唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

「裏亭」さん事件に数多くの反響。

 昨日、mixi唐沢俊一DAICON会場からの逃走劇について言及した上戸ともひこさんのところへ降臨した「裏亭」さんこと唐沢俊一の見苦しい行状についてツッコミを入れたら、またもや様々な反響があった(唐沢俊一スレッド@2ちゃんねる一般書籍板も大賑わいである)。コメントに対してレスをすると長くなるので、記事にしてみることにした。

 伊藤剛さんのコメントは実に読み応えのあるものだった。

そこで、やはり人格というものは少年少女期の友人関係のなかで育まれていくものだという意味のことを言われたので、いや、高校時代に一人も友達がいなかったという人でも、立派に社会人として活躍され、精神的にも大人な人はいますよ、と反論したのです。
当時はまだ唐沢氏を<尊敬>していましたから、「その人」というのはもちろん唐沢のことです。当時、唐沢氏本人から「高校時代、学校では一人も友達がいなかった」と繰り返し聞かされていましたから。もっとも、同時に弟のなをき氏からは「オレが学校に入学したらさ、『おまえ、あの唐沢の弟か』と何度も先生に言われてイヤだったんだよ。兄貴はいろいろ目だってたから」と聞かされてもいたことから推測すると、「一人も友達がいない」というのは俊一氏流の誇張だったのかもしれません。

 高校時代に友達がいなかったという記述を唐沢の著書で読んだ覚えがないので、たぶん誇張なんだろうと思う。ただ、唐沢は周囲の人間に対して見下した言動をとりがちなので、嫌われていたことはあるかもしれない(たとえば、東京から里帰りしたときに「ヤマト」のファンクラブの仲間に会ったら会話が合わなくて幼稚に見えたという話とか)。自分は逆に唐沢は周囲の人間とつるみすぎるのが良くないと思っていて、仲良くしていたかと思うと仲をこじれさせてケンカ別れをくりかえしているのは一体なんなのか?と思う(伊藤さんもそうだし「うわの空・藤志郎 一座」もそうだ)。「高校時代に友達がいなかった」からその反動でやたら徒党を組みたがるというのはあるかも知れない。いずれにしても孤独に耐えられない人なんだろうと思う。

もしかすると唐沢氏は、かつて自分の側にいて、かつての自分のことをかなり知っている僕が、あれこれ「暴露」することを怖れているのかもしれません。彼の過剰なまでの誹謗中傷も、ひとつにはそうした「恐れ」に起因するものである可能性はありますね。
正直なことを言えば、このところの「流れ」を見ているところはあります。暴露じみたこと(第三者から検証できない、言ったモン勝ちになること)はあまりしたくないし、たぶんしないでしょうが、一方で、どうせやるなら効果が最大に出そうなタイミングだよな、とも思っています。それが何時のことかは分かりませんし、おそらく、いまではないでしょう。永遠に来ないかもしれません。そのほうがいいんですが、そこはそれ、唐沢氏の身の振り方や言動次第といったところでしょう。

 無責任なことを言わせてもらうと、伊藤さんの暴露話はぜひとも聞いてみたい。でも、伊藤さんが暴露するとしたら唐沢にとって大きなダメージになるだろうけど、同時に伊藤さんも大きな傷を負いかねないので、あくまで伊藤さんご自身が決断すべき問題だと思う。唐沢にダメージを負わせることを狙うとかではなくて(そういうことは当ブログにおまかせください)、伊藤さんが「話したい」「話さなくてはいけない」と自然に思ったときに、お話をされるのがよろしいのではないかと思う。もちろん、そういう時期はずっと来ないのかも知れないけれど、それならそれでかまわないんじゃないかとも思う。

彼は小心で、子供じみてて、話がちょっと抽象的になると理解すらできず(知能指数のレベルで怪しい)、嘘つきで、見栄っ張りで、強がりで、陰険で、相手によって態度を変え、知ったかぶりで、他人の心を操作し、薄っぺらで、言い訳ばかりしてきた人です。しかし、いまでも「お取り巻き」はいるわけだし、何くれと仕事を回してくれる人もいる(彼を書評委員に推したのが木元氏であることも、朝日新聞の記者から確認できました)。

 これは伊藤さんグッジョブ!です。唐沢が朝日新聞書評委員に就任したことについては、「たぶんお仲間の植木不等式こと木元俊宏氏のコネだろう」と推測されていたけれど、そのウラが取れたわけだ。それにしてもコネで委員になれちゃったり、盗作事件を起こしても降ろされなかったりするあたり、朝日新聞もなかなか…。ちなみに、唐沢俊一がコネで仕事を維持している件については当ブログでもそのうち取り上げてみる予定。それにしても「話がちょっと抽象的になると理解すらできず」には笑った。いかにもありそうなことだもの。

 藤岡真さんは、唐沢へのメールで「暴力をにおわせる」記述をしたことを謝罪されている(詳しくは藤岡さんの「机上の彷徨」8月29日付を参照)。

 唐沢氏がわたしの来訪を恐れていたことは間違いありません。おっしゃる通り「今回の「暴力は恐れません」からは逆に暴力に対する恐怖がひしひしと伝わってきた」と思います。しかし、それは当然のことではないか、そう思えてきました。一般人に「自分は空手家だ。しかし、暴力はふるわないから安心しろ」というのはある意味“脅し”です。そんなことを書き添えて、DAICON会場で面会を要求するメールを送ったのですから、唐沢氏が怯えるのは当然であり、そしてそのことで唐沢氏を揶揄するのは不当だと思います。わたしは、今まで無意識に自分が空手家であるとあちこちで発言してきましたが、そうした人間が不用意に暴力をにおわせる文章を書くことは許されないでしょう。「殴り込み」「ヘタレ」といった言葉を善良な市民(善良じゃなくても)に浴びせるのは、思い上がり以外のなにものでもありません。今回は唐沢氏は恐ろしくて逃げたのです。しかし、この件で誹謗されるのはわたしの方なのではとも思えます。今野敏先生との武道講座は大変楽しいものでした。なぜ、ああした気分で武道を語れなかったか悔やまれます。暴力に怯えることは恥ではありません(自慢にもならんが)。この件で唐沢氏を責めるのはやめませんか。むろん、そのことが“盗作家”唐沢俊一のガセ・パクリを検証する手を緩めることではないことは言うまでもありませんが。

 伊藤さんもコメントされているが、自分も謝罪する必要はないと思う。はっきり言って唐沢がビビりすぎているだけなんだから。しかし、藤岡さんは「武道家としての矜持が許さない」と仰っているので、藤岡さんの意志を尊重したい。唐沢を批判する側だからこそ卑劣なことをしてはいけないと自分も常々思っているので、藤岡さんの気持ちは分かるつもりだし。今後は自分も唐沢を驚かすような言動を取らないように気をつけたい(「冬コミに行く」はさすがに脅し文句とは取られないと思うが…)。
 しかし、この件では、唐沢はやはり批判されるべきである。藤岡さんの仰るとおり、唐沢が怯えていたのはしょうがないことだと思う(必要以上に怯えすぎだとは思うが)。暴力に怯えるのは恥ではないし、暴力に巻き込まれそうになったら自分だって情けないみっともない行動をしてなんとか回避しようとするだろう。だが、唐沢は怯えていたくせに藤岡さんのことを「困ったファン」「私の悪口をブログに書きまくっている人物」と揶揄しているのである。このように揶揄しているところを見ると、「暴力は恐れません」という発言も見過ごすことはできない。怯えているくせに強がるなよと思ってしまうのだ(ネット上だから平気だけど現実でこんな態度をとったらかなり危ないと思う)。このような卑劣な態度を見過ごしてはいけないし、ちゃんと批判することが唐沢のためでもあるのだ(よく今まで無事で済んだものだと思う。もしかすると過去に何かあったからあんなに怯えるのかもしれないが)。怯えながらも「藤岡さんが本気で暴力に訴えてくるわけが無い」とタカをくくっているからこそ、そのような態度になるのだと思う。それに、唐沢は藤岡さんと面と向かっても対抗することは十分出来たと思うのだけど。たとえば、格闘技の経験のある知り合いを連れてくるとか、「DAICON」のスタッフなり参加している知り合いなり(山本会長もいたのに)を同席させるとか(藤岡さんが武道家だからって人数がたくさんいればどうとなるものでもなかろう)。というか、藤岡さんもそのようにメールでアドバイスしているのに、何故それをしないのか。かつてSF大会の悪口を言っていたから誰も助けに来ないんじゃないか?と思ったとか。まあ、藤岡さんと話をする気がまるで無かったということなんだろうけど(逃げたって唐沢の文筆業者としての矜持は守られないと思うが)。あと、世間知の無い唐沢にアドバイスしておくと、格闘技を習った人のほうが逆に暴力をふるったりしないものなのだよ。藤岡さんもそのように仰っているし、個人的な話をさせてもらえば、うちの父親は空手の経験者だけど、自分は父親に殴られたことは一度もないのだから(尻をぶたれたことくらいはある)。
 そして伊藤さんの仰るとおり、唐沢は藤岡さんが空手をやっていることを逆に利用したのだと思う。まあ、逃げるためならなんだって理由にしたと思うけれど。自分も唐沢に「ブログを御覧になってくれませんか?」って言ったけど、逃げるとしたら「プロの作家がどうしてわざわざ金にもならないことをしなければいけないのか。こちらは忙しいのだ」とかそんな言い訳をするんじゃないか?とひそかに楽しみにしている。逃げるための理由は無限に作ることが出来るのであって、唐沢には問題を解決するための根気と相手に対する誠意が著しく欠けていると感じてしまう

安岡孝一先生は引き続きタクシーの件について考えておられる。

いえ、その、私は伊藤さんほどヤヤコシイことは考えてなくて、単に「なぜ難波駅でタクシーを降りたのか」っていう私の疑問が解決したらいいな、っていうだけのことです。行きに「なぜ日本橋駅から地下鉄に乗ったのか」っていう疑問の方は、天気とかを考えればそれなりに合理的な話のような気がしてきたので、じゃあ帰りに「なぜ難波駅でタクシーを降りたのか」っていう疑問が、ますます私の中で膨らんじゃってるのです。

 というわけなので、もう一度「なんばでタクシー下車の謎」について自分の考えをまとめておく。まず、「先を急ぐためになんばで降りた」というのは有り得ない。新大阪まで直接行った方が早いし、本当に急いでいるなら16時より前の新幹線に乗れたのだから、有り得ないことなのだ。そこで、自分は「たいした考えもなしに大阪へ来るときに利用したなんばへ行くよう指示した」と考えたわけである。だって、ほかに合理的な説明が思いつかないのだからそうとでも考えなければしょうがないのだ。そこで、唐沢の日記を何度目になるか読み返してみると、あることに気づいた。

タクシー、岸和田までだと時間が間に合わないので、ちょっとかかるがと思いつつ、なんばまで飛ばしてもらう。

 これは、最初の予定では岸和田駅までタクシーに乗っていくはずだった(そして電車でなんばまで行くはずだった)、ということではないだろうか。それが予定が変わったので急遽なんばへ行くことにした、そういうことではないか。唐沢は行きはなんばから電車で岸和田まで来て、会場へはタクシーで来ているのだから、帰りは同じルートを逆に戻るのが自然なのであって、唐沢も最初はそのつもりだったのだが、何かが起こって予定を変えることにしたものと思われる。 予定を変えなくてはならなかった理由として一番に考えられるのは、「会場を出るのが予定より遅れてしまった」ということである。しかし、唐沢の日記からはそのような様子はうかがえないし、予定より遅れたところでタクシーで行くなら新大阪に行った方がいいということには変わりがない。だから、これは理由としては成り立たない。
 では、他に予定外のことが何かあったのかというと、藤岡さんが唐沢に話しかけるという出来事が唯一あるだけである。ということは、藤岡さんの出現によって当初タクシーで岸和田駅まで行くはずだったのをなんばまで行くことに変更したのではないか?そう考えざるを得ない。どうして岸和田駅に行けなかったのかというと、駅で電車を待っている間に藤岡さんに追いつかれることを心配したのではないか?と思うわけである。考えすぎなのでは?と思うものの、藤岡さんからのメールに対してあのような反応をした唐沢なら有り得ることだと思う。そして、岸和田まで行くことができないと思い込んだ唐沢が行き先を変更しようとして、本来岸和田から電車で行くはずだったなんばへ向かうことを思いついたのではないだろうか。つまり、岸和田―なんば間の移動を電車でなくタクシーで行うことにした、そういうことになる。やっぱり「なんばまで行かなければいけない」「当初のルート通りに行かなければいけない」という思い込みがあったのだと思う。とはいうものの、この場合、タクシーの運転手が唐沢から事情を聞いたとすれば、「新大阪まで行った方が早い」と普通はアドバイスするはずなのだが。
…なるべく合理的な説明になるように努力してみましたが、安岡先生、いかがでしょうか?