唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

DAICONに大根役者あらわる。

 8月23日、大阪・岸和田で行われた「DAICON7」でのイベント「大阪国際児童文学館の収蔵物を語る」に唐沢俊一が登場した。唐沢はイベントが終了する15分前に(ここは重要なので記憶しておいて貰いたい)会場を後にしようとしたのだが、そこで同じく「DAICON7」に参加していた藤岡真さんに声をかけられた。以下は藤岡さんの「酒とミステリーの日記」8月24日付けから引用。

 23日13:00〜唐沢俊一が出席する企画があるので、終わった後、少し時間を下さいとメールしておいたんですが、ま、14:15(14:30までの企画)に車を呼んでそそくさとお帰りになりました。
「唐沢さん、藤岡です」
「あ、どーもどーもどーも」
「少し、お話する時間はありませんか?」
「いや、タクシー待たせてあるんで」
 振り向きもせずに去る。分かり易い人だな。

 個人的にコミケ唐沢俊一とてもおとなしかった様子を見たばかりなので、この描写には納得できるものがあった(コミケの模様については8月17日の記事を参照)。あの様子からは都合の悪い相手と面と向かって話し合うのがとても苦手なように見えたのだ。とはいえ、これは藤岡さんの言い分に過ぎないわけで、唐沢の言い分も聞いてみなくてはいけない。というわけで、「裏モノ日記」8月23日付けを引用。

それから、ナントカと名乗って挨拶してきた中年の男性がいた。SF大会ではとにかく、いろんな人に挨拶されるので、いちいち相手を確認しないで返事をかえす。このときもよく名前聞き取れなかったので(私は人の名前や顔を覚えることが病的に苦手なのである)「これはこれは」とトリアエズ挨拶したら、「ちょっとお話しできますか」と言われたので、困ったファンだな、と内心思いつつ、すいません、下にタクシー待たせているもんで、と言って断り、スタッフに送られて階下に呼んでいたタクシーにSくんと乗り込む。車中、さっきのは誰だっけ、と考えつつ、胸にかけていた名札の名前の記憶が浮かんできて、そうだ、私の悪口をブログに書きまくっている人物だった、と思い出し、ありゃりゃ、と苦笑する。コレハコレハ、などと丁寧に挨拶されて、向うも面食らったのではあるまいか。己の記憶力のなさに呆れ、Sくんに、“悪いことしたかな”と言ったら、“いや、別にかまわないんじゃないですか”と。なるほど、それもそうだ。

・・・これはマズい言い訳の典型例ではないだろうか。まず、「相手を確認しないで」「名前(を)聞き取れなかった」のに「胸にかけていた名札の名前」をしっかりチェックしてるのが不自然。藤岡さんだってちゃんとわかっていたんじゃないの?と思う(たしか唐沢と藤岡さんは直接会ったこともあるはずだし)。
 それから、これには正直腹を抱えて笑わせてもらったのだが、「私は人の名前や顔を覚えることが病的に苦手なのである」というくだり。唐沢俊一の本はかなり読んできたように思うのだが、博覧強記の自慢はあっても人の名前と顔が覚えられないなんて話は一度として読んだことが無いそれがなぜ今このタイミングで初めて出てくるんだ?老化が始まったのか?不思議でならない。まあ、普通に考えれば、都合が悪いから忘れたフリをしたかったんだろうけど、日頃記憶力を自慢していた唐沢としてはそれもやりにくかったというところではないと。・・・しかし、相手を確認していないのなら、記憶力の有無は関係ないんじゃないか?それなのに、わざわざ記憶力のことを口にするのは「しっかり覚えてます」と白状しているのと同じような気がする。というか、覚えられないのは人の名前と顔だけじゃなくて、唐沢の記憶力自体が人より劣っているのだと思う。だからこそ、うろ覚えのことを書いてガセビアを量産したのだろう。それから、「人の名前と顔が覚えられない」という唐沢が手広く人付き合いをしているのは理解できない。顔見知りの業界関係者や「文筆業サバイバル塾」の塾生と会っても「・・・えーと、誰だったっけ?」と内心ヒヤヒヤしているんだろうか。いつか致命的なミスをするんじゃないかと心配だ。ちなみに、唐沢俊一スレッド@2ちゃんねる一般書籍板にはこのような証言があった。

274 名前:無名草子さん 投稿日:2008/08/26(火) 13:35:59
>私は人の名前や顔を覚えることが病的に苦手なのである

これは完全にウソ。
唐沢は数年前に1度会った人にも名前を言って挨拶する。
それは実際に自分も文章に書いていたし
実際に知人がそれを経験している。

それ以前に唐沢は
かつて、と学会のイベントで藤岡と数回あって話をしている。

333 名前:無名草子さん 投稿日:2008/08/26(火) 15:57:43
>私は人の名前や顔を覚えることが病的に苦手なのである

>>274も書いているけど、これは全くのウソ。
別段、俺は特別な事もしているワケでもない、その他大勢だったが
とあるイベントの打ち上げで、名刺を渡して唐沢としばらく会話をした事がある。
その後、別段メールを交わしたりもしなかったが
1年半ほど経過したイベントで再開した時に「以前○○の時に…」と言った瞬間
「あ、○○で▽▽の話をした□□□さんだよね、お久しぶり」と声を掛けてくれた。
あの当時は尊敬に近い感情を抱いていたので「唐沢さんに名前を覚えて貰っていた」
と凄く感激した。
その後、唐沢ファンの人とも色々話をしたんだけど
「唐沢さんの名前とかを記憶する能力は凄いよ」という話題も出た。

現実でもそうだけど、映画なんか見ても脇役の人もすぐ名前が出るし
どの映画でも脇役をやっていたというのを凄く記憶している。
という話も出た。
「人の名前や顔を覚えることが病的に苦手」なんて、絶対にあり得ない話。

さらに軽蔑だ

 次に「私の悪口をブログに書きまくっている人物だった、と思い出し、ありゃりゃ、と苦笑する。」と唐沢は書いているが、「悪口」と「批判」の区別もつかないんだろうか。自分に都合の悪い意見を「悪口」だと思うのは幼児性の表れでしかない。藤岡さんは『血で描く』を発売日に読んで「悪口」どころじゃなく、きっちり批評してくれているんだから(8月23日の「机上の彷徨」)。あと、唐沢は忘れているのかわざと書かないのか知らないけど、藤岡さんとメールのやりとりをしたこともあるだろう。唐沢は『創』2008年2月号で、

「ソースを確認しない」ということはありますね。私の、「新・UFO入門」関係の騒ぎについても、 週刊誌はきちんと私の方の言い分を確認してきたけど、ネットでいろいろ論評していた人間で、 「唐沢の見解はどうなのか」と尋ねてきた人は一人もいなかった。私のメールアドレスを知ってるはずの人でもね。
まず、唐沢が悪い、という前提から入る。中には「唐沢が言ってることは聞かない」と明言していた人までいた。
無名の読者ならともかくとして、著名な作家とか評論家とか名前がある人で今回の件に言及している人も、 一切コンタクトしてこないし、そもそも私のサイトも見ない。真偽を確かめようともせず、叩く側の文面をそのまま引っ張ってきて、 それを見た人がまた別の記事を書く、というように拡大再生産している。それだけなんですよね。

と発言しているのに(詳しくは唐沢俊一まとめwikiを参照)、いざ藤岡さんが直接メールしてみると まったくもって腰砕けの対応しか取れなかったのである(唐沢と藤岡さんのメールのやりとりは盗作問題ウォッチャーを参照)。・・・直接話を聞かなきゃ文句を言うし、それならばとメールを送ったり会いに行ったとしてもちゃんと対応してくれないんじゃ、一体どうすればいいのかわからない。ついでに書いておくと、藤岡さんは唐沢より7歳年上だから中年じゃないよ。 
 それから、「裏モノ日記」8月24日付けには次のような記述がある。

それからパソコンにほぼ二日ぶりに向い、
メールなどの整理。
行き違いになってしまっているものあり。
送り先が必ずメールを読める環境にあるとは限らない。

 これが何を意味しているかというと、藤岡さんが22日に送ったメールを読むことが出来なかったという言い訳なのである。だから、会場で藤岡さんに呼びかけられてもわからなかったと言いたいのだろう。よくもまあ、念入りに言い訳をするものである。それだけ藤岡さんと会うのが怖かったのか。言い訳をするなら(藤岡さんが先に日記で書いてしまっているから無視することは出来なかったのだろう)単純に「会場を出るときに誰かに声を掛けられたが急いでいたので相手をできなくて申し訳ない」とかサラッと書いておけば最小限のダメージで済んだのに、わざわざ「困ったファンだな」とか「私の悪口をブログに書きまくっている人物だった」なんて書くあたり、素直に頭を下げられない傲慢さが見て取れる。盗作事件の被害者である漫棚通信さんを誹謗したのと同じ病理のなせるわざだ。

 さて、ここからはちょっとした時刻表トリックについて考えてみる。唐沢俊一は「DAICON7」に出席した後、会場である浪切ホールからなんばまで向かい、16時に新大阪から新幹線に乗って帰京している。唐沢は夕方から上野での落語勉強会に出席する予定だったので、急いでいたのは不思議ではないが、どうもヘンなのである。
 まず、浪切ホールからなんばまでタクシーで行ったとする。所要時間は約40分で運賃は一万円前後かかる(タクシーサイトによる)。それで、なんばから新大阪までは御堂筋線で15分で行ける。つまり、道路の状況にもよるが1時間で新大阪まで行けたわけだ。・・・じゃあ、途中退席しなくても十分間に合ったのでは
 もうひとつ疑問なのは、なぜ電車に乗らなかったのかということだ浪切ホールは岸和田駅から徒歩10分の距離にある。14時30分に会場を出て岸和田駅まで歩いたとしても、30分でなんばに到着することが出来る。タクシーより早く着くことが出来るのだ。しかも、運賃は1000円前後。タクシーよりはるかにリーズナブルである。唐沢は、

タクシー、岸和田までだと時間が間に合わないので、ちょっとかかるがと思いつつ、なんばまで飛ばしてもらう。

こう書いているが、そんなことはなかったのである。はっきり言って、時間と金をムダにしている。計画性ないなあ。まあ、金がかかってもタクシーの方がいいんだ!と言われれば反論できないが(朝日新聞にはハイヤーで通ってるみたいだし)、月収10万円なのに大丈夫なのか心配にならないでもない(経費で落とせるのだろうか)。
 いずれにしても、唐沢がイベントを途中で切り上げる必要があったとは思えない。邪推すると、唐沢は藤岡さんが「DAICON7」に参加するのを知っていて(唐沢が藤岡さんの「机上の彷徨」5月21日付けを読んだら震え上がるだろうし)、待ち伏せを警戒して途中退席することを考えたのではないかと。いや、もしかしたら、急いで落語勉強会に行きたかっただけかも知れないけどね。うーん、たぶんきっとそうなんじゃないかなー。しかし、やらなくてよかったイベントの途中退席、乗らなくてよかったタクシー、といちいちムダなことをしているのを見ると、唐沢にはちゃんとしたマネージャーをつける必要があることは確かだ。

 そして、藤岡さんの「酒とミステリーの日記」8月24日付けにはもう一つ大事なことが書かれている。

会場で何人かの人から、予告のメールなんか出さないで、急襲すればよかったのにと言われましたが、被害者をクレーマー呼ばわりするような人間ですから、ストーカー呼ばわりされたくなかったんで

 おわかりだろうか。「DAICON7」に来た「何人かの人」は唐沢が急襲されるのを楽しみにしていたのである。SFファンにとっては、唐沢俊一はもはや「トンデモ物件」として観察される側にいるということだ。みっともないことだし、本人がいまだにトンデモを観察する側にいるつもりなのが余計にみっともない。
 
 藤岡さんの「机上の彷徨」8月26日付けと内容がだいぶカブってしまったけど、唐沢の醜態が面白いので取り上げてみたよ。自分も冬コミに行くとしたら何かやってみようかなw


ミステリ作家・藤岡真