唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

『唐沢俊一の古今東西トンデモ事件簿』のパクリについて唐沢俊一がコメントを発表した。

 月刊「ラジオライフ」11月号に掲載された『唐沢俊一古今東西トンデモ事件簿』第38回「作家と食人」の中にパクリがあったことは10月6日の記事で書いた通りだが、このことがJ−CASTニュースで取り上げられた。しかし、「唐沢俊一、2度目の無断引用 コピーして順番入れ替え?」というタイトルはいただけない。引用は適切になされれば著作権者に無断であってもかまわないのだ、というか普通はいちいち著作権者に聞いたりしない(当ブログもそうしている)。一応著作権法の条文を引いておく。

(引用)
第三十二条 公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。
2 国若しくは地方公共団体の機関、独立行政法人又は地方独立行政法人が一般に周知させることを目的として作成し、その著作の名義の下に公表する広報資料、調査統計資料、報告書その他これらに類する著作物は、説明の材料として新聞紙、雑誌その他の刊行物に転載することができる。ただし、これを禁止する旨の表示がある場合は、この限りでない。

 だから、「無断引用」という言葉には盗用の事実をごまかすための意味しかないのであって使わない方がいいと思う。今回唐沢がやった行為はまぎれもない「盗用」である。
 盗用の件について取材を受けた「ラジオライフ」の遠藤悠樹編集長はこのように答えている。

「出典を明記していないのは落ち度と言われれば、確かにその通りです。しかし、盗用ではないと思っています。他人様の文章というよりニュースから引用したものです。コラムは、もともとニュースや過去の文献を参考にして事件を読み解くことが前提になっています」

 編集長が唐沢俊一をかばいたいと思う気持ちは分かるけれど、問題がちょっとズレている。たしかに著作権法10条2項は「事実の伝達にすぎない雑報及び時事の報道は、前項第1号に掲げる著作物に該当しない」と規定していて、判例もそのような立場をとっている(東京地裁昭和47年10月11日判決。民青の告白事件)。しかし、今回唐沢が盗用したのは単なる報道ではなく、「世界の三面記事・オモロイド」さんが、ホセ・ルイス・カルバの事件について独自に収集してまとめあげた文章なのである。「オモロイド」さんが情報を取捨選択したうえで翻訳している時点で著作物としての「創作性」が発生しているとも考えられるのだ。このあたり、仮に裁判になったらどのように判断されるか興味深いところだが、少なくともニュースを引用しただけとは言いがたい。
 そして、唐沢俊一はこのようにコメントしている。

今回の指摘は指摘として真摯に受け止めたいと思っています。ただし、記事本文を読んでいただければおわかりになりますように、あれはサイト記事を『そのまま』書き写したものではありません。もちろん、あのサイトも(ニュースサイトという性格上)参考にはしていますが、他に海外のサイトなども参照し、あの"事件"の内容を紹介しました。あの連載は(単行本の前書にも書きました通り)さまざまな猟奇事件をあちこちの文献や新聞記事、さらにはネットなどで渉猟し、それを紹介した上で、自分なりの猟奇事件論を展開したものです。論の展開の上で、他の人の論じ到達した内容を私独自の論として語れば、これは問題であると思いますが、事件の紹介としてそのあらましを紹介する場合、元になる事件が同一である場合に、ニュース紹介サイトと類似の表現等が出てくることは避けられない場合があると思います。もちろん、紹介サイトとはいえ、参考にした際にはその旨の表記が必用ではないか、というご意見もおありと思いますが、参考サイトに複数のものがある場合、雑誌掲載などに際しては読者の煩雑やスペースの問題を考え、それらを省略する場合もあります。また、あの事件は今回の原稿中では、落語で言うマクラに相当する部分で、必ずしも深い意味を持ってそのニュースを選んでいるものではありません。そこから本論の村山槐多に話を持っていくためのつなぎの部分であり、テーマの類似から本論へと誘導する部分です。話の流れの中では『こういう事件があったが』という紹介を主にするため、雑多なニュースソースのものが入り交じります

 まずは「あれはサイト記事を『そのまま』書き写したものではありません」だ。たしかに「そのまま」書き写しているわけではない。「クロゼット」→「洋服たんす」、「シリアル」→「コーンフレーク」、「電動のこぎり」→「電気のこぎり」、「人食いの本能」→「食人の本能」という具合に言い換えている。本筋ではほぼ同じ内容なのにどうしてこんな細かい所だけ変えているのかさっぱりわからないが。やましいことをしてる自覚があったんじゃないの?
 次に「もちろん、あのサイトも(ニュースサイトという性格上)参考にはしていますが、他に海外のサイトなども参照し、あの"事件"の内容を紹介しました」。えーっ。豊田拓臣さんには「世界の三面記事・オモロイド」を「見た」って言ってなかったのに?(10月7日の記事を参照)。まあ、それはいいとしても(豊田さんは気の毒だが)、だったらその参照した「海外のサイト」とやらを挙げてみてほしい。仮に「オモロイド」さんと同じニュースソースだったとしても、あそこまで同じ文章にはなりはしないけどね。外国語の文章を日本語に翻訳すると人によって必ず違いが出てくるってことがわからないのかな。
 最後。「もちろん、紹介サイトとはいえ、参考にした際にはその旨の表記が必用ではないか、というご意見もおありと思いますが、参考サイトに複数のものがある場合、雑誌掲載などに際しては読者の煩雑やスペースの問題を考え、それらを省略する場合もあります。また、あの事件は今回の原稿中では、落語で言うマクラに相当する部分で、必ずしも深い意味を持ってそのニュースを選んでいるものではありません。そこから本論の村山槐多に話を持っていくためのつなぎの部分であり、テーマの類似から本論へと誘導する部分です」。
…要するに「ソースを明記するのメンドクセ」ってことか?あそこまでパクっておきながら「必ずしも深い意味を持ってそのニュースを選んでいるものではありません」というのも盗人猛々しいというか。それに「裏モノ日記」9月2日では今回問題になっている原稿についてこう書いているのだが。

本日ホラリオン初日、なれども
原稿〆切は厳然と迫っている。
ラジオライフ11枚、これにかかる。
二つのネタを組み合わせたもので、
ネタ自体は面白いのだが、原稿の出来としては
まあ、急いでやった割には……的な自己採点のものになってしまい
いやはや。

 「二つのネタを組み合わせた」って書いているから、カルバと村山槐多を同じように一緒に扱っているようにも思える。タイトルだって「作家と食人」だし。では、どのようにカルバと村山槐多の話を組み合わせているか実際に見てみよう。「ラジオライフ」11月号P.150より。

 私がこの事件(引用者註 カルバの事件)の報道に接した時、一番最初に思い出したのが佐川一政であり(これはまあ卑近な連想)、そして次に思い出したのが、村山槐多という作家であった。偶然だが、槐多もカルバと同じく画家で詩人で小説家(佐川一政も、詩は知らないが、小説を書き、油絵を趣味とする)である。

 なるほど、ホセ・ルイス・カルバと村山槐多が同じ肩書きで人肉食の嗜好があったとしたら連想してもおかしくはない。しかし、カルバは画家ではない。カルバの肩書きについては「作家・詩人・劇作家」と紹介しているところが多い(一応ウィキペディアも参考に)。単純に間違えたのか、それとも村山槐多の話につなげるためにウソをついたのか(それに村山槐多の部分も引用だらけなのだが)。まあ、カルバが趣味で絵を描いていたことくらいはあったのかも知れないけどね。

 今回の騒動について、唐沢俊一はどうやら「引用元を明記していなかっただけ」「ニュースを紹介すれば表現が似てくるのもしょうがない」と言い張るつもりらしい。まあ、好きにすればいいと思う。唐沢としてはそうするしかないのかも知れないし。ただ、ニュースになった時点でアウトだと思うけど。一度だけなら「気の迷い」だと好意的に解釈していた人も二度目ならそうは思わないんじゃないかな。おまけにJ-CASTニュースに雑学の信憑性まで疑問視されてしまったし。
 一応忠告しておくと(唐沢俊一は当ブログを見ていないと思うが)、これで終わりではない。昨日指摘した「ゴールドラッシュとカニバル(人肉食い)」のパクリがあるし(これは「ニュースだから」って言えないよ?)、自分は今のところ『トンデモ事件簿』の中にもうひとつパクリらしきものを見つけている(最終的な確認が取れ次第記事にするつもり)。それに『新・UFO入門』の問題も蒸し返す予定(というよりあれはまだ決着がついていない)。まあ、どのように決着がつくのか楽しみにしよう。決着がつかなくてもそれはそれで面白い。だって、冬コミがより一層楽しくなりそうだしね

 最後に「裏モノ日記」10月6日より(『古今東西トンデモ事件簿』のパクリの指摘があった日)。

見終わって、ホッピー飲みながら4時近くまでパソコンで
シコシコ。ただし、今日はそうでもしないと何故か眠くならない。

 そりゃあ盗用がバレちゃったんだからとてもじゃないけど眠れないよね。わかります。

「ゴールドラッシュとカニバル(人肉食い)」パクリ対応表。

唐沢俊一が『唐沢俊一のトンデモ事件簿』(三才ブックス)掲載の「ゴールドラッシュとカニバル(人肉食い)」で藤永茂先生のブログ「私の闇の奥」の記事からパクっていたのは10月7日の記事で取り上げたが、わかりやすく紹介して欲しいというコメントがあったので対応表を作ることにした。唐沢俊一がちょこちょこ文章をいじっているのでたしかにわかりにくい。パクリ元の「私の闇の奥」を黒字で、「ゴールドラッシュとカニバル(人肉食い)」を赤字で表記する。


イリノイ州スプリングフィールドのジョージ・ドナー、その弟ジェイコブ、友人ジェイムズ・リード
イリノイ州に住むジョージ・ドナーと、弟のジェイコブ、そして友人ジェイムズ・リード


彼らの家族を連れてカリフォルニアへの移住を決心し、
家族を引き連れてカリフォルニアへの移住を決心し、


1846年4月中旬、総勢30人余りで家畜をともなって西へ向かいました。
1846年4月、総勢30名ほどの幌馬車隊を組み、家畜を伴って西へ向かった


途中で参加者が増えて90人近くになった
人数は途中で90名近くになった


秋の暮れまでにはサン・フランシスコに到着する筈だったのですが
秋の終わりまでにはカリフォルニアに到着するはずだった


豪雨に見舞われたり、近道と聞いて辿ったトレイルが結局はひどい遠道になったりして、10月の末、
豪雨にたたられ、道を誤り、10月の末になって、


シエラ・ネバダの山並みの中の一つの峠(あとでドナー・パスと呼ばれるようになる)に差掛かった時、10メートルを超える積雪に行方を遮られて、幌馬車隊は身動きが取れなくなってしまいました。
山中の峠の1つに差しかかったあたりで、10mを超える積雪のため、ほとんど生き埋めの状態になってしまう。


目的の地 Sutter’s Fort (今のサクラメント)から200キロほどの地点でした。
目的地にあと200mというあたり、
※これは唐沢がミスしたものと思われる。


連れて来た牛馬や犬は勿論、獣皮や樹皮などおよそ食べれる物はなんでも食べるようになり
馬や牛などの家畜から、ペットの犬や猫、そして、革製のコートや靴など/食べられるものはすべて食べ尽くし


チャップリンの映画「黄金狂時代」に靴を煮て食べるシーンがあります
『黄金狂時代』のあの有名なシーンの原型