唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

対談が終り、世界の終りが始まった。

唐沢俊一のトンデモ事件簿』のAmazonのレビューを読んで笑ってしまった。すごいなあ。

 『創』12月号で、岡田斗司夫唐沢俊一の連載対談『オタク論!』は最終回を迎えた。…と言っても「仕事が減った!」と喜んではいけませんw 次回からリニューアルされて連載は続くみたい。でも、この最終回がひどかった。大変なことになっている。それでは、『オタク論!』最終回「はぐれもののススメ」の検証スタート。岡田斗司夫唐沢俊一の二人が「自分たちはいかにはぐれものであるか、孤独であるか」と語っております。

唐沢(前略)ただ思うのは、やっぱり、「はぐれもの指向」が我々の世代にはあるんじゃないのかな、ということです。
 なんか徒党を組むのを避けるというところがある。まあ、とは言っても組まないとやってけない(原文ママ)ところも世の中ですけど、そういう場合は出来るだけすみっこの方に、というか。
岡田 もうかれこれ15年くらい唐沢さんと遊んできて、しみじみ思うのが「お互い徒党は組まないなあ」ということですよね。
 だって、ぼくと唐沢さんはイベントとかこの対談とかで会ったら話はするんだけれども、普段から密に連絡を取っているわけでもなく、必要なときはお互いに「誰にも言わないようなこと」を胸襟を広げてぱーっと話しちゃう。その温度って、何なんだろう。
唐沢 だから、異質なんだよね。変な話なんだけれども、もっと親しくしている友人はいっぱいいるけど、彼らにも言わないようお金絡みの話だとか、あるいは家族のこととかっていうのをなんか岡田さんが話してくる。なんでかっていうと、変なしがらみがない。それは、普段ベタベタつきあっていないから、そういうわずらわしいことがないんですよね。

…うーん、たしかに徒党を組んではいないかもしれないけど、岡田氏と唐沢の関係って「馴れ合い」にしか見えないなあ。岡田氏は唐沢の盗用について突っ込んだのか?唐沢は岡田氏のダイエット関連のトラブルについて突っ込んだのか?と思ってしまう。お互いの欠点に目をつぶったままのつきあいって決して自慢できるものじゃないと思う。それから、既に脱会した(というとカルト集団みたいだが)岡田氏は別だが、唐沢俊一は「と学会」と徒党を組んでいるだろう。自分が『悪魔の辞典』か『乱調文学大辞典』(中学1年生のときの愛読書だ)みたいに『唐沢俊一大辞典』を編むとしたら、

ととう【徒党】 「と学会」のこと

としたいくらいだもの。それといつものことながら、唐沢の世代に「はぐれもの指向」があるという唐沢の発言には根拠がまったくない。それ以前に唐沢の「世代」って伸縮自在だから信用できないんだが。ついでに書いておくと「胸襟を広げて」ではなく「胸襟を開く」。まあ、ともかく、二人が徒党を組んでいないのなら、岡田氏が伊藤剛さんと和解しても、唐沢俊一が気分を害することもないんだろうね、きっと。

唐沢 私たちは「若い世代ほど、そういう組織から独立していたい、一人でいたいって思う」のかなと思っていたら、今の若い人たちは実はすごく「組織に憧れている」とか「同じ考えの人たちの集団」というのに魅力を感じていたり、羨望のまなざしを持っている人が多い。
編集部 祭りにしたって、「みんなでやろうぜ」という一種の集団意識の現れですからね。
唐沢 「オタク」の話になっちゃうけれども、私は外から見ればオタクな活動をしてきたように見えるけれども、それは「オタク」じゃなくて、「アニメ」の活動だったんです。「アニメでこんな面白いことができたらいいなあ」みたいなところの横のつながりを魅力的に感じた、ということが私にはあるんだけれどね。それも、同じアニメを観て、同じDVDを同じ時期に観て、というのが楽しかった。
岡田 やっぱり、今は共有して一緒に何かをやっている時というのは、「ニコニコ動画でみんなが一緒のツッコミを入れる」とか「同じ番組を観ながらみんなが一斉に2ちゃんねるの実況板に書き込みをしている時」とかになるんでしょうね。そういう時は、「みんなで同じ事をやっている」という意識があるかもしれない。それ以外にはなかなか共有の意識が持てない。
唐沢 私はあれを観るとしらけちゃうんだけどね。「私が観ていればそれでいいや」と思っているから。ニコ動でもコメント消して観るもんね。

 今の世の中には若い人に限らず「組織に憧れている」雰囲気はあるかもしれない(なにせ不景気だし)。しかし、「同じ考えの人たちの集団」って一体なんなのか。全体主義国家やカルト集団には誰も憧れてないぞ。そもそも「オタクアミーゴス」会議室で伊藤剛さんを誹謗中傷した唐沢俊一こそ「同じ考えの人たちの集団」が好きなように思えるのだが。あと、唐沢が「アニメ」の活動をしていたというのは、札幌のサークルのことなのか、「アニドウ」のことなのか。「同じDVDを同じ時期に観て」と言ってるから最近のことなんだろうか。時空が歪んでいてよくわからない。それに、ニコ動や2ちゃんの実況板があるからって、「それ以外にはなかなか共有の意識が持てない」と決め付けるのはいかがなものか。それからこれは特に言っておきたいが、唐沢俊一にニコ動のコメントを批判する資格はない。なぜなら、唐沢俊一は、貸本マンガを復刻するときにわざわざ欄外にツッコミを入れて復刻していたんだから。あれに不満を持っている人は多いらしいよ。「自分がツッコミを入れるのはいいけど、他人がツッコミを入れるのは嫌だ」というのはワガママでしかない。唐沢もソルボンヌK子ツッコミは上手じゃないんだからやめておけばよかったのに。

岡田 最初のね、ぼくも唐沢さんも「頼んでもいないのに分析してくれる人」がいっぱいいるじゃないですか。そういう人たちが分析したのを読むと、世の中を仕切りたいように見えるらしいんですよ。唐沢さんはしょちゅうみんなと飲みに行ったりしているし、イベント開くときでも常連のお客さんは来ているから、そういう人たちが取り巻きをしているように見える。ぼくは仕事をするときはちゃんとプロジェクトを組んでやるし、ぼくが言っていることとかもすごく政治的に見える。政治的操作をして、こいつらを上げたり下げたりしているように見えるんです。 
 それはよくわかる。ぼくは他人から見ると政治的に見えるし、唐沢さんも他人から見ると、仲間だけを大事にして、仲間から守られているように見えるけれど、全然そうじゃない。かなりお互い孤独ですよね。

 岡田氏だって他人のことを「頼んでもいないのに分析」するのが好きなくせに、自分が分析されるのを嫌がるのはおかしい。岡田氏も唐沢俊一も本当に打たれ弱いな。あと、「他人から見ると政治的に見える」という点が大事なのであって、いくら「自分はそんなつもりじゃなかった」と言っても意味はない。政治的に動いている人間は必ず「自分はそんなつもりじゃなかった」と言うものだよ(あれ?『BSマンガ夜話』の問題の時も確かそんなことを言っていたような…)。「他人から見ると政治的に見える」ことのないように気をつけるべきだろう。

唐沢 私は、確かにみんなでワイワイと飲むのは楽しいんだけれど、その後一人になって「ふぅ」という時間が絶対欲しい、というタイプですね。

 申し訳ないが腹を抱えて笑ってしまった。…いや、それは誰だってそうだよ!そんなことは、自分が「はぐれもの」だとか「孤独」だという根拠にはならないって。

編集部 だって、唐沢さんの事務所のスタッフは二人とも、唐沢さんのことをはいはい聞くタイプじゃないですよね。
唐沢 うん。そういう人でないと逆に安心できない。
岡田 イエスマンじゃスタッフとして安心できないですよね。
唐沢 周りにそういうイエスマンを置くのは、逆に「気味が悪い」というか(笑)。
 でも何で、そういう人間を周りに置いているように思われるかと言うと、やっぱりそれは議長とか、「交通整理」をやっちゃうからかなあ。
 昔、パソコン通信の時代から「議長」という役をやって、その話題はこう、この話題はこう、と交通整理をして、議論の場を作っていくことをしていた。だけど、その感覚が「元からない人」というのがいるわけなんですよ。

 イエスマンというのは最初から集まるものじゃなくて、耳の痛いことを言う人を遠ざけた結果、周囲がイエスマンだらけになってしまうものだと思う。大事なのは、岡田・唐沢の二人が自分に都合の悪い意見をちゃんと聞いているかどうかだと思うのだが。それから、ニフティサーブの会議室で「議長」をやっていて訴えられているところを見ると、唐沢俊一こそが「交通整理」の感覚が「元からない人」のような気がする

岡田 あと、そういうふうに、「岡田や唐沢はイエスマンを周りに集めているに違いない」「政治的なヤツに違いない」と決めつける人というのは、たぶんその人自身がそういうのに憧れている。
 この話を整理すると、「唐沢俊一は取り巻きとかを使って、政治的に動いている」と思っている人というのは、あんがい自分自身が「取り巻きが欲しい」とか、もしくは「誰かの取り巻きになりたい」、あるいは「誰かのブレーンになりたい」と考えているんじゃないかな。
唐沢 「取り巻かれないと物事ができない」と思っているんでしょう。
岡田 でもね、ぼくとか唐沢さんは、取り巻きに囲まれることの苦渋さ(原文ママ)をさんざん味わっているんだよ(笑)。

 論外。結局のところ、「おれを批判しているヤツは嫉妬してるんだ」と言っているだけにすぎない。こんな幼稚なことを平気で言えるものだと逆に感心してしまう。

岡田 「オタク業界」ってあるじゃないですか。「オタク人脈」とか「オタク言論界」とかいうのがあるかもわからないけど、なんでこんなにリーダーがいないの?ぼくがもう2年も前に「オタキングはもうやめました」と言っても……。
唐沢 その後を襲う奴がいない、ということね。
岡田 そう!(笑) じゃあ、麻生さんが出てきたら、オタク向けの政治家かというと、そうでもないとぼくは思う。「オタク組織票」というのがもしあるとしたら、下手な政党よりは……少なくとも共産党よりは票があるような気がするんだけれども、だれもまとめないのは、何でしょうね。
 オタクの人たち全員のメンタリティがぼくたちみたいな「はぐれもの」で、自分が代表にもならないし、誰かに代表されて意見を言われてそれに従うこともできないような人たちなんですよね。

 岡田斗司夫が今まで「自分は政治的じゃない」と弁解していたのが全てムダになっている発言。「オタキングはやめたけど、後を継ぐ人がいない」って、ものすごく政治的だもの。「もうやめたいんだけど他に適当な人がいないから」って特定のポストに居座り続けるどこかのワンマン社長というか地方のボスみたいだ。あと、よくわからないけれど、どうしてオタクをまとめる必要があるのか?別に「はぐれもの」でもいいじゃん、と思うけれど。結局、岡田斗司夫という人は集団をまとめたり集団で動いたりするのが好きな人なんだろう。そういうことを「政治」と呼ぶはずなのだが

岡田 こんだけスナフキンばっかりが集まっている業界もないですね(爆笑)。
唐沢 うまいね(笑)。

 「スナフキン」というのは「はぐれもの」のことだろう。たしかに、「オタク業界」には「はぐれもの」が多いのかもしれない。でも、それがわかっているなら、どうして殊更自分たちのことを「はぐれもの」と呼ぶのだろう?わざわざ言うほどのことでもないのではないか。だいたい、人間はみんな「はぐれもの」である。どんな社交性のある人だって組織に属している人だって孤独な部分はあるのだ。それを考えれば、自分が「はぐれもの」だとか「孤独」だとかわざわざ言うほどのことではないし、50歳を過ぎた人が二人して言うことではない。岡田・唐沢が「自分ははぐれものだ」と言えば言うほどに、この二人がいかに周囲に助けられているかがわかってしまう。唐沢俊一が本当に「はぐれもの」なら朝日新聞の木元氏やNHK弓削氏からもはぐれて自分の実力だけで仕事をしていったらいいのではないか?…思わずこんな意地悪も言いたくなるくらいだ。

岡田 だから、はぐれものならはぐれものでそれでかまわないんだけれども、「ちゃんと自活していこうよ」って、ぼくは思うなあ。どこか人間、中心の拠点がないと、ぐらぐらしちゃう。
唐沢 アイデンティティ強迫症みたいなものが見え隠れするのね、若い人を見ていると。すると、母性本能で(笑)、ああ、彼らに帰るべき家や国家を示してやらないと、と思ってしまうんです。右翼とは違うけれど、少なくとも日本という国家ということを語るときに、私は他の人間が何か言うよりかは右的なことを言ったりしているように見えてしまうらしいの。「唐沢がそんなことを言うとは」みたいな反応をされる。
 ただ、本当に思うんだけれども、どこに足場を組むか、という岡田さんの考えを短絡的に考えて、安全な権力に食いついちゃうというのはすごく傾向としてある気がする。ネットなんかでね。

 「アイデンティティ強迫症」というのが、どういうものかよくわからないが、岡田・唐沢のアイデンティティが「ぐらぐらしちゃ」ってないかの方が気になる。あと、唐沢俊一に「帰るべき家」を示してもらわなくてもいいから。『呪怨』のあの家みたいなところに連れていかれそうで嫌だ。訪れた人が次々と行方不明になる家だよな、絶対大林宣彦の『HOUSE』みたいな家だったら少し楽しそうだけど。…ホラー映画が好きなのでつい脱線。

唐沢 ただ単に「感情的に嫌い」なのと、「理性的に理由があって嫌い」なのと
違いますよね。
 三浦和義の自殺だって、「これはアメリカの陰謀だ」「ロサンゼルス市警の陰謀だ」っていう意見がネットニュースのコメントで7割近くを占めた瞬間があって、ギョッとするんですよ。あんないかにもあやしげな暗殺なんて、あるわけがない(笑)。実際、法律の専門家のブログとかを見ると、三浦の有罪はもう決定済みみたいに書いてあって、もしそうだとすると暗殺のメリットなんかひとつもないということになる。ところが、みんな、そこに何の疑問もなく「陰謀だ」「陰謀だ」と騒ぎ立てる。あれは騒ぎ立てることでしか安心できないんだな。自分だけが不安定じゃない、世界が不安定なんだから自分の不安定は仕方がない、と無理に思い込もうとしている。自分の足場をきちっとしないがためにそういうことを言うようになっちゃうんですよ。

 唐沢俊一のネット依存はかなり重症なようだ。ネットニュースのコメント欄を見てギョッとして、「法律の専門家のブログ」を見て安心するって…、完全にネットに踊らされているよ。…いや、ネットで何が言われてようと「あんないかにもあやしげな暗殺なんて、あるわけがない」って思っておけばいいんじゃないの?(実際、自分はそう思ってるけど)。ただの事故や自殺にすぎないことが「実は殺されたんじゃ?」と騒がれることって、ネットが存在する前からいくらでもある話なんだから。どうしてそんなに自信がないんだ?ネットなんかろくでもないと「騒ぎ立てることでしか安心できない」のか?

岡田 次回リニューアル後の第1回は「右翼ですか?左翼ですか?」でどうでしょう。
唐沢 それいいかもしれない。

 悪いことは言わないからやめておけ。あなたたちには政治の知識がないんだから、話をするだけ意味があるとは思えない。無謀すぎる。…なんとなく、岡田氏が浅羽通明『右翼と左翼』(幻冬舎新書)を読んできそうな気がするな。いや、せめて事前に予習をしてくれば、まだマシなのかも知れないが…。

岡田 案外、政治的な話で、でも最近の政治じゃなくて、根本的な政治の話しかしないの。第2回は「呉智英の封建主義はどうなっているのか」とか(爆笑)。
唐沢 まだ言ってるのか(笑)。変な話だけれど、あの人も「有効性のある議論をしたくない病」な人なんだよなあ。だから「封建主義思想家」と言ったりして。左翼的とも右翼的とも言われたくない、というのがあるらしい。
岡田 「内田樹は平成の糸井重里である」とかいうように決めつけていく。
唐沢 人を俎上に上げるのはいいかもしれないですね。

 「ダヴィンチ」最新号の呉智英『マンガ狂につける薬』は栗原裕一郎『盗作の文学史』(新曜社)を取り上げて、盗作について論じているから唐沢俊一は必読。あと、糸井重里は平成になってもちゃんと仕事をしているし、内田樹唐沢俊一のことを知らない(9月24日の記事を参照)。それから、「俎上に上げる」じゃなくて「俎上に載せる」だ。…しかし、本当に他人のことをあれこれ言うのが好きだね。自分がちょっとでも何か言われるとあわてふためくのに


…ぶっちゃけて言うと、リニューアルせずに今回で終わらせた方が良かったと思うけどね岡田斗司夫唐沢俊一も自分のことを「はぐれもの」だとか「孤独」だとかよく思い込めるものだな、と呆れてしまった。結局のところ、エゴの強さ、というかプライドの高さのせいで、「自分は他人とは違う」と思い込んで自分が「はぐれもの」だとか「孤独」だとか言ってるんだと思う。…どうも、そういうのって単なる「中二病」のような気がしてならないんだけどね。

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ダヴィンチ 2008/12月号

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〈盗作〉の文学史

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