唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

わからない言葉は使わないように。

『人形考』(パロル舎)に収録されている唐沢俊一「あるスクラップ・ブックの話」より。

博多人形などのような、人形の名を借りた工芸品以外、一般的な意味での人形というものを大人は普通、自分の身の回りに置くことを好まないものだ。それは、およそ人形というものであればどれも、面とむかったときに大なり小なり、このような、自分の人生におけるビルドゥングスを無視して、赤裸の人間性を剥き出しにするような、そんな性質を持っているからではないか、という気がしてならないのである。

 「ビルドゥングス」ではなく「ビルドゥング」。アクセス独和辞典によると、

Bil・dung
[bldビルドゥング](女性名詞)
〔(単数の2格)‐/(複数の1・2・3・4格)‐en〕
【1】〔複数なし〕教育,育成;教養((英)education)
eine sprachliche Bildung言語教育
Er hat eine akademische Bildung.彼は大学卒だ
Er hat keine Bildung.彼は教養がない
ein Mann von Bildung教養のある人
【2】〔複数なし〕形成;作ること,発生
die Bildung eines Satzes文の作成
die Bildung eines Ausschusses委員会の結成
die Bildung von Blasen水ぶくれになること
【3】形態,姿
die ebenmäßige Bildung ihres Gesichtes彼女の均整のとれた顔だち
【4】(言語)造語

とある。おそらく「ビルドゥングスロマン」に引き摺られて間違えてしまったのだろう。些細なミスであるが、ふだん学者の文章は難解だと批判している唐沢がわかりもしない横文字を使った挙句に間違えていることが滑稽なので取り上げてみた。「ビルドゥング」に対するコンプレックスがありありとわかって少しいたたまれなくなる。もっとも、仮に正しく書いていたとしても「自分の人生における教養を無視して…」という文章はあまりよろしくないような気がするが。引用してある文章を読んでもやっぱり文章は上手くないことがわかってしまうしね。
 ちなみに、「あるスクラップ・ブックの話」の内容は、古書展で見つけた美女人形の残虐写真が満載のスクラップブックが凄い、という話。唐沢自身はやたら「凄い」と言ってるだけで、ネクロフィリアピグマリオンコンプレックスも無い普通の人間だということがわかってしまうので、自称「鬼畜」としてはマズいんじゃないか?と思わないでもない。

人形考 (夜長姫叢書)

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