唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

どうして余計なことを書いてしまったのでしょうか?

唐沢俊一『猟奇の社怪史』(ミリオン出版)P.119

 本誌が発行された昭和二年という年は実質的に昭和元年である。昭和元年は大正天皇が十二月二十五日に亡くなったため、たった一週間しかなかった。年が変わってすぐの二月七日に御大葬があり、それに合わせ、巻頭ページには、大葬に出席して大正天皇を追悼する芳賀矢一博士(当時の国文学の第一人者。唱歌『才女』の作詞者)の詩が掲載されている。
(中略)
 ここで芳賀博士は大葬に参列して寒風が身にしむ、と詠っているが、もちろんこれは締め切りの関係上、想像で作った詩。芳賀博士が大葬に参列できたはずがない。何故かというに、博士はこの大葬の前日に急死しているからである。

 芳賀矢一が作詞をしたとされているのは唱歌『三才女』唱歌『才女』の作詞者は不明。なお、『三才女』の作詞者は芳賀矢一でなく石原和三郎であるという説もある。石原和三郎は『兎と亀』・『金太郎』・『花咲爺』などの唱歌を作詞している。

※追記 このガセビア「トンデモない一行知識の世界」でも取り上げられています。

猟奇の社怪史

猟奇の社怪史

日本人論 (1977年) (富山房百科文庫)

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