仮にそうだとしても間違えちゃダメ。
『唐沢俊一のトンデモ事件簿』P.45
昭和29(1954)年には東京大学助教授を、昇進問題がらみのうらみで助手がウイスキーソーダに青酸カリを混入して殺害。また、昭和31(1956)年には、養父母など4人を次々と殺害していった山口県下関市の男が“特別手配”第1号として逮捕されたが、この男の殺害方法もやはり青酸カリをジュースに混ぜて飲ます、というものだった。
東大助教授毒殺事件が発生したのは1950年、下関の毒殺事件の犯人が逮捕されたのは1958年(事件が発生したのは1955年)である。どちらも間違えている。
さて、東大助教授毒殺事件について気になることがあるのでウィキペディアを見てみる。
1950年(昭和25年)1月8日、北陸線武生発上野行きの夜行列車に乗っていた東京大学医学部歯科口腔外科教室の助教授(当時39歳)が、小松駅到着直前に持参したウィスキーを飲んだ直後に急変。小松川駅に停車後、直ちに駅長室に運ばれ、医者の手当てを受けるも死亡。
「ウィスキー」と書いてある。『トンデモ事件簿』では「ウイスキーソーダ」とあるが、考えてみるとおかしい。なぜなら、事件は列車の中で起こっているのだが、列車の中でウイスキーのソーダ割りを作ったりするだろうか?それとも事前にウイスキーソーダを作っておいて列車に持ち込んだのだろうか?しかし、その場合容器は一体何なのか。まさかグラスを持って列車に乗ったりしないだろう。もちろん、当時は缶入りハイボール(=ウイスキーソーダ)という気の効いたものはないのだ。どういうことかわからなくて困っていたら、ウィキペディアの記述がこのように続いていることに気づいた。
Hは助教授に女性関係のだらしなさを批判され、もう面倒を見てやらないと言われ、逆恨みしたHは助教授に対し、戦時中から自身が自決用に保持しており、復員時に持ち帰った青酸ソーダをウィスキーに混入。
…まさか。
いや、念のために別のサイトも見てみよう。
さらに念のため。
東大助教授毒殺事件
…えーと、つまり、唐沢俊一は「青酸ソーダ入りウイスキー」を「青酸カリ入りウイスキーソーダ」だと間違えちゃったわけだ。あちゃー。
しかし、そうなると、唐沢俊一は青酸カリと青酸ソーダを同じものだと思っているんじゃないか?という疑問も出てくる。両者は性質は良く似ているが、あくまで別物である。青酸カリ=シアン化カリウム、青酸ソーダ=シアン化ナトリウムと覚えておけば区別しやすいだろう。細かい話をすれば、青酸ソーダが使われた東大助教授毒殺事件を「昭和の毒薬・青酸カリ」という章で取り上げていいものかも疑問ではある。