唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

烈火のごとき劣化ぶり。

『薬局通』P.180〜181

 まあいまではダレも信じないだろうが、昔の日本ではイモリの黒焼が絶対の惚れ薬として人気があった。明治時代になってなお、
『うそと思ひて使用してききめが有て今更に願ひ叶ひし嬉しさに恥ずかしながら御禮申上候と徳川家某氏より其他禮状澤山あり』
 という広告が新聞に載ったほどである。“うそと思ひて”というところがマア、正直でよろしいが。
 このイモリの黒焼は必ず、雌雄二匹を共に焼かなくてはならない。竹筒に二匹を入れて焼くと、この二匹はからみあってクロコゲになっている。それを用いる、とモノの本にある。使うときにはこれを相手に気づかれないように頭の上にパラパラとふりかける、とモノの本にある。もっとも、他の本によるとこのまじないは中国から伝わったもので、もともとヤモリを用いるとなっていたものを日本で誤訳してイモリとなった、とあるから、ハナから効かなくてアタリマエ、と言われてもしょうがない。処方がまちがっているのである。

 長々と引用してきたが、実はこの文章自体は間違っていない。イモリの黒焼きは惚れ薬として有名だし、作り方も正しい。さらに中国ではもともとヤモリが用いられていたこともおさえている。若干舌足らずの部分はあるが、十分な説明であると言っていい。では、何故この文章をわざわざ取り上げたかというと、後年になって唐沢がイモリの黒焼きについて語っていることが『薬局通』での文章と比べて明らかに劣化しているからだ
 岡田斗司夫『東大オタク学講座』第十二講「愛と誠の変態講座」にゲストとして呼ばれた唐沢はこのように語っている(なお、今回は取り上げないが「愛と誠の変態講座」で唐沢が語っている内容はガセが混入しているうえに、まことに尾籠なものである。東大の品位を汚しているとしか思えない)。

イモリの黒焼きが精力増強の薬に用いられるのも、水中で腹と腹を向かい合わせて、人間と同じように正常位で交尾する動物だからなんです。人間と同じ形でセックスするからそれにあやかろうって発想ですね。

 なぜ、「惚れ薬」のことを「精力増強の薬」と言うのか。まるで別物じゃないか。しかも、イモリが「人間と同じように正常位で交尾する動物」だなんて余計なガセネタを付け加えているテレビ東京で放送された深夜番組『給与明細』でもこのガセを語っていた。詳しくは7月29日の記事を参照)。『薬局通』のオリジナルになっている『ようこそ、カラサワ薬局』(徳間書店)が刊行されてから「愛と誠の変態講座」まで10年も経っていないのに、どうしてこんなに劣化してしまうのか。
 ただ、このような間違いをした理由は推測できる。唐沢は『薬局通』P.180でこのように書いているのだ。

精力剤、というとナンとなく(というよりモロに)ヒワイだが、媚薬、というとロマンチックになってくる。『媚薬』というシャレた映画があったっけ。惚れ薬、となるともうオトギ話の世界になってくるかもしれない。いずれにしても、クスリの力を借りて積極的に愛を燃え上がらせようという願いがこめられている。

 結局、唐沢がここで「精力剤」と「媚薬」と「惚れ薬」をゴッチャにしていることが劣化の原因になっているわけだ(しかも、この章のタイトルは「精力剤も「惚れ薬」と呼べば恋のトリコに」とやはり「精力剤」と「惚れ薬」をゴッチャにしている)。wikipediaの「媚薬」には次のようにある。

媚薬(びやく)とは狭義には催淫剤と呼ばれ勃起不全の治療に使われる薬を言う。広義には性欲を高める薬、恋愛感情を起こさせる惚れ薬、肉体的な性機能の改善を目的とした精力剤、強壮剤も含まれる。

 つまり、「精力剤」と「惚れ薬」はともに「媚薬」ではあるが、それぞれの効果はまるで別物ということなのだ。粗雑な考えがせっかく正しく理解していたことを誤った方向に導いてしまったというわけである。 ちなみに、唐沢のイモリ関連のガセネタについては『トンデモない一行知識の世界』の「まだまだいそうな人間以外の「正常位をやる動物」」「イモリの黒焼きよりもゴールド、これ最強」で詳しく説明されているので参照されたい。

東大オタク学講座 (講談社文庫 お 103-1)

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