唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

唐沢俊一の『カリオストロの城』批判を検証してみた。

 『B級学【マンガ編】』(海拓舎)で、唐沢俊一は『ルパン三世 カリオストロの城』のストーリーは矛盾だらけであると書いている。P.257〜258より。

 まず、冒頭、カジノを襲ったルパンと次元が、その札がニセ札であると見抜き、そのニセ札原版をねらってカリオストロ公国へ向かう、というシーン。ストーリーの中に主人公がからんでいく重要な動機づけのシーンだが、ここで宮崎は観客サービスとして、奪ったニセ札をルパンが盛大に車中から道路にまき散らす、という演出をしている。
 ここでまず、当時の私はひっかかった。
 理屈で考えれば(その当時はまさに理屈を必死で考えたのであるが)、世界的怪盗である主人公がわざわざ危険を犯して盗みにいこうとするほどのものである以上、その物件は主人公の価値観念に照らして、かなり高い位置を占めるものでなくてはならないはずだ。そうでなければ、この後のストーリーに緊迫感は生まれない。にも関わらず、このゴート札なるニセ札は、ルパンがチラ、と見ただけでニセ札とわかる程度の品質のもの、という描き方をされてしまっている(後半で、この札が大量生産のため品質が落ちてきているという説明があるが、この冒頭では主人公はそれを知る立場にはない)。
 おまけに、主人公はその札を盛大に放り捨てるのだ。その程度の価値しかないものを奪うために、わざわざヨーロッパの小国にまで出向くという話で、これが例えば小説だった場合、読者を納得させ得るだろうか?
 百歩譲って、後半からの主人公の行動の動機となるクラリスという少女の救出、この少女との若いころの出会いが主人公の潜在意識の中にあり、この冒頭の段階では、それがゴート札というものによって触発されたという程度の描写なのだとすると、主人公はそのような超個人的思惑のために次元、五衛門のような仲間を危険な冒険に引きずり込んでいるわけで、ルパンというキャラクターを考える際、これは首肯できる話ではない。

 唐沢は『BSアニメ夜話』でも同様の話をしている。以下『キネ旬ムックBSアニメ夜話Vol.01ルパン三世カリオストロの城』(キネマ旬報社)P.48より(他の出演者の発言は割愛)。

でも要するに、あの〜この作品て、要するにテレビシリーズに合った脚本をもう一遍使ってね、それであの何と言うんですかね、各シーン各シーンに宮崎さんの技術っていうのは込められているんだけれども。一番最初に、僕、悪口を言った男だと言いましたけれども、その一つはストーリーに全然整合性がないところなんですよ。見てる分には全然関係ない(気にならないん)ですよ。ところが、書いて、この作品について何か評論を書こうと思って、しかも褒めようと思って書いたときに、あれ?と。まず、なぜルパン三世カリオストロ公国に忍び込もうとしたのか。
話の中では、あの一番最初にゴート札っていうのを、あれを奪って、それを盗みに入るってことですよね。ところが、一番最初にVTRが流れたけどもさ、持って札を見て一目でニセ札だと分かり、つまり出来が悪いわけですよ。それをぱあっと投げ捨てるじゃないですか。つまり、価値がないものルパンはそこで判断しているわけです。

 自分は最初に唐沢の文章を読んだ時に「原版を手に入れれば後からいくらでも刷れるんだから、盗んだニセ札を捨てたって別におかしくないし、価値がないと判断したとは言い切れないんじゃ?」と思ったが、唐沢にとってはそのように考えるのは間違っているらしい。『BSアニメ夜話』P.112より。

だから、どう考えても穴があるところに、自分なりに色々と理屈を、裏の設定を自分で作ってね「こうだったに違いない」。違いないって言っても(笑)、そんなことはね、あんたが考えているだけでしょうということであって。

というわけで「脳内補完」をするのはダメらしい山本弘「と学会」会長は『ガンダム』のSF設定をファンが補完していったことについて柳田理科雄批判本で好意的に書いていたけどなあ。
 しかし、問題はもっと基本的なところにある。検証のために『カリ城』を観てみて気づいたのだが(「面白っ!」クラリスいいなあ…」という具合にのめりこんで観てしまった)、唐沢俊一は『カリ城』のストーリーを理解できていないのだ。
 まず、ルパンはゴート札の原版を盗むためにカリオストロ公国に行ったわけではない。というか、実はルパンがカリオストロ公国に行った理由について劇中では明確な説明がされていないのだ。原版を盗みに行ったのかも知れないし、ゴート札の秘密を暴きに行ったのかも知れないし、ニセ札をつかまされた仕返しに行ったのかも知れないが、少なくとも映画を見ただけではそれはわからない。だから、逆に唐沢俊一の方が「こうだったに違いない」と補完してしまっていたのである。映画のラストで不二子がゴート札の原版を持ち出しているのを見たルパンが羨ましがっているのを見て「ルパンは原版を盗みに来たんだ」と思い込んでしまったのだろう。なお、『BSマンガ夜話』で、ルパンが冒頭でニセ札を捨てておきながらラストで原版を欲しがっていたことについて岡田斗司夫氏も「明らかに論理矛盾」と言っているが、説明不足ではあるかもしれないが矛盾はしていないのではないか。まあ、簡単に言い切っちゃうのがツッコミ好きの岡田氏らしいけど。
 次に、「ルパンがチラ、と見ただけでニセ札とわかる程度の品質のもの」というのは誇張である。劇中ではルパンが良く見てみてニセ札だとやっとわかるという描写がされている。次元はニセ札だと見抜けていないし、ニセ札工場に忍び込んだ際にルパンは「こりゃよくできているぜ」と言っていることから、ゴート札の品質が高いものであることは明らかである。だから、これも伯爵がゴート札の品質が落ちていると部下を叱るシーンからの「脳内補完」ということなのだろう。
 みっつめ、「これが例えば小説だった場合」という指摘は難癖でしかない。映画と小説じゃ技法は当然異なるんだから比較したってしょうがない。
 もうひとつ、ルパンは普段からわりと「超個人的思惑」で動いてるように思うのだが。唐沢の考えるルパン三世ってどんなキャラなんだろう。

『B級学【マンガ編】』P.258〜260より。

 そして、この主人公と、少女クラリスをはさんで対立関係に置かれる悪役・カリオストロ伯爵の存在であるが、彼の悪役としての動機、これがまた、脚本から読み取れる限りでは、ストーリーの展開になんの関与もしていない、立脚点のあやふやなものなのである。
 彼とルパンの争奪合戦の対象物は、クラリスの指にある、公国の莫大な財宝のありかを秘めた指輪である。各シーンにおいて、伯爵の手先たちとルパンたちは、この指輪を争って命がけのバトルをくりひろげる。ところが、ストーリーの流れを子細に追っていくと、この指輪がまったく、重要なものとして描写を与えられていないことに気がつくだろう。
 まず、当の所持者であるクラリスが、この指輪をルパンに、伯爵の手の者から救ってくれた謝礼に手渡そうというシーンがある。その後の展開からも、クラリス自身はこの指輪になんの執着も示しておらず、父母の死によって世をはかなみ、修道院で一生を送ろうとしていたところを、伯爵によって無理やりに現世に引き戻された、という設定になっている。これでは、この指輪はマクガフィン(なんだかわからないが、主人公たちがそれに執着することによってストーリーを進行させる媒体になるもののこと)にすらなり得ない。
 キャラクターの心理に自らを重ね合わせれば、なぜ、クラリスは、伯爵の真の目的である指輪(今の自分にはなんの用もない、いきずりの泥棒に与えてしまおうとさえする程度のもの)をさっさと譲って、伯爵との結婚を避けないのだろう、という疑問がわくのは当然のことだろう。

BSアニメ夜話』P.57〜58より

ただね、このキャラクター(引用者註 クラリス)もやっぱり間尺に合わない行動をしていてですね。つまり、ようするに、この絶対にカリオストロ伯爵にその指輪を渡すのがイヤだ、みたいに。この指輪は自分のものみたいに言っているのに、一番最初に(ルパンに)会ったときにね、何もないけどこれでって……(抜いて渡そうとする)
渡しちゃうんだよ!その程度のものだったら、伯爵にでも何でも渡せばいいじゃないか、この女は!と。

…指輪争奪戦なんかしてるかなあ?どちらかというとクラリス争奪戦と言った方が正確だと思う。ルパンは最初にクラリスと会ったときに指輪を入手していて、クラリスを助けるために城に潜入したわけだし。あと、伯爵は財宝だけでなくカリオストロ家をひとつにまとめることも目的にしていたわけだから、クラリスが指輪を渡したとしても伯爵との結婚を避けられたかどうか。それにクラリスが「この指輪は自分のものみたいに言っている」シーンっていったい何処にあるんだ?指輪を無理に重要視しようとするからおかしな解釈になるんじゃないかと思う。続いて『B級学【マンガ編】』P.260より。

 伯爵の動機づけになるともっとあいまいで、彼の場合、ひとつの作品中で、
①ゴート札による世界歴史の操縦
②公国の隠された財宝
クラリスとの結婚
の3つを同時にねらっており、そしてこの3つは、一見、有機的に結びついているように見えて、実は話の中では並列に語られているに過ぎず、まったく相互に関連のないことに気づく。
 そもそも、世界の歴史を塗り変えるほどの力を持つゴート札の製造を一手に握っていながら、チンケな一小公国の財宝をねらう、という性格設定の分裂が(ここらへんは後に『風の谷のナウシカ』等で宮崎駿は半ば確信犯的に行うようになるが)普通ならどう考えてもおかしい。
 その他、この作品中で、ストーリーが破綻しているところを数え上げれば、それこそどれほどページがあっても足りないことと思う。

 伯爵の動機のうち②と③はカリオストロ家をひとつにするという意味では関係しているのではないか。それから、どうして公国の財宝が「チンケ」だと言い切れるのか。唐沢俊一は『BSアニメ夜話』で『カリ城』には他にも破綻しているところがあると言っている。『BSアニメ夜話』P.50より。

ルパンの必然性はないし、カリオストロ公国があんな城にでかい仕掛けがあるのに、あの世界の歴史を変えるゴート札で全てを手の内にやっている伯爵が自分の城に、あんなでかい仕掛けをしてあったのが気づかないというのも、そもそもおかしいし。全てのところに矛盾だらけなんですよ。

 伯爵が気づかないほど巧妙な仕掛けだと考えることも可能だと思うけど。粗探ししようとしているから「全てのところに矛盾だらけなんですよ」と思えてしまうんじゃないか?実際、唐沢俊一は『カリ城』を批判するようになった動機についてこのように語っている。『BSアニメ夜話』P.111〜112より。

それ(引用者註 思想性が盛り込まれたアニメ)に比べれば『カリオストロの城』はまず純粋エンターテインメントなんで、宮崎さんの、いわば悪いところが出ていない作品で(笑)、だから最初は、僕は「これいいじゃないですか」と弁護に回っていた形がありますね。ま、それにしたって、国の主要産業である偽札工場を滅ぼして、これから国に残ったクラリスがどれだけ苦労するか、とかいう思いはありますが(笑)、まあ、そこまで言うのは野暮ですしね。しかし、これが絶賛され始めたのは、それからでしたね。そうすると今度は180度変わって大絶賛になったんですよね。アニドウ(アニメーション同好会)発行の「フィルム1/24」というアニメ批評誌がありまして、その中で、とにかく「ああ、面白かった」というような意見で埋め尽くされていて、するというと、「しかし脚本にこれだけ穴があるのは(原文ママ)見逃すのはいかがなものか」というようなことを主張しはじめて……われながらひねくれているけど、自分の中で、「こんなとっつきがいのあるアニメで論じ合わないのはもったいない」というのが正直なところでしたね。

…要するにいつものことですね。「流行っているものが気に喰わない」という。それで立場まで変えてしまうとはちょっとビックリしてしまうけど。いや、意見に価値があれば立場を変えたってかまわないんだけど、唐沢俊一は『カリ城』のストーリーをちゃんと理解できていないからなあ。本当に劇場で10回以上見たのかと唐沢俊一はこういうことも言っている。『BSアニメ夜話』P.112より。

だから、どうなんでしょうね?これは『カリオストロ』に限らずアニメ全般なんですけども、欠点含めて愛するということは日本人は下手ですね。どちらかというと絶賛するということになると、欠点を一切言わないとか、指摘してはいけないとか。

で、「欠点をむしろ言い立てろ」と主張し、それが「宮崎駿の演出家としての才能、天才性というのは称揚されることになる」としている。「欠点含めて愛する」というのは山本弘「と学会」会長も似たようなことを書いてたっけ。しかし、唐沢俊一の挙げている『カリ城』の欠点ってどれも的外れだからなあ。的外れな指摘をしているせいでかえって「欠点含めて愛する」ことを難しくしているような気がする。欠点を言い立ててもそれが的外れだったり皮肉交じりだったら聞いていていい気持ちはしないもの。いくら当人が「好きだからこそ欠点を言ってるんだ」と主張したとしてもね(この点は岡田斗司夫氏と山本会長にも共通しているかも。さすがに唐沢ほど的外れではないけど)。だから、『BSアニメ夜話』で国生さゆりに首を絞められるんだよ(ムックに写真が載っている)。この後、若いファンは物を知らないとか『エヴァ』を褒めていた批評家への批判もあるけど、こんな的外れなことばかり言ってる人に言われても「お前が言うな」としか思えない。いくら映画をたくさん観ていても、同じ映画を繰り返し観ていても、ダメなものはダメなのだなあ。まさに最高の反面教師だ
 唐沢俊一は『カリ城』はストーリーは破綻しているが、だからこそ素晴らしいのだと書いている。『B級学【マンガ編】』P.262より。

 もう一度言うが、この作品のストーリーは破綻だらけである。しかし、その破綻が、決して意味のない破綻でなく、ドラマとしての作品の起伏のために犠牲にされている。もう少し言葉を加えれば、アニメにおいて、作品としての出来(おもしろさ)のために、まず犠牲にされるべきはストーリーなのだ。
 ストーリーの整合性を捨てたところからドラマは始まる。逆に言うなら、そこらへんにこだわってジタバタしているうちは、アニメの、いや映像芸術の真の価値は見えてこないだろう。

 いや、ストーリーの整合性も映像芸術においては大事だと思うけど。ストーリーが破綻してないからこそ今でも『カリ城』は名作として称えられているんじゃないか?唐沢俊一は『カリ城』のストーリーの「破綻」に気づかない評論家をバカにしているが、はたして本当にバカなのはどっちなんだろう。
 細かいことだと、『BSアニメ夜話』で唐沢は『カリ城』のルパンと小林まこと『1・2の三四郎』の東三四郎が酷似しているとかよくわからないことも言ってる。…似てるか?


※  文章を一部編集しました。

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