唐沢俊一のやったことはマイナスである。現在、『星を喰った男』を新刊で入手することは不可能であり、仮に復刊するとしても、著作権法に触れる疑いのある本がスムーズに復刊できるのだろうか?潮健児という名優の自伝を入手困難にしてしまった罪が唐沢俊一にはあるのだ。
 もうひとつ、この「唐沢俊一ビブリオグラフィ」を見ていてビックリしたのは、『星を喰った男』が「評伝」と分類されていることだ。…『星を喰った男』のどこが「評伝」なのか。始めから終わりまでずっと潮氏の体験談で占められていて、唐沢俊一の「批評」らしきものなんてまるでないのだが。それに『星を喰った男』は「自伝」としては文句なく面白いけど「評伝」としてはまるでダメである。まず、潮氏に不都合な事実が書かれていない。たとえば、『バトルフィーバーJ』を潮氏が降板した件について書かれていない(詳細は各自で調査されたい)。「評伝」を書く人間なら間違いなく追及するところなのに。次に『星を喰った男』を読んでも潮健児という人物や当時の映画業界の全体像が見えてこない。「評伝」というからには外部からの視線で「批評」しなくてはならないはずだが、『星を喰った男』はただただ潮氏の経験談が無造作に並べられているだけであって(もちろんそれらの話自体は面白いのだが)、「批評」どころか全体像を示すことも出来ていない。「評伝」を名乗るのなら資料を調べなければならないし、関係者にも取材をしなくてはならないのに、唐沢俊一がそうした作業を行った形跡はまるで見られない。これではとても「評伝」とは呼べない。


 …さて、こうなってくるとテキストを分析するだけではおさまらなくなってくる。というわけで、『星を喰った男』文庫版を出した早川書房に電話をして質問をしてみた。すると、「当時の担当者が退社しているため詳細はわからない」というお返事を頂いた。…まあ、12年前のことだしなあ。ただ、Amazonで『星を喰った男』の著者が変更されたことを指摘したレビューが削除された件もあるので、誰だか気にしている人はいるようなのだが。調査は今後も継続していくので新事実が分かり次第お知らせするつもりだ。現時点では、『星を喰った男』について唐沢俊一はかなりわけのわからないことをやっているとわかっていただければそれで良いと思う。
 最初にも書いた通り、『星を喰った男』の検証を最初に行ったのは『トンデモない一行知識の世界』さんで、『星を喰った男』のテキストについてかなり詳細な分析がされているので、ぜひ当ブログとあわせてお読みください。
『星を喰った男』の著者が潮健児というのは単行本の嘘だったの?
『星を喰った男』の著者が唐沢俊一というのは文庫版の嘘だとしか
『星を喰った男』の「文庫版あとがき」 1 ページ目
『星を喰った男』の「文庫版あとがき」 2 ページ目
『星を喰った男』の「文庫版あとがき」 3 ページ目
星を喰った男を食い物にした男、唐沢俊一
文庫版の『星を喰った男』には載っていないこと
唐沢俊一と潮健児の過ごした平成の 2 年間と数ヶ月について

…で、実は唐沢俊一には『星を喰った男』と同じような問題がもうひとつ存在するのである。この件については次回の記事で取りあげてみる。


※追記  感情的になりすぎた部分がいくつかあったので、その箇所に関して表現を改めました(2012年8月25日)。

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