唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

唐沢俊一は『ゴジラ』のストーリーを理解していない。

 自分は唐沢俊一が「オタク」なのかどうか疑問を持っている。なぜなら、この人は『宇宙戦艦ヤマト』のファンではなかったし(詳しくは10月28日の記事を参照)、『機動戦士ガンダム』『新世紀エヴァンゲリオン』について批判している。この3つの作品すべてに否定的もしくは無関心な「オタク」っているんだろうか?と思ったのである(それに現在の唐沢は『ヤマト』のファンだったというポーズをとっている)。ただ、『ヤマト』以前のマンガ・アニメ・特撮を拠り所にしていることも有り得るだろうとは考えていた(それに「オタク」の定義にはいろいろある)。しかし、今回、『唐沢俊一のトンデモ事件簿』(三才ブックス)のある文章を読んで愕然としてしまった。唐沢俊一は怪獣映画の嚆矢である(唐沢っぽい言い回し)ゴジラ』のストーリーを理解していないのだ。『トンデモ事件簿』P.110より。

 こういう“祟り神”を祀るという感覚は、現代の心理ではよく分からない、と思われるかもしれない。いや、実は現代人もそのイメージをちゃんと共有している、と、フィクションながらよく分かる映画があって、今なお若者たちに熱い支持を受けている。
 それは『ゴジラ』だ。もちろん、昭和29(1954)年の第1作のことである。当時の日本人の10人に1人が観たといわれたこの映画は、単純にストーリーだけを追ってみると、どこにでもあるB級怪獣映画に過ぎない。円谷英二による特撮映像はすごいとはいえ映画的なスリルやサスペンスはストーリーにほとんど絡んで来ず、芹沢博士によるオキシジェン・デストロイヤーの開発には、必然性がほとんどない。単にゴジラを倒すためのデウス・エクス・マキナとして、唐突に登場してくる。映画脚本としては出来の悪いものとしかいえないだろう。
 にも関わらず、この映画は観るものをぐいぐいと引き込む圧倒的なパワーを持っている。一体なぜ、これほどまでにこの映画は日本人に支持されたのだろうか。
 それは、この映画が、見事な御霊信仰の映画だったからである。

 まず、『ゴジラ』第1作は「核兵器・戦争の恐怖」をテーマとしたストーリーが高く評価されている。「どこにでもあるB級怪獣映画」と同じようなストーリーならこのような高い評価を得られはしないだろう。次にオキシジェン・デストロイヤーは「唐突に登場」しない。物語の中盤で芹沢博士が恵美子に秘密の実験を見せるという伏線がきちんと張られている。「こんなこともあろうかと」という風に登場したりはしていないのである。そして、オキシジェン・デストロイヤーは「単にゴジラを倒すための」秘密兵器なのではなく、『ゴジラ』という作品のテーマにも深く関わりのある(同時に芹沢博士の悲劇性を象徴する)アイテムである。そのことは劇中の芹沢博士のセリフからもわかる。

もしもいったんこのオキシジェン・デストロイヤーを使ったら最後、世界の為政者たちが黙って見ているはずがないんだ。必ずこれを武器として使用するに決まっている。原爆対原爆、水爆対水爆、そのうえさらにこの新しい恐怖の武器を人類の上に加えることは、科学者として、いや、一個の人間として許すわけにはいかない。

 オキシジェン・デストロイヤーは『ゴジラ』のテーマのひとつである「核」としっかり関係しているのである。これは映画を普通に見ていればわかるはずなんだが。なお、『ゴジラ』を「御霊信仰の映画」とする見方は、1992年に出版された『映画宝島・怪獣学入門!』(JICC出版局)で既に述べられていることで、特撮ファンにとっては特に目新しい話ではない(できれば、唐沢の文章と『怪獣学入門!』を比較してみたいが)。それからこんなことも書かれている。『トンデモ事件簿』P.111〜112より。

 この映画におけるゴジラの東京破壊ルートが興味深い。東京湾岸に姿をみせたゴジラはまず芝浦、大崎方面から品川、新橋、銀座へと向かい、国会議事堂を経由して隅田川からまた東京湾へと戻る。これは、東京大空襲におけるB-29の爆撃ルートと全く同じなのである。そして、水爆実験で眠りを覚まされたというその出自、キノコ雲を思わせるその姿態、当時の日本における最大の“荒ぶる神”をイメージしたその怪物は、人間の手ではなすすべもなく、日本が生み出した最高の英知である、芹沢博士という高価な代償をいけにえにして差し出すことによって(いけにえという以外に、この映画のストーリーには芹沢博士がゴジラを倒して犠牲になるという必然性が見当たらない)、海へ帰っていただくしか、方法がない。アメリカという、水爆という荒ぶる神を鎮めるという意図で作られたこの映画が、昭和29年の日本人にあれだけ賞賛されたのも、ちゃんと国民深層心理の上からいって意味があることなのである。

 ゴジラB-29の爆撃ルートの関係については『文藝別冊・円谷英二』(河出書房)で書かれている(というか唐沢俊一も寄稿している)。ゴジラの頭部はきのこ雲をイメージしてデザインされたというから、「姿態」というのはどうだろうか。しかし、最大の疑問は芹沢博士がゴジラのいけにえとして死んだという唐沢の主張である。…いや、芹沢博士はオキシジェン・デストロイヤーの秘密を守るために死んだんだろう。劇中で芹沢博士は自分が死ぬ「必然性」があることをちゃんと説明している。

尾形、人間というのは弱いものだ。一切の書類を焼いたとしても、おれの頭の中には残っている。おれが死なない限り、どんなことで再び使用する立場に追い込まれないと誰が断言できる?

 このセリフを聞いていれば、芹沢博士がゴジラのいけにえになったなどと考えるはずがないのだが。ストーリーを理解していないのか、ゴジラを「祟り神」にするためにストーリーを歪めたのか。
 どうして唐沢俊一が『ゴジラ』のストーリーについて見当違いの批判をするのか不思議である。唐沢は梶田興治監督(『ゴジラ』のチーフ助監督)や中野昭慶監督とも個人的なつきあいがあるらしいが、彼らが『ゴジラ』のストーリーについて批判していたのだろうか(もしくは本多猪四郎円谷英二が批判していたというのを彼らから聞いたのか)?中野稔さんは東大の講義(詳しくは10月23日の記事を参照)で「自分は最初の『ゴジラ』しか認めない」と仰っていたが。
 ついでに、『ゴジラ』関係のガセビアも指摘しておく。現在発売中の「ラジオライフ」12月号掲載の『唐沢俊一古今東西トンデモ事件簿』第39回「呪われた船」にはこのような文章がある。

この映画(引用者註 『ゴジラ』)のオープニングシーンは、漁船が怪光を発する怪物に襲われる場面である。映画に第五福竜丸事件が影響を与えていることは明白だろう。そして、映画中には、海上保安庁の係官が「まるで明神礁の爆発当時とそっくりです。いきなりSOSを発信して、消息を絶ったんですから…」と話すシーンがある。

 まず、『ゴジラ』のオープニングでゴジラに襲われるのは、貨物船「栄光丸」である。次に、劇中の係官のセリフは自分の聞き取りによればこの通り。

まるで明神礁の爆発そっくりです。いきなりSOSを発信して、そのまま消息を絶ったんですから

 ただし、「爆発と」のところはよく聞き取れなかったので「爆発当時と」と言っている可能性は有る。そして、唐沢と同じ間違いをしているサイトがある。…またか。ネットをあんなに批判している人がどうしてネット上の情報を信じ込めるのか少し不思議(ちなみに、この「呪われた船」というコラムも問題大アリである。詳しくは10月25日の記事を参照)。ちゃんと本編を観てから文章を書いて欲しいものだ。まあ、ちゃんと観たって『ゴジラ』のストーリーを理解できるかどうかかなり不安だが。



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唐沢俊一のトンデモ事件簿

唐沢俊一のトンデモ事件簿