唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

その道歌の解釈はどうかと思う。

唐沢俊一ソルボンヌK子『カルトの泉』(ミリオン出版)「はじめに」より。

「極楽は 西にもあらず 東にも 来た(北)道さがせ 南(皆身)にぞある」
 という道歌があるが、神だの仏だのというものは、どこそこにいます、というものでなく、すべて自分の身、すなわち脳が作り出したものだということを昔の人間もちゃんとわかっていたようだ。

 「脳が作り出した」というのはいささか皮相に過ぎる見方だと思う。それだったら『青い鳥』だって、「チルチルとミチルは青い鳥が自分の脳の中に棲んでいたことに気がつきました」というラストになってしまう。だいたい、道歌について「科学的」に考えるのがおかしいのではないか。

 賢い人間が信仰する神は賢い霊験を現し、愚かな人間が信仰すれば、神も愚かな神託を告げるだろう。そして、困ったことに、人間の多くは愚かな存在なのである。

 神から見れば人間はみんな「愚かな存在」だと思うけれど。それに周囲からバカにされながらも愚直に神を信じた人間が救われる話というのはよくある。『ノアの方舟』もそうなのだろうが、この場合救われた人間は「賢い」のか?「愚か」なのか?しかし「賢い霊験」って意味不明だ(「あなかしこ」と混同したんだろうか)。

 古来、宗教によって救われた者と、宗教によって命を奪われた人間の数を比較すれば、宗教を理由に殺された者の数の方がずっと多いことは確かだろう。大きくは宗教戦争や、9・11などの宗教対立を根源とするテロによって。また、小さくはあるが、家庭内におけるカルト宗教の過剰な狂信のために、我が子や親の命を失う事件も後を断たない。

 「宗教によって救われた者」の人数なんて数えようがないと思う。それから「過剰な狂信」というのもおかしい。「適度な狂信」なんてありはしないんだから

 しかし、そんな悲惨な事件を歴史の上で繰り返しながらも、人は神への信仰を決して捨て去らない。ソビエト時代に宗教を弾圧してきたロシアも、共産主義政権の崩壊後はまた、敬虔なロシア正教国家に戻っているし、宗教を認めてはいるが国家管理を徹底しているはずの中国でも、政府がカルト教団と見なして弾圧に乗り出した法輪功という集団が生まれている。

 ソビエト時代もロシア正教をひそかに信仰していた人は多かった。それから、プーチンがメドヴェージェフを後継に指名したときに、ロシア正教会がこれを支持したことなどを考えると、「敬虔なロシア正教国家」と単純には考えられないように思う。


 まえがきの段階でこの通りなので本編がいよいよ楽しみになってきました

カルトの泉~オカルトと猟奇事件~

カルトの泉~オカルトと猟奇事件~

青い鳥 (新潮文庫)

青い鳥 (新潮文庫)

旧約聖書 創世記 (岩波文庫)

旧約聖書 創世記 (岩波文庫)