このブログに「殺し」はあるか?
「プロレスは底が丸見えの底無し沼である」
という『週刊プロレス』編集長の言葉を森氏は最後に引用して
「不思議だ。この言葉における“プロレス”を“ナショナリズム”に置き換えたとしても、意味はそれほど変わらない」
と述べている。要するにナショナリズムをせいぜいがショーとしてのプロレスと同等のもの、と矮小化しようとしているのだろうが、しかしそのプロレスにおけるナショナリズムの権化たるグレート東郷の謎ひとつ、森氏は解明できなかった。ナショナリズムを笑う権利はまだ、この著者にはないのではないか。
これはねえ、プロレスファンにあるまじきミスですよ!(ドンッ)。「プロレスは底が丸見えの底無し沼である」が『週刊ファイト』の井上義啓元編集長(通称“I編集長”)の名言ということは、「プロ格者」、いやプロレスファンなら知っていて当たり前である。唐沢俊一はプロレスにも詳しそうなフリをしているが、全然ダメというのがバレてしまった。プロレスの知識は「底が丸見えの底沼無し」とやらかしたターザン山本並みということなんだろうな、言うちゃ悪いけど。ミスター高橋が暴露本を出したときはターザンや大槻ケンヂを「今さらプロレスが八百長だって騒ぐなんてバカじゃないか」と嘲笑していたのにね。上から目線でいるとミスをしたときに余計にバカみたいに見えるからやめたほうがいいよ。
しかし、プロレスの知識がないのも問題だが(一体何の知識なら大丈夫なんだろう)、読解力のなさも致命的である。上の「裏モノ日記」の文章は、森達也『悪役レスラーは笑う』(岩波新書)を読んだ感想なのだが、大間違いである。以下『悪役レスラーは笑う』P.237より。
電話を切ってから、かつて僕を面接で落とした『週刊ファイト』元編集長井上義啓の、この言葉を僕は思い出した。
「プロレスとは、底が丸見えの底無し沼である」
……不思議だ。この言葉における「プロレス」を「ナショナリズム」に置き換えたとしても、意味はそれほど変わらない。
森氏はちゃんとI編集長の言葉だと書いているじゃないか。もしかして『週刊ファイト』の存在を知らなかったんだろうか。唐沢俊一こそが「底が丸見えの底なし沼」だな。
もうひとつ同じ日の日記から。
プロレスに付随するナショナリズム鼓舞というのはあくまでもギミックでしかないものだということは『ブラッシー自伝』などを読めばすぐわかる(彼はアングロサクソンレスラーの代表としてイタリア系のブルーノ・サンマルチノなどと抗争を繰り広げるが、引退してマネージャーになると卓抜したアイデアマンとして、弟子のレスラーたちにロシア、アラブといった反米キャラを付与して、満場のブーイングを浴びさせて大儲けさせた)。
ブラッシーの両親はハンガリーからの移民である。「アングロサクソン系」というギミックがあったのかもしれないが、ブラッシーは日本プロレスの「ワールド大リーグ戦」に「ハンガリー代表」として参加している。
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