唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

こんなおいしいネタをスルーするー?

唐沢俊一のトンデモ事件簿』“CASE13”「明治の大監禁事件」は、「相馬事件」について書かれているが、やっぱりガセがある。

まず最初にP.123。

かの平将門(相馬小太郎)以来の名門である大名家、相馬氏の第16代当主、相馬誠胤(もとたね)は明治になって子爵を与えられ、足尾銅山の経営などに携わって、明治の華族の中では屈指の財力を誇っていた。

 平将門の通称は相馬小次郎である。そして「誠胤」は「ともたね」と読む。

次にP.129

しかしながら、リウの子ではなく、誠胤とシゲの子である秀胤に相馬家を継がせられたのは、間違いなく錦織の功績であろう。
 現在、相馬家は33代当主・和胤氏が継いでおり、彼は次期首相の声がある政治家・麻生太郎氏の妹の夫である(引用者註 2008年4月の記事)。とはいえ、和胤氏に誠胤の血はつながっていない。秀胤に子がなく若死したため、養子をもって家督を継いだためである。

誠胤の死後、相馬家を継いだのは誠胤の弟の順胤(よりたね)。「リウ」というのは、誠胤の父である充胤(みつたね)の愛人で順胤の母である(だから、相馬家は「リウの子」が継いだことになる)。そして、相馬家の現在の当主である和胤氏は順胤の曾孫にあたるため、誠胤と血はつながっている

…さて、ここからは「唐沢スルーの法則」についてご説明したい。「唐沢スルーの法則」とは、唐沢俊一が雑学を披露すると、何故かおいしいネタをスルーしてしまい、話の面白さをだいぶ損ねてしまうという謎の現象のことである。たとえば、ポンジュースの名前の由来などが「唐沢スルーの法則」の典型例である(詳しくは「トンデモない一行知識の世界」を参照)。そして、今回の「相馬事件」の話でも法則が発動してしまっているのだ
 唐沢がスルーしてしまったネタとは、誠胤の子の秀胤についてである。唐沢は秀胤が「若死した」と書いているが、実際には若死することなく他家へ養子に出されている。養子に行った先というのは、出羽国天童藩藩主だった織田家である。あの織田信長の末裔だ(信長の次男・信雄の子孫)。…これだけでもなかなか興味深いが、話はさらに続く。織田家の養子となった秀胤は信恒(のぶつね)と名を改めた。信恒はヨーロッパを訪れた際に現地の子供向けの新聞や雑誌に関心を持ち、帰国後、織田小星ペンネームでアサヒグラフで連載された4コママンガ『正チャンの冒険』の原作を担当した(作画は東風人=樺島勝一)。言うまでも無く「正チャン帽」で有名なあの作品である。…すなわち、「相馬事件」で監禁された相馬誠胤の子供は『正チャンの冒険』の原作者だったのである。「相馬事件」の関係者としては志賀直哉が有名だけど(祖父の志賀直道が相馬家の家令として事件に深く関与している。このことは唐沢も文中でちゃんと触れている)、もう一人意外な人物がいたわけだ。ちゃんと調べておけばもっと面白い文章が書けたはずなのに残念な話である。

正チャンの冒険

正チャンの冒険