唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

日本を貧乏にしてしまえっ!

唐沢俊一村崎百郎『社会派くんがゆく!怒涛編』(アスペクト)P.42

 日本の食料自給率の話が出てきたが、もともと「トヨアシハラノミズホノクニ」とまで呼ばれた日本でなぜ、食料が不足するのか。それは受容(原文ママ)と供給のアンバランスが問題なのである。フランスの食料自給率が高いのは、自国の農家が作っている農作物や牧畜の食肉が、すべてフランス人がよく食べるものだからである。対して日本は、日本人の食べるものを農家が作らない。農家が作るのは米だが、今の若い連中は米を食べない。パンの方を食う。漁業だって、四方が海で囲まれた環境にありながら、最近の日本人は魚より肉を好む。明治期の文明開化、それから戦後の生活の洋風化により、日本は自国にないものばかりを求め、結果、国民の首を絞めているわけである。
 食料自給率を上げるのなら、“日本風の食生活こそカッコいいのだ”という意識を植えつけることである。何のために、ジャニーズがあるのだ、ハロプロがあるのだ。農家に毎年支払う補助金のホンの何パーセントでいい、あの連中にちょっと金をやり、ふだんから和服を着せ、オニギリを食わせ、タクワンとメザシを齧らせる姿をテレビで流してみろ。それがカッコいいと若い世代に思わせれば万事解決。流行と聞けばフンドシ一丁で街を歩くことも辞さない現代の若い連中なら、すぐにその模倣で完全和風生活が定着する。まあ、中には一人二人、こっそり隠れてハンバーグを齧っているのがバレて問題になる奴も出るだろうが、きっとその味はドラッグ並にうまいと思うぞ。

 まず、ちゃんと社会科を勉強している小学生なら気づくことがある。「大豆はどうなるの?」醤油、味噌、豆腐、納豆という和食に欠かせない食材の原料である大豆も大部分を外国からの輸入に頼っているのだ。国産の食品だけでは「日本風の食生活」を営むことすら難しいのである。メザシだって日本近海のイワシの漁獲量には変動がある(特に近年は減少傾向にある)からいつでも食べられるとは限らない。唐沢俊一の好きなホッピーや焼酎も国産の原料だけでは現在のようには作ることはできないんだがどうするんだろう。それに加えてもうひとつ、小学生レベルの問題がある。「日本とフランスじゃ農地面積も違うんじゃないの?」農業国であるフランスと国土に平野の少ない日本を比較することに問題があると普通なら気づくはずなのだが。それは関東農政局のサイトを見てもすぐにわかる。日本とフランスとでは実際の農地面積も「国民一人あたりの農地面積」もまるで違うのである。そりゃあ、自給率も当然違うだろう。「国民の食生活の変化」だけを原因だと考えるからおかしくなるんだよ。
 食料自給率については農業政策の問題も大きいが、外交政策の問題でもある。たとえば、それまである国から輸入していた食品を日本だけで自給しようとして輸入を減らしたりしたら、当然その国とは揉めることになるはずなのだが…、こういうことを考えないのかなあ。まあ、『怒涛編』の別のコラムではさらに無茶なことを書いているから、考えていないのかもしれない。以下は『怒涛編』P.108より。

 そろそろ、国家百年のために、“日本貧乏化計画”を発動させなくてはならない。これはマジでそう思う。何も家がないほどのド貧乏でなくてもよい。昭和三十年代頃の、肉が月に二度くらい食べられる程度の貧乏でよろしい。目刺しと味噌汁さえあれば、人間そう簡単に栄養失調になどなりゃしない。テレビも地デジなどもってのほか。白黒に戻せ。テレビに色がついて、何かトクすることがありますか?想像力さえあれば、白黒のドラマに脳の中で着色して、どんなデジタル画面よりも美しい色彩をそこに現出させられる。そもそもが、富国政策を取り続けたことこそが、日本がたった戦後数十年でここまでダメになった最大の理由であった。徳川幕府は三百年続いたが、その秘訣は“国を豊かにし過ぎない”ように目を配っていたからである。ぜいたくをし過ぎると罰せられたのである、あの時代は。だからこそ、国民は余計な欲望を持たず、失望もせず、現状に満足することを覚え、平和が三百年持続したのだ。政治の常識を一八〇度変えてみようではないか。“国民を豊かにし過ぎない政治”。これこそが日本が進むべき道なのだ。ちょっとの貧乏、ちょっとの不便、ちょっとの希望。これがどれだけ人の心を豊かにするか、考えてみろ。今の不幸は、周囲もちょいリッチなもので、本当にリッチになったときにその気分を味わえないことである。周囲が貧乏なときの成功者ほど、いい気分のことはないぞ。

…傲慢だなあ、と思う。日本を目標にして経済発展を図っている国が世界にはたくさんあるというのに、自らすすんで貧乏になろうとするとは。そういう国には「貧乏なままでいてねっ!」とか言うんだろうか。そういえば唐沢はだいぶ前にアジアのマンガについて「日本のように洗練されないでほしい」と批評して夏目房之介氏にたしなめられていたっけ。それに「日本がたった戦後数十年でここまでダメになった」って何がどうダメになったのかハッキリと教えて欲しい。まあ、ガセやパクリを多数やっているライターがいまだに罰を受けることもなく仕事を続けていられるのだから日本は「ダメになった」のかも知れないけど(逆に唐沢俊一にとっては日本はいい国なんだろうね)。あと、「テレビに色がついて、何かトクすることがありますか?」って、東大の講義でウルトラマン』を初めてカラーテレビで見たときのことについて熱く語ってるのを自分はしっかりと聞いてるんだけど。思いつきで話してるから矛盾がボロボロ出てくるんだって。「想像力さえあれば」って、唐沢俊一に人並みの想像力があればここまでガセを量産することもなかったと思うのだが。それから、江戸時代が265年続いたのは「ぜいたく禁止令」のおかげだというのは珍論すぎる。「国民は余計な欲望を持たず、失望もせず、現状に満足することを覚え」ているだけだったら、元禄文化化政文化は存在していただろうか。江戸時代は実は社会的にも経済的にもかなりの変動があってただ単に「平和」だったわけではないんだけど(そこが面白い)、そういう部分もスルーしちゃうのかなあ。
 個人的に特に指摘しておきたいのは「今の不幸は、周囲もちょいリッチなもので、本当にリッチになったときにその気分を味わえないことである。周囲が貧乏なときの成功者ほど、いい気分のことはないぞ」という文章のさもしさである。前に掲げたP.42のコラムのラストの「まあ、中には一人二人、こっそり隠れてハンバーグを齧っているのがバレて問題になる奴も出るだろうが、きっとその味はドラッグ並にうまいと思うぞ」も同じなんだけど、どうしてこの人は周囲と比べないと幸福だって感じられないんだろう?自分が満足してるなら周囲がちょいリッチだろうと貧乏だろうと関係ないと思うんだけど。よっぽど自信がないんだろうか。思わず「周囲がバカなときの利口者ほど、いい気分のことはないぞ」と改変してしまったりして。自分より知識のない人間に対して雑学をひけらかして喜んでるんじゃないだろうな?と思ってしまったよ。

社会派くんがゆく! 怒濤編

社会派くんがゆく! 怒濤編

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