唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

痛車評論家とはツーカーの仲。

 唐沢俊一が「痛車style」(学研)でインタビューを受けている。ちなみに「痛車」というのはこういう車のことである。…実はこの件については、わざわざ内容を取り上げるほどの価値もないような気がしている。なぜなら、唐沢は「裏モノ日記」9月17日でこのように書いているのだ。

痛車そのものについては全く知識はないが
オタク文化の中における痛車の位置づけ”を語ってほしいという
依頼だったので引き受けた。オタクカミングアウトの時代趨勢を
からめて語る。こういう話は体調がどうだろうとスイスイ出る。

 知識がないならインタビューを受けるなよ!と思うし、それを公言するな、とも思う。少しでも仕事にありつきたい若手のライターならまだ同情もするけど、唐沢俊一はそうじゃないだろう。それとも、実は仕事がなくて困ってるのか?もうひとつ、こんなことも書かれている。

下の喫茶ベラミでドラゴン山崎氏のインタビュー受ける。
お題は“痛車”。

山崎氏は“文サバ塾”の生徒で、最も私の教えを実践している
一人。文サバ出身者でメイド喫茶本も作ったそうで、
一冊恵贈を受ける。いや、教え子の活躍はうれしい。

 「文サバ塾」というのは、唐沢俊一が主宰している「文筆業サバイバル塾」のこと。ちなみに、以前紹介した「マイコミジャーナル」のインタビュアーの木全直弘氏も「文サバ塾」の受講生。…どうも、「文サバ塾」というのは、受講生よりも唐沢俊一を「サバイバル」させるためのシステムのような気が。しかし、こんなインタビューにいったいどういう意味があるのか?と思う。だって、「文サバ塾」の受講生が唐沢に突っ込んだ質問をできるわけがない。どうしても馴れ合いになってしまうのではないか(木全氏なんか唐沢の好きな『刑事コロンボ』の話題を自分から振ってるし)。少なくとも、こんな馴れ合いをやっている唐沢にはマスコミを批判する資格はないように思う(特に記者クラブ制度についてとか)。個人的には吉田豪氏が唐沢にインタビューしたらかなり面白くなりそうな気がするけれど。あと、「最も私の教えを実践している」って、ドラゴン山崎山崎龍)氏は大丈夫か?唐沢俊一は反面教師としては最高の存在だけど、マネしちゃいけないと思う。

 まあ、でも一応インタビューを紹介しておくことにしよう。「全く知識はない」のに、どのようにインタビューをこなしているのか見ておくのも面白いだろう。「痛車ブーム」について聞かれた唐沢俊一のコメント。

 現代人は物質的に満ち足りている分、精神的に不安感を持っています。で、欠けたピースを埋められるものを絶えず欲しがっているわけです。
 痛車に限らず、オタクの消費行動や趣味の活動というのも、そんな不安の現れ……自身の心の欠落を埋める作業だと思うんですよ。でも、その欠落に嵌まるモノを探して「自分探し」という愚かなことをやっている連中に比べれば、痛車という方式であれ、自分の心を確実に満たしてくれるものがあるオタクの方が人生が充実しているように思うんですよね。だから、私は痛車を走らせている人間のことをよく、「よくぞハードルを越えて自分の心の充足を得ているね。エラいゾ!」と非常に評価しています。

 どうして「自分探し」を「愚かなこと」とするのかよくわからない。「自身の心の欠落」を「消費行動や趣味の活動」で埋めることがいいのであれば、たいていの「自分探し」はアリになると思うが。唐沢俊一何かを持ち上げるときに別のものを引き合いに出して貶める論法を取りがちだが、これもそのパターンだろう。東大で講義をしたときも(詳しくは10月23日の記事を参照)、『ウルトラマン』を持ち上げるために『マグマ大使』を落としていたっけ。「なんでわざわざ…」と特撮ファンの自分は違和感を持ったものだが(手塚治虫原作だから?)。

 しかも、個人主義じゃなくて、“自分主義”が世に蔓延しているでしょう。「誰よりもあなたが大事。あなたは世界に咲くたったひとつの花」と教えられて育った人間は、自分を犠牲にして人を愛するということがなかなかできない。恋愛とは自分の存在意義よりも上の人間を見つけることですからね。。たぶん、そういう他者の存在を許せないんだと思います。

「自分主義」ってまたよくわからない造語をしているなあ。「ピュア信仰」以来か(詳しくは「トンデモない一行知識の世界」を参照)?しかし、いったい誰が「誰よりもあなたが大事。あなたは世界に咲くたったひとつの花」と教えられて育っているんだろう(それに『世界に一つだけの花』だ)。個人的な話で恐縮だが、自分は平成生まれの人と話していて、その人が「自分はオンリーワンじゃなくてナンバーワンになりたい」と言ったことに感心したことがあるが、自分を「世界に一つだけの花」だと思うか、他者の存在を許せるかどうかは、それこそ人によるとしか言えないと思う。「ゆとり世代」だからってナメてはいけない。それに唐沢俊一と同世代の人間にだって「自分主義」の人間はいくらでもいるはずだ。

 でも、許せなくても誰かを愛したい、誰かに愛されたいという欲求はある。そういうことが「二次元萌え」に繋がるんじゃないでしょうか。「オレの嫁」って言葉がありますけど、自分のことを思ってくれて、自分にとって得な性格をしていて、自分の存在がなくては生きて行けないような人間。そういう人間を心の中に作り出して、あるいは他人の作ったキャラを借りて、自分の心の平穏を求めるという。本来は人間同士の繋がりの中で充足されることなんですけどね……。

 痛車の話はどこへ行ったんだ?と言いたくなる。っていうか、「本来は人間同士の繋がりの中で充足されることなんですけどね」って結局「痛車を走らせている人間」をバカにしているし
 「今後、痛車を取り巻く状況はどのように変化すると思いますか?」というドラゴン山崎氏の問いに対する唐沢俊一のコメント。

 これまで我々オタクは、宮崎勤という原罪を背負ってきた。でも、その宮崎も死刑になり、ひとつの時代が終わった。そして、痛車のように自分がオタクであることを世間に隠しようもない場所へ、自分を送り込むようなことをして走る人も増えて来たという。さすがに時代が変わったな……と。

 宮崎勤の事件以降にオタクになった人間ならともかく、唐沢俊一や「オタク第一世代」にとって宮崎は「原罪」にはならないだろう。

 痛車は乗るのにもある程度の財力が必要です。オタク趣味の中ではエリート趣味なんですよ。エリートだけに排他的で、個人主義的な傾向が非常に強かったワケなんですが、専門誌の登場で裾野が急速に広がった。これは結構早いうちに文化として定着するんじゃないでしょうか?これから痛車は面白くなって行く時期だと思います。

 「財力が必要」なら「エリート趣味」になっちゃうものか疑問。「エリートだけに排他的で、個人主義的な傾向が非常に強かったワケなんですが」って「痛車そのものについては全く知識はない」のにどうしてそんなことがわかるんだろう。「これから痛車は面白くなって行く時期だと思います。」という締めには、「よくわからないけどとりあえず褒めておこう」という姿勢が見えて微笑ましい。


…今回はなんとかこなせたようだけど、「全く知識はない」のに仕事を引き受けるのはやめておいた方がいいと思うよ。

痛車style―新しいカーライフの潮流!“痛車”をスタイルにする! (Gakken Mook)

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