唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

ダジャレで追悼するのは誰じゃ。

 2008年9月11日の「裏モノ日記」のタイトルは、「アルカイダのテロリスト、WTCに911(くいちっち)」である。守屋浩「僕は泣いちっち」(作詞は浜口庫之助)の一節をもじったものである。だが、「くいちっち」って何なのか。「僕は泣いちっち」での「〜ちっち」の使われ方は、「僕は泣いちっち」「東京へ行っちっち」「汽笛がなっちっち」というように全て述語として一応成立している(「〜ちっち」=「〜ちゃった」ということなんだろうか)。しかし、「WTCへくいちっち」では述語になっていない(「食い込んだ」というわけでもないだろうし)。面白くないという以前に意味不明なのである。それに以前JASRACがどうのこうのという話もあった気もするのだが。
 まあ、「裏モノ日記」のタイトルのダジャレが面白くないのはいつものことなので、わざわざ突っ込むことではないのだが、今回のタイトルを受けた文章に「(911被害者追悼タイトル)」と書いてあることは見逃せない。唐沢俊一アフガニスタンで伊藤和也さんが殺害された事件について書いた日記に「アフガン狂時代」というタイトルをつけた件については当ブログでも8月30日の記事で取り上げたが、どうも「WTCへくいちっち」はその影響でつけられたタイトルであるような気がしてならないのである。もちろん、当ブログが取り上げたから唐沢が反応したと言いたいわけではない。まったく面識のない上戸ともひこさんのところに降臨した唐沢なら(この件については8月28日の記事を参照)、当ブログの存在を知っていれば必ずや降臨するはずなので、おそらく唐沢は当ブログの存在を知らないのだと思う。しかし、「アフガン狂時代」については藤岡真さんと町山智浩さんも批判しているのだ。唐沢は藤岡さんのサイトを知っているし、町山さんのブログもチェックしているふしがある(そして、たびたび町山さんのことを揶揄している)。つまり、唐沢は「アフガン狂時代」というタイトルをつけたことが批判されていることを知っているはずなのだ。それに、「アフガン狂時代」と「WTCへくいちっち」はダジャレでテロの犠牲者を追悼している点では共通していて、これが偶然だとは考えにくい。さらに、トラブルを起こすたびに謝罪することができずに逆ギレしてばかりいる唐沢俊一の性格からしても、批判する側を挑発しようとして同じ行為をくりかえすことは、大いに有り得る。しかしながら、明確な証拠はないので断定することはできないのだが。
 というわけで、「WTCへくいちっち」について2つのパターンが考えられる。まず、一つ目は、「アフガン狂時代」が批判されていることを知った上で「WTCへくいちっち」というタイトルをつけた、ということである。この場合は、批判されていることを知りながらあえて開き直って同じことを繰り返しているので、非常に大人げない行為をしているとしか言えない。もうひとつは、本当に偶然だった、ということである。この場合は、「アフガン狂時代」のときと同じく、ダジャレで追悼するなんてどういうつもりなのか?と首を捻らざるを得ない。被害者や遺族がダジャレを聞いてどう思うのか考えてやってるのだろうか。本当に悼む気持ちがあるのかと疑われても仕方がないのだ。いずれの場合にしろ、いい大人のやることではないということには変わりがない。自分よりだいぶ年上の人がこんなことをやっているのだから、怒る以前に悲しくなってくる。
 もうどうせなら、事件や事故があるたびにダジャレで追悼したりお見舞いしたりすればいいんじゃないかと思う。当ブログも別に止めるつもりはない。もちろん、遠慮なく突っ込みをいれさせてもらうけどね。

僕は泣いちっち

僕は泣いちっち