唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

ウルトラスラッシュ・ドット・ダッシュ。

「八つ裂き光輪」という最高にいかしたネーミングにはかなわないけれど。


・『レディ・プレイヤーワン』も『インフィニティ・ウォー』もとても面白かったので更新。2つとも何を言ってもネタバレになってしまうので語りづらいのが難点ではある。


・『東京情報』が終わったことについて、唐沢俊一氏が「すぐ似たようなのが始まる」と言ってたので、『週刊新潮』の最新号もチェックしてみたら、矢部太郎『大家さんと僕』の連載がスタートしていた。…「東京情報」とは似ても似つかないからまた別の連載なのだろうか。ともあれ、『大家さんと僕』はオススメ。



・読むと太閤おろしがやりたくなる『棋翁戦てんまつ記』集英社文庫)P.353にある船戸与一のプロフィール。

1994年山口県生まれ。2015年逝去。79年『非合法員』でデビュー。85年『山猫の夜』で吉川英治文学新人賞を、92年『砂のクロニクル』で山本周五郎賞、2000年『虹の谷の五月』で直木賞など受賞歴多数。ほかに『猛き箱舟』『蝦夷地別件』など。


 へえっ、船戸与一って俺より年下なんだ。21歳で亡くなるなんてまさしく夭折で、まことに惜しいな。でも、1994年生まれなのに1979年にマイナス15歳でデビューするなんてさすが直木賞作家。それにデビュー前に『ゴルゴ13』の脚本を書いてたんじゃなかったっけ?
 …ボケるのも疲れたので間違いを指摘しておくと、船戸与一1944年生まれ。半世紀も若返らせてしまったわけだ。船戸といえば、高校生の頃に読んだ『山猫の夏』はとても面白くて分厚い上下巻の文庫本をあっという間に読んでしまった覚えが…。そう! 『山猫の夏』だよ! 『山猫の夜』じゃなくて。なんだってこんな間違いが…。
 なお、『棋翁戦てんまつ記』に登場する他の作家のプロフィールにはこのような明確な間違いはないのだが、よりによって『棋翁戦てんまつ記』に登場する作家で船戸与一ひとりだけ亡くなっている、というのも間が悪いというかなんというか。鼻腔を濡らすヘモグロビンの臭いに、おれはぐすっと笑った(船戸の小説みたいに書いたつもり)。


・ついでに唐沢検証と関係なく見つけた間違いを紹介。山本博文『大江戸御家相続』朝日新書)P.3より。

 武家政権の時代に入っても、鎌倉幕府を創設した源氏は、頼朝の子で二代将軍の頼家が祖父の北条時房によって廃され、暗殺されます

 源頼家の祖父は鎌倉幕府初代執権である北条時政時房は時政の子で初代連署。歴史好きの小学生でも気づくミスなので「いきなりこれかい」と思っていると、すぐ後のP.5に「十二代家斉」とあったのでひっくり返った。検証を休んでいてもこういうのを見つけちゃうんだから我ながら業が深い。


・これもついでに書いておくか。『週刊文春』2016年4月7日号掲載の小林信彦『本音を申せば』第888回から。同誌P.59より。

 ぼくが若いころ、いろいろ物を教わった小早川保好という方の生家は、沖縄の有名な料亭なのだが、ぼくはずっと名前を<こばやかわ>と読むものと思っていた。
 もう十年以上まえになるのだろうか、小早川さんの家に行くときに、電話番号が何かの件で<こはやがわ>と読むことを知ったのである。

 妙な間違いをするなあ、と当時も思ったのだが、これは古波蔵保好のことだろう。小林氏の著書を読んでいれば気づく間違いのはずだし、そもそも「小早川」という苗字は沖縄にはいない。「小橋川」ならいる(「こばしがわ」と読む)。小林氏はその後脳梗塞で倒れてしまうのだが、この頃から体調がすぐれなかったのかもしれない。余談だが、自分の父親もこの間違いに気づいて、『週刊文春』の編集部に連絡したと後で聞いた(以前も書いたが当方は親子2代で小林氏のファンである)。逆文春砲だ。


・乱読しているうちに見つけた面白ミス発表のコーナーはひとまず終えることにして、当ブログの本分である唐沢検証に戻る。だいぶ前の話になるが、北村紗衣武蔵大学准教授がトンデモ本の世界S』太田出版)に収録された唐沢俊一氏のコンスタンス・ペンリー『NASA/トレック』(工作舎)の紹介文をmessyで批判していた(サイトにアップされたのは2016年5月10日)。該当部分を紹介しておく。

 しかしながら、この本はいささか不幸な受け取り方をされてしまったとも思います。というのも、と学会『トンデモ本の世界S』(太田出版、2004)でトンデモ本扱いされてしまったからです。唐沢俊一が「コンスタンス・ペンリー『NASA/トレック』――ホモポルノこそ女性解放運動の理想型?」(pp. 168 − 175)という紹介文を書いていますが、あまりこの本を評価していない私でもどうかと思う内容でした。本の内容に対する批判もあるのですが、「敢えてペンリーが本書の中で全く触れていないのが、大多数のスラッシャーたちが、現実世界では異性関係に恵まれているとはとても言えないことである」(p. 172、強調は原著通り)とか、「[スラッシャーたちは]一言で言えば“イタい”外見の女性たちばかり」(p. 172)とか、どうもこの記事は「スラッシュはブスの僻み」という思い込みに貫かれているようです。どちらがトンデモかと思うような文章ですが、まあこんなライターに目をつけられてしまった本書が不幸だったのでしょう。せっかく日本語に訳された英語圏のスラッシュ評論がこんなところでしか注目されなかったのは残念です。

 なかなか手厳しいが、唐沢氏の文章も少し長めに引用しておこう。『トンデモ本の世界S』P.173より。

 ついでに言うと、敢えてペンリーが本書の中で全く触れていないのが、大多数のスラッシャーたちが、現実世界では異性関係に恵まれているとはとても言えないことである。本書の三年後に刊行された、アメリカの悪趣味カルチャー紹介本『アポカリプス・カルチャー』(中略)には、このスラッシャーたちの写真が掲載されているが、一言で言えば“イタい”外見の女性たちばかりだ。もちろん、日本でもそうであるように、いまや底辺の拡大したスラッシュの世界には、モデル級の美人や男性顔負けのキャリアウーマンも存在するだろうが、いまだ主流はそういった女性たちであることは動かし難い事実なのである。スラッシャー文化によって生み出されたスター・トレックポルノを(中略)最大級に持ち上げるのは自由だが、従来からこの分野に対し下されている、“男性経験に恵まれないために、男女のセックスにジェラシーを感じている女性たちによる、女性排除のセックス物語”とする意見を一瞥だにしないのは、やはり片手落ちなことだろう。

 一応説明しておくと、「スラッシャー」というのはBL好きの女性のことである。BLファンへの偏見を臆面もなく垂れ流しているので北村氏が怒るのも当然なのだが、トンデモ本」を嗤うはずの本にトンデモな文章が載ってしまっていることにまず呆れる。しかし、自分が「あのなあ」と言いたくなるのは、唐沢氏のこの論法が罷り通るのなら、「と学会」ファンの容姿も当然皮肉られてしかるべきだからだ。女性との経験に恵まれないイタい外見の男性が「トンデモ」を愛好している、とか言われたらどんな気持ちになるよ? と言いたくなる。「日本トンデモ本大賞」に何度も足を運んでいる自分などはいたたまれない気分でいっぱいになる。
 ただ、唐沢氏が『NASA/トレック』の紹介文で一番主張したかったのは実はそこではない。同書P.172〜173およびP.174より。

大衆文化を学術的に論じようとする著者の方法論を一般にはカルチュラル・スタディーズと称するが、その意義は大いに認めながらも、その分野の人に、往々にしてメザシを取り上げて鯛と表現してしまうような傾きがあるのは困ったことだと思う。メザシを褒めるならそのメザシとしての美味を認めるべきであり、それを鯛の味がすると言い張るのは不正確なばかりでなく、かえってメザシを貶めることにもなりかねないと思うのだが。

 ……もともとそのような“広い現実世界への働きかけ”を拒否したところから生まれた文化を、無理矢理に陽のあたるところへ引き出そうとする行為の迷惑さを考慮しないあたりに、全てのアカデミズムに程度の差こそあれ見受けられる傲慢さ(それこそまさに男性原理社会的な押しつけの傲慢さではないか!)を見るのは私だけだろうか。

 はい、おなじみのアカデミズム批判ですね。オタク文化を大学の先生が取り上げるのが気に食わないといういつものアレ。でも、この手の理屈に全くもって説得力を感じないのは、アカデミズムを批判している唐沢氏が「アカデミズムまがい」の文章をしばしば書いているからだ(過去記事)。たとえば、『ゴジラ』を御霊信仰と結びつけた所論などは、唐沢氏に倣って言えば、「メザシ」を「鯛」と表現するようなものだろう(過去記事)。しかも、唐沢氏の場合はその内容も間違っているのだから、「メザシ」を「鯛」みたいに扱おうとして腐らせてしまったようなものだろう。
 それから、「BLを陽のあたるところへ引き出すのはけしからん」というのも、唐沢氏が「悪趣味」や「鬼畜」を取り上げた時にそう思っていた人もいたかも知れなかろう、と思う。どのみち、唐沢氏に言えた義理はないように思う。
 さて、唐沢氏は北村氏の文章を読んだようで、次のようにツイート(その1その2)している。

ある評論を読んでいて、どうも自分の好きな対象を過大評価で持ち上げてアカデミズムの研究対象に仕立て上げてるよなあこれ、と違和感覚えながら読んでたら、いきなり私の名前が出てきて、その分野について私の書いた文章が徹底的にdisられていたww(続

承前)やはりそういう考えの連中、じゃないセンセイ方wとは合わない、ということだな。「メザシはいくらつついてもメザシ」で、メザシを鯛と言いはる論に賛成はできない(メザシはメザシとしてその旨さを味わうべきと思ってる)のである。


 ああ、話をはぐらかしてますね。北村氏が一番問題にしているのは、唐沢氏がBL好きの女性を貶めていることなのに、そこに触れることなく「これだから大学のセンセイは」と愚痴っている。何してるんだよ! 大学の先生なんかやっつけちゃってくれよ、シュンイチ! と叫びたくなる。ついでに言うと、北村氏が唐沢氏のアカデミズム批判を取り合わないのは、実際に大学で研究している人からしたら取るに足らない話でしかないからだと思う。…こう書いてしまうと余計に悲しくなるばかりなのだけど。
 なお、北村氏は最近またこの件に関してツイートしていた(だから今回こうやってエントリーを書いた次第)。

この手の人たちが「リアル」と「ネット」をどう区別してるかは知りませんが(ウェブ上の差別や罵言はリアルじゃない、人を傷つけないと思ってるのかな?)、印刷物なら腐女子に対する差別発言は普通に刊行されてますよ。以前、唐沢俊一の例をこちらで書きました。

 腐女子に対する差別発言」の代表例になってしまいましたね…。さっさと謝ればよかったのに、というのは『新・UFO入門』事件にも言えることだけど。


 以前にも書いたが、『トンデモ本の世界』シリーズでトンデモ本」として紹介すること自体、かなり否定的なイメージがついてしまっている。トンデモ本の世界S』で唐沢氏は他に東浩紀動物化するポストモダン講談社現代新書)を取り上げていて、こうなると「と学会」の本を舞台としてアカデミズムを「トンデモ」と批判する試みをやっているように見えてしまう。「著者の意図とは異なる視点から楽しむことができる本」という「トンデモ本」の本来の定義からずれている一方で、このようなやりくちが通ることで、「トンデモ本」として紹介されること自体にいつしかネガティブなイメージがまとわりついてしまったのだろう。なお、唐沢氏が東氏の著書を「トンデモ本」とした件については過去記事その1その2を参照されたい。
 とはいえ、『トンデモ本の世界R』(太田出版)で山本弘氏が小林よしのり『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』(幻冬舎)を取り上げていたのも、笑って楽しむよりは批判の色合いが強いものだったので、唐沢氏のみに責任を負わせるのは適当ではなく、それからだいぶ後の話だが、2012年の「日本トンデモ本大賞」で『イエスの言葉 ケセン語訳』が取り上げられた際には開田あや氏が弁明する羽目になっている(過去記事)。「トンデモ」に否定的なイメージがついてしまったのは、「と学会」の「トンデモ本」の取り上げ方、笑い方、楽しみ方のどこかしらに問題があったかもしれないので、その点は「検証本」完結編で可能であれば考えておきたい。唐沢氏が「と学会」を辞めた、というのもまだ正式に発表されたわけではないのだけどね。


ドッコム! ドッコム! ドッドッドッドッコム!

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トンデモ本の世界S

トンデモ本の世界S

NASA/トレック―女が宇宙を書きかえる

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シェイクスピア劇を楽しんだ女性たち:近世の観劇と読書

シェイクスピア劇を楽しんだ女性たち:近世の観劇と読書

大家さんと僕

大家さんと僕

山猫の夏 (小学館文庫)

山猫の夏 (小学館文庫)

『東京情報』最終回。

 秘密戦隊ゴレンジャーをぼんやり観ていたら、ヨーヨー仮面「俺の死刑執行は一味違うぜ!」と言い放ったので、「『スネークフィンガー』じゃん!」とビックリ。ちなみに、ヨーヨー仮面は五色のヨーヨーでゴレンジャーを苦しめるのだが、今見るとヨーヨーがカロンにしか見えなくてとてもおいしそう。そんなこんなで超久々に更新。


中国嫁日記の作者、井上純一氏の3月24日付のツイート

あと、本日ついにK水問題で出来た借金の返済がすべて終わりました。全角(原文ママ)返済です!!
で、『中国工場の琴音ちゃん』借金返済のあと残った印税は2巻あわせて20万円でした(笑)

 で、「中国嫁日記2017年4月9日のエントリーより。

この月22万のローンが終わったことで、
中国嫁日記5巻で語られているK水問題は
すべての借金を払い終えたので、経済的には解決しました。


 完済した借金をまた完済するとは摩訶不思議。まあ、そのうち漫画で説明されるのではないでしょうかね…。
 こういうのを見ると、つい昔の血が騒ぐんだけど、今の自分は、
「ええい、わしはもう2度とやらんと決めたんだ! 帰ってくれ!」バタン
 というマインドなので、何らかの検証をやることはもうないんじゃないかなあ。でも、上で書いたみたいなセリフを吐いたじいさんはほぼ100パー2度とやらないはずのことをやっちゃうんだけどね。俺もいつかそういうじいさんになる気がする。



・いささか旧聞に属する話題だが、「ニコニコニュースORIGINAL」2017年7月2日に配信された岡田斗司夫ゼミ」の内容が書き起こされていた。

その他にも、7月14日に配信が終わる作品に、『太陽の帝国』という、スティーヴン・スピルバーグの映画があります。『太陽の帝国』の原作は、J・G・バラードっていうイギリスのSF作家で『渚にて』を書いた人です。この人は実際に第二次世界大戦中、日本軍に捕まって捕虜になったんですよ。捕虜になって収容所で暮らして、終戦を捕虜収容所で迎えた。そのおかげで日本人にはひどい目にあったんですね。

 そのひどい目にあった恨みつらみを描いたSF小説というのが、『猿の惑星』で、白人は滅び、サルみたいな黄色人種が地球を支配する日が来るという話ですね。猿の癖に我々みたいな科学力を使うとか、猿の癖に英語まで操りやがるというのは、第二次世界大戦中の上海を支配していた日本軍のことなんですね。そのJ・G・バラードの原作小説をスティーヴン・スピルバーグがですね、かなり入れ替えて作ってるんですね。

 
  動画も確認したけど本当に言ってたよ…。これに関しては事実だけを簡単に指摘しておこう。『渚にて』の原作者はネビル・シュート猿の惑星』の原作者はピエール・ブールSFに関する初歩的な間違い、それを動画で配信してしまう、そういう意味で呆れるよりも怖くなる。岡田氏に関しても血が騒ぐのだが、
「またあんたらか! 何度来られても答えは変わらん! 出て行かんか!」
 と猟銃を持ち出しかねないマインドなので、また何か書くかはわからない。



・上のネタは、今や無法地帯と成り果てた唐沢俊一スレッド@5ちゃんねる一般書籍板で見かけたものだが(書き込んだ人ありがとう)、こんなレスを見かけた。

124無名草子さん2018/04/16(月) 14:32:50.44
>>104
稗田阿礼方式(笑)。

意味不明。稗田阿礼は舎人で自らすべて記憶していんじゃねえの?
それを阿倍仲麻呂が書き写したのが古事記稗田阿礼方式って何?

 阿倍仲麻呂じゃなくて太安万侶なのでは。誰も突っ込まないので降臨してやろうかと思ったくらい。まあ、この人が突っ込んでいる唐沢俊一氏のツイート(その1その2)もなかなか物悲しいものがある。


・「唐沢俊一検証blog」なので、唐沢氏の話題も一応やらなくては。唐沢氏が主宰する演劇ユニットの公演が先日行われたそうで、自分は観ていないが、「Corich舞台芸術!」にいくつか感想があるので、鵜呑みにすべきではないのは当然だとしてもおおよそのことは察せられる。面が割れている自分が小劇場に行くのはどうかと思うので、いつか大きな劇場で唐沢氏が演出した舞台が上演される日が来たら、
「よかったですね、唐沢さん…」
 と客席で一人むせび泣きたいものだと常々思っている。なお、唐沢氏の演劇ユニットは活動をいったん休止して来年リブートする予定とのこと。


・本題。唐沢氏の4月11日付のツイート

恒例週刊誌取材、最終回。持論かなり述べて、きれいにまとまって気分よし。とはいえ寂しいな(まあ、すぐ似たようなのが始まる)。

 おや、と思ったら、週刊新潮』4月26日号で『東京情報』が最終回を迎えていた。2013年1月から始まっているから、5年にわたる長期連載だったことになる。お疲れ様でした。ただ、この『東京情報』、読んでいて本当に面白くなかった。毒を吐くわけでもなく外国人ならではの見方があるわけでもなく、「何のためにこの2ページは存在するのか?」と毎週哲学的な思索に耽ってしまったものだった。もうひとつ忘れてはいけないのは、『東京情報』は複数のネタ元から聞いた話を編集者かライターがまとめたもので、唐沢氏はそのネタ元の一人にすぎない、ということだ。『週刊新潮』もさすがに唐沢氏に文章を書かせるのはリスキーだとわかっているのだろう。あと、唐沢氏個人の問題として文章を書くのがきついようにも見える。だからこそ稗田阿礼方式」を取りたがるのだろう。なんだったら、俺が聞き取りをやってもいいけど、学歴や盗用の話を真っ先に聞いちゃいそうで、唐沢氏は喜ぶまい。「すぐ似たようなのが始まる」とのことなので、そっちでも頑張ってほしいものだ。このブログで取り上げるかはわからないが。


・ついでに、ここまで取り上げなかった唐沢氏の『週刊新潮』でのコメントをまとめて紹介しておく。最近は本当に新潮社の雑誌でしか見ない…。


 2016年5月19日号「LGBT議連も発足「レインボーパレード」大盛況! はいいけれど……」

「B、すなわちバイセクシュアルは、レズ(L)やゲイ(G)やトランスジェンダー(T)とは異なる存在です」
 とは評論家の唐沢俊一氏。
「愛情の対象が同性だけに限られたり、戸籍上の性に自我を同一視できなかったりする人は、懊悩や葛藤に苛まれ、社会的な手当を必要とするでしょう。けれど。“バイ”の人は“男も女も愛せる”わけで、それとは別の次元。社会的には少数かもしれませんが、弱者とすることには違和感がある」

2016年4月28日号
「熊本地震で呟かれたデマツイート一覧 「井戸に毒」「UFO目撃」「人工地震」」

2016年9月8日号
「解読不能「ヴォイニッチ手稿」 レプリカに予約300件」


2016年9月15日号「百田尚樹氏が唖然! 橘玲氏が呆然! 大ベストセラーの書評を載せない「大新聞」のご都合」に『朝日新聞』の書評委員経験者としてコメント


2016年11月17日号
「車内化粧CMで注目 「ベッキー損失」を埋める新人女優・仁村紗和」

2017年1月26日号
「吉原ソープ通いの安倍総理側近、直撃に「言いたくないでしょう」」

2017年2月9日号
「松嶋尚美、大島美幸、東尾理子…“ママタレ”を巻き込む「赤富士」「妊娠菌」ブーム」

2017年10月5日号
「「安室奈美恵」引退は美談か 山口百恵との大きな違い」

2017年10月12日号
「「安室奈美恵」引退ビジネスが早くも開始 アルバム、タイアップ、番組配信…」

3月8日号
「思想的な意図はない? 「昭和天皇」モデルのピンク映画 右翼重鎮が苦言」


 確認できたのはこれくらい。この中だと安室ちゃんの話題に連続登場しているのが目を惹く。他にコメントしてくれる人、いなかったのかなあ。

※ O.L.H.さんのご指摘に従って訂正しました。

週刊新潮 2018年 4/26 号 [雑誌]

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秘密戦隊ゴレンジャー Vol.14 [DVD]

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KARATEKA

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中国嫁日記 (七)

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太陽の帝国

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渚にて【新版】 人類最後の日 (創元SF文庫)

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猿の惑星 (ハヤカワ文庫SF)

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古事記 (岩波文庫)

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アドレナリンはあなどれない!

 前回は、と学会の新刊『と学会25thイヤーズ!』(東京キララ社)を取り上げたが、今回はその前著にあたる、2014年9月に出ていた『日・韓・中トンデモ本の世界』サイゾー)を順序が逆になったが取り上げることにする。そういえばまだやっていなかった。
 この本の帯には「と学会が嫌韓・嫌中論争に参戦!」とあるが、はっきり言ってこれは誇大広告である。中国や韓国のトンデモネタを取り上げながらも、いかにもネットで炎上しそうなホットなネタは何故か載っていないのだ。山本弘氏が在籍していれば、『タブーすぎるトンデモ本の世界』(サイゾー)同様に嫌韓・嫌中を果敢に批判していたと思うのだが、この本で反ヘイトの姿勢が明らかな論者はクララ・キィン氏くらいなものである。したがって、よく言えば炎上を注意深く避けた本、悪く言えば腰の引けた本という印象が残る。といっても、『タブーすぎるトンデモ本の世界』における山本氏の批判に対してネトウヨのみなさんが反応したのも見かけないので、取り越し苦労の感は否めない。異世界シャワーではあれほどよく燃え上がったのだからいささか不思議ではある。
 さて、唐沢俊一氏は『日・韓・中トンデモ本の世界』において、巻頭の言葉と韓国映画『人喰猪、公民館襲撃す!』を取り上げたコラムと反韓デモは、若者が初めて出会った“アドレナリン放出”活動」というコラム、以上3本を担当している。このうち、『人喰猪、公民館襲撃す!』のコラムについては、たまたまちょっと変わった映画を観てはしゃいでいる、という印象しかない。柳下毅一郎氏のように変な映画を苦行のごとく観続けていることから来る説得力があるわけでもなく、服部昇大『邦キチ! 映子さん』ほどの愛嬌があるわけでもない。そんな唐沢氏には『哭声』を観て欲しいと思ったり。
 で、「反韓デモは、若者が初めて出会った“アドレナリン放出”活動」なのだが、唐沢氏が2014年3月に検査入院して心臓のカテーテル検査を受けた話から始まっている。唐沢氏の健康についてはブログ主も常々案じているところだが、この時は幸い何事もなかったらしい。山本弘氏も一昨年入院されていたというから(ブログ)、オタク第一世代もいろいろ大変なようだ。お二人とも健康には気をつけてほしい。
 唐沢氏は検査の際に身体にメスが入って興奮したらしく、その経験からアドレナリンの出し方を忘れた(と唐沢氏は思っている)「現代の日本の若者」へと思いを巡らせている。『日・韓・中トンデモ本の世界』P.225より。

 こういう世代が今、最もアツくなっているものは何か。反原発である。別の一派は反韓デモである。両方とも、ハタから見れば無意味極まりない行動と思えるが、彼らにとってこれらの活動は、右左とベクトルは正反対でこそあれ、生まれて初めて出会った“アドレナリン放出を感じられる”活動なのだろう。
 彼らの言動を見ると、その活動は明らかに快楽物質に操られているとわかる。理屈とか、モラルでこれらをいさめてもおさまるものではない。(後略)

 この文章が発表された翌年にSEALDsが注目されたことを考えると、今となってはいささか間が悪く感じられてしまう一節である。もちろんそれは唐沢氏の責任ではないのだが。しかし、アドレナリンが出るからデモをする、というのであれば、デモの目的がなんだっていいはずで、今日は「反韓」のデモに参加し、明日は「反ヘイト」のデモに参加する若者だっていそうなものだが、もちろんそんな節操のない人がいるとは聞いたことがない。
 なんもかんも政治が悪い、ではないが、なんでもかんでもアドレナリンのせい、と言われれば、なるほどそういう気がしなくもない。かつて雑学王と呼ばれた人が演劇に傾倒するのも、そんな人を検証するのもアドレナリンのせいなのかもしれない。しかし、たとえアドレナリンのせいだからといって、ある行動をとるからにはそれなりの理由が必要なのであって、反原発反韓もそうなった理由が存在するはずなのである。人間の行動の根拠をアドレナリンに求めるのは、全てを説明できているようでいて実は何も説明できていないのだ。また、唐沢氏は何故か若者に限定して話を進めているが、個人的な印象としては、デモの参加者はむしろ高齢者が多いように感じている(SEALDsが注目されたのも結局デモに参加する若者が少ないからではないか)。それもアドレナリンのせい?

 P.225より。

 思えば、現代日本でこの“人は理屈では動かない。アドレナリンで動く”という原則を真っ先に看破し実践したのはあの小泉純一郎であろう。そして、イケイケでアドレナリンが出せない場合は、危機感でアドレナリンを出させればいい、というのも(おそらくヒトラーあたりから学んだ)彼の慧眼であった。「痛みをともなう構造改革」とは、まさにリストカッターたちに相通じる快感原則ではないか。
 これを引き継ぎ、出藍の誉れで彼を凌駕しているのが小泉の政治的弟子である安倍晋三である。彼の政治の特徴は「国民にいい目ばかり見させない」ということである。アベノミクスで景気を回復させる一方で、増税という痛みを味わわせる。靖国参拝はまさに国民に“他国からの反発を受ける痛み”と、“自国のプライドを守り抜く達成感”の両方を同時に感じられる最高のアドレナリン分泌装置だ。

 唐沢氏は「保守」を自称しているが、全然そうではないというのが上に引いた文章でよくわかる。ブログ主は唐沢氏は「保守」ではなく「反動」だと考えているが、それすらも怪しくなって「ただの無定見なんじゃないの?」と言いたくなってしまう。だって、唐沢氏の説明(になっているのかどうか)を読んでも「痛み」が政権の支持につながっているとは思えない。「痛みをともなわない改革」ならば「痛みをともなう改革」よりもずっと支持されるだろう、というのが常識的な考えのはずである。「重税サイコー! 重労働サイコー! 国家的危機ウェルカム!」ってそんな人間がどこにいるのか。小泉政権も(第二次)安倍政権もそれぞれ支持されている理由は別にあるだろうに、何故こんな話になるのかわからない。
 心底理解に苦しむのは、唐沢氏が普段Twitterで事件事故をなんでもかんでも安倍政権のせいにする人たちを揶揄しているにもかかわらず、いつも自分が揶揄している人たちと同じ立場になってしまっていることだ。「安倍政権は国民に“痛み”を味わわせて支持率をアップさせるために北朝鮮にミサイルを撃たせている」というトンデモ理論も唐沢氏の考え方だと成り立ってしまうではないか。


 P.226より。

(前略)子供たちが戦争に行くことのない、弱者にも助けの手が行き届く、クリーンな電気エネルギーが自由に使える、国籍や人種で一切差別されない、老後にも不安がない……そんな社会を人々は追い求める。だが、そんな時代が本当に到来したとして、われわれはそこをパラダイスだと思えるだろうか。
 人はパンだけに生きるものではない。脳内に分泌されるアドレナリンで生きる(元ネタの「神の言葉によって生きる」もまた、アドレナリンの過剰放出による幻想であろうと思われる)のである。DV被害者の女性が、周囲からいくら別れろと言われても暴力夫と手が切れない状況は、旧約聖書中のヨブが、神からどんな苦難を与えられても信仰を捨てられないのと似ている(敬虔な信仰者とDV被害女性を一緒にするな、と怒られそうだが、思考と行動のパターンを見ればそれがほぼ相似形であることがわかると思う)。

 いや、それはパラダイスだよ! と断言しておいた方がいいのだろうか。『探偵! ナイトスクープ的でない真の意味でのパラダイスだと。豊かで安心できる生活よりもアドレナリンがドバドバ出た方がいいなんてのは、実際に安穏に暮らしている人間の思い上がりとしか言えない。まあ、唐沢氏に限らず、「貧しくても子供たちの瞳は輝いている」という風に語る人はよくいるが、それらの物言いに対しては「常に瞳を輝かせるくらい必死にならないと生きていけない状況なのだろうに」と自分などは冷淡な感想しか持ち得ない。豊かさより貧しさを持ち上げる言葉にはある種の傲慢の香りが漂っている。DVの被害者とヨブを一緒にしているのはさすがに唐沢氏本人もあれこれ言い訳しているが、言い訳するくらいなら最初から一緒にしなければいいのにとしか。
 
 P.277より。

 東日本大震災という悲しむべき悲惨な出来事も、別の意味では日本人全体の神経を励起状態にした出来事だった。この危機的状況の中、国民の多くはアドレナリンの大放出を経験し、それが原発事故のため長期化し、現在、ややジャンキー状態にあり、禁断症状を呈していると言っていい。われわれはアドレナリン・エイジに生きているのだ。

 東日本大震災原発事故も起きなかった方がいいに決まっている、とそんな当たり前のことから言わなければならないだろうか。「禁断症状」ってなんだろう。「もっと災害よ起これ、もっと事故が発生してくれ」ってそんな人間がどこにいるのか。「そんな人間がどこにいるのか」という言い回しを使うのはこの文章の中で2度目だが、結局のところ、唐沢氏の人間理解が奇妙なせいで、不自然きわまりない話が展開されているということなのだろう。


 P.277より。

 ……あの震災以来、日本の若者が右傾化してきたと言われているのは、あさま山荘事件以来牙を抜かれ、危険性・非日常性のなくなってしまった左翼活動に対し若者層が魅力を感じなくなり、多少の危険性と非日常性を併せ持った、魅力的な(リストカット的な魅力であれ)部分が、今の安倍、田母神などという人物に存在するからではないだろうか。
 問題は、突き立てるそのメスの“手がすべる”危険性なきとしない、というところなのであるが……。

 これで終わり。「日本の若者が右傾化」云々もSEALDsの出現によって否定された格好。そもそも震災以前から右寄りの若者って結構いたし。安倍総理ヤバい方のタモさんを一緒にしていいものなのか。


 発売されてすぐに読んだ時に「なんじゃこりゃ」と思ったものだが、3年以上経って読むと「なんじゃこりゃこりゃ」くらいになっていた。困ったものだと思ったが、このツイートを見て以来、唐沢氏には同情の念しか湧かないので、あまり批判したくもない。唐沢氏こそアドレナリンを出してがんばってほしい。


アドレナリン

アドレナリン

アスモデウスはあきらめない 1 (バンブーコミックス)

アスモデウスはあきらめない 1 (バンブーコミックス)

日・韓・中 トンデモ本の世界 (トンデモ本シリーズ)

日・韓・中 トンデモ本の世界 (トンデモ本シリーズ)

皆殺し映画通信

皆殺し映画通信

SEALDs 民主主義ってこれだ!

SEALDs 民主主義ってこれだ!

愛国者

愛国者

ゴールデン・イヤーズ。

唐沢俊一氏が『週刊新潮』の名物コラム「東京情報」の中の人なのではないか? という話は以前何回か取り上げたが(その1その2)、たまたま読んでいた花田紀凱・門田隆将『『週刊文春』と『週刊新潮』―闘うメディアの全内幕―』(PHP新書)で、以前の「東京情報」は「編集部でいろいろな意見を識者から聞いて、それをあるエッセイストが仕上げる形式でした」と、かつて『週刊新潮』の編集部に在籍していた門田氏が証言しているのを見つけた。現在の「東京情報」も同じ形式ならば、唐沢氏もそのような「識者」のひとりにあたるのだろう。唐沢氏のTwitterのプロフィールには「某週刊誌に匿名連載中」とあるが、唐沢氏のツイートを見る限りでは担当編集者に電話で話をしているだけで、自ら文章を書いているようには見えないので、果たしてそれを「連載」と呼べるか疑問がないわけではない。ブログ主は更新をサボっている間も「東京情報」のチェックは毎週欠かしていなかったが(というかこれに限らず唐沢氏のウォッチは継続していた)、毎回毎回ほとんど面白味のない内容なので当ブログで取り上げる意味はないと考えている。以前はもうちょっとツッコミ甲斐があったんだけど(その1その2)、今は本当に無味乾燥。ただ、「どう考えてもこれを書いているのは日本人だろ」と確信はしている。せめてもう少し外国人らしく見せる努力はしてほしい。
 ちなみに、現在発売中の『週刊新潮』で唐沢氏は例の『笑ってはいけない』の黒塗りの一件にコメントしているのだが、その記事で呉智英氏もコメントしていたので、「どっちか一人いればいいんじゃないの?」と思った。どっちを残すべきかは自分の口からはとても言えないが。なお、ブログ休止中にも唐沢氏は『週刊新潮』に何度となくコメントしているので、それらはまたの機会に紹介したい。正確に言えば最近『週刊新潮』以外でコメントしているのを見かけないんですけどね…(どこかで唐沢氏のコメントを見つけた場合には当ブログまでお知らせください)。


・本題。昨年10月に『と学会25thイヤーズ!』東京キララ社から発売された。と学会の単行本を出した出版社はこれで実に12社*1になる。後藤修もビックリな渡り鳥っぷりである。あるいは小沢鋭仁。前著『日韓中トンデモ本の世界』(サイゾー)から3年ぶりの新刊になるが、Youtubeで配信された発売記念トークイベントで唐沢俊一氏が「そんなに面白いトンデモ本が出なくなった」と語っていたのが、新刊がなかなか出なかった理由になるのだろうか。もちろん、それは建前に過ぎず、これまでトンデモ本を一人で選定していた山本弘氏の脱退が一番大きな理由であることはなんとなく察しが付く。とはいえ、山本氏の後を継いだ人たちは新たなトンデモを探す努力と気力が足りないんじゃないの? とは思う。UFOとかユダヤ陰謀論にこだわる必要は無いし、『発情期ブルマ検査』をトンデモ本大賞に選んでいる時点でもう既になんでもありになっている。世の中にはいくらでも面白そうなネタはありそうなものなのだけど。たとえば唐沢俊一検証とか。でもこれも旬を過ぎた感はある。
 唐沢氏は『と学会25thイヤーズ!』で巻頭の言葉と「空飛ぶ女性器」というコラム、それから皆神龍太郎氏と渡辺圭NHKプロデューサーの対談の聞き手をそれぞれ担当している。巻頭の言葉を担当するあたり、やはり現在のと学会のトップは唐沢氏であるように思える。あるいは皆神氏とのツートップか。
 さて、唐沢氏のコラム「空飛ぶ女性器」だが、実はこのコラム、2015年12月発行の『と学会誌36』からの転載である。若干修正されているものの特に内容に変わりはない。『と学会誌』に載った唐沢氏のコラムがと学会の商業本にそのまま転載されたケースは過去にもあるのだが、「唐沢さんには長い文章を書く体力と気力が残っていないのではないか」というブログ主の危惧がいよいよ高まってしまったのは否定できない。チェックが追い付かないくらい文章を発表してほしいものだけど(できれば商業誌で)。
 で、「空飛ぶ女性器」の内容というのは、「UFOは女性の象徴である」という仮説からアダムスキー型UFOのデザインがセクシーであると主張している。『と学会25thイヤーズ!』P.174より。

 横から見た時の頭頂部分が女性の乳房の形状をそっくり模している(乳頭まで備えている)ことばかりでなく、いわゆるメカメカしさを排して柔らかい曲線がソフトなイメージを醸し出している、下部の着陸ギアと呼ばれる3個の半球はどうだ。最初にアダムスキーが撮影した(と、されている)写真においては、3個の半球は、そのそれぞれを頂点とした逆三角形を描くようになっている。そして、シンボル学においては、逆三角形が女性器を表す象徴であることは自明とされるのである。

 頭頂部分については一応わかるが、着陸ギアについてはどうだろう。英語版ウィキペディアにある画像を見てもここから女性器を連想するのは難しい気がする。これで女性器を連想していたら、重なり合った3つの円(freepik)を見たら鼻血を噴き出してしまうのではないか。こんな調子で複数の円を見るたびに女性器を連想していたら算数の図形問題や数学の集合問題なんかとても解けないと思う。俊一少年の学業成績を心配しつつ続きを見てみる。同書P.174より。

 それにしても、UFOが女性器の象徴とすると、これはえらいことになる。我々が生きたUFOエイジというのは、全世界の空をオ×ンコがキンキン飛び回っていた時代だった、ということになるのだ。フライング・ソーサーはフライング・プッシー、UFOというのはアンアイデンティファイド・フライング・オ×ンコの略だったわけである。

 伏字は原文通り。…このくだりを読んでいる時の俺はいまだかつてない真顔になってたんじゃないかなあ。「一体何を言ってるのこの人」という思いが頭の中を占めすぎて三浦隆司がミゲル・ローマンから最初にダウンを奪ったようなボディブローを撃てる気がしてくる(もちろん唐沢氏に撃つわけではない)。飲み屋で酔っぱらいながら聞かされてもつらいレベルの話を活字にするのはマジでやめてほしいです。

0:45から。あまりの凄さに生中継を見ていて叫んでしまった。


 そして、何故女性器が空を飛んでいたのかというと、核爆発によって生じるキノコ雲は男性の象徴であり、それを鎮めるために女性器を空に浮かせる必要があったのだ、として文章は締め括られる。…もう何がなんだか。UFOの分析というより猥談を読まされた気分になってしまったけど、と学会員のみなさんがこの唐沢氏の文章を読んでどう感じたかは気にならなくもない。まあ、唐沢さんは以前からエロスへの想像力が豊かすぎる人だったりする。「宇宙戦艦ヤマトは女性的」とか「スペシウム光線はスペルマから来ている」とか。しかも、おじさんの考えたエロというよりは男子中学生の考えたエロという感じ。うーん、お若い。

 『と学会25thイヤーズ!』に収録されたものでは、他に皆神龍太郎氏のコラム「と学会もお肌の曲り角」も気になった。と学会25年の歴史を振り返る内容なのだが、山本弘氏の脱退に触れつつも脱退の理由をスルーしているあたりに「大人だなあ」と感心させられた。そういえばAmazonの本書のレビュー「やはり山本さんが亡くなってから会が纏まりを欠いてしまってる感じがする。」とあったので仰天してしまった。死んでません! 死んでませんから! 異世界シャワー問題に熱心に取り組むくらいお元気ですから!(詳しくは前回の記事を参照されたい)
 さて、皆神氏のコラムは以下のように締め括られている。同書P.18より。

 結成当時は、みんな30代半ばで大変に生きが良かった。そんなと学会中枢のメンバーたちも、25年が経った今、還暦の声を聞くおじいさんとなった。そんなお肌が2回も曲ってしまったジイサンたちが、未だにと学会をやっているのである。そろそろ引退してもいんじゃねぇの(原文ママ)、とも正直、思う。
 と学会の将来を任せられるような、と学会の未来を背負って立つ若者よ、ぜひ来たれと呼びかけたい。
 一緒に「と」の道を、再び爆走しようではないか(どうせ大した未来はないとは思うけど、とりあえず面白ければいいんだよ)。

 こんなやけっぱちな呼びかけに応える人がいるのかどうか。せめてうわべだけでも楽しそうにしてくれないと。「すっごーい!」「たーのしー!」という風に(ブログを休んだおかげで流行りに完全に乗り遅れる)。こんなブログでも俺は楽しいからやっているわけだけど、書いている人が楽しくないと読む人も楽しくないんじゃないかなあ、とよくある理屈が思い浮かぶ。と学会は歴史的使命を既に終えているんじゃないか、と正直思うけど、他人がどう思おうが続けたければ続ければいいに決まっている。でも、どうせやるなら楽しくやったほうがいいので、唐沢氏もと学会も元気を出してがんばってほしい。


「ゴールデン・イヤーズ」で思い出すのはやっぱりこの映画のこのシーン。

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と学会25thイヤーズ!

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と学会誌36

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*1:洋泉社、イーハトーヴ出版、光文社、メディアワークス太田出版、扶桑社、楽工社、小学館アスペクト文芸社サイゾー東京キララ社

異世界はシャワーとともに。

※今回はいつもと一人称を変えているが単に気分の問題なのであまり気にしなくてもいい。


 昨年12月に唐沢俊一氏のこのツイートが注目された。

ゆうべ発作的にマンションの窓から飛び降りようとしたくらいの急性鬱に襲われ、これはいかんと買い置きの霜降り肉(たって1000円くらいのものだが)を焼いて梅ニンニク醤油で食ってしばらくしたら回復。肉の精神安定作用(アナンダマイド由来)は凄いな。鬱には肉。特に脂身の多い牛肉。覚えておこう。

 肉を食べて鬱が収まるのなら結構なことだし、自殺の名所にはステーキ屋を開くといいかもしれない。ちなみに「本当の鬱なら料理もできない」と指摘されたらしく、唐沢氏は気圧の変化による急性の鬱であったと釈明している(Twitter)。まあ、「鬱って楽なんですよね」と過去に発言してるしなあ、この人(過去記事)。


 しかし、昨年末にそれ以上に注目を集めたのが山本弘氏である。氏は平鳥コウ『JKハルは異世界で娼婦になった』早川書房)について「わざわざ異世界にする必要がない」と批判しているのだが(詳しくはTogetterを参照)、中でも論議の的になったのがこのツイートである。

コトが終わった後、「シャワーを浴びて」という文章に、思わず突っ伏して笑った。あるのかよ、異世界にシャワーが!?

 つまり、シャワーというのは実は高度なテクノロジーがなければ成り立たないものなので安易に出したのが許せないということらしいのだが、これをきっかけにファンタジーにおける異世界の設定はどうあるべきか、といった議論にまで膨らんでいったようである。
 さて、ぼくもせっかくなので『JKハル』を読んでみたのだが、正直に言わせてもらえば山本氏が何故シャワーをそこまで気にするのかよくわからなかった。そもそも『JKハル』がきっちり設定を練り上げたような小説でないことは、ハル自身が転生した先の異世界「オタクくさいソシャゲみたいな世界」とかなりいい加減に説明していることでもわかるし、読者も「オタクくさいソシャゲみたいな世界」の物語として読めばいいだけの話である。そういうお話は山本氏の好みではないのだろうが、だからといってそのようなお話が存在してはいけないわけではないのは言うまでもないことだ。それに『JKハル』で初めてシャワーが登場するシーン(P.38)の直前にハルは自分を買った男に実にひどい仕打ちを受けていて、「あれの後でシャワーを気にする?」と唖然としてしまった。目の付け所がシャープすぎてついていけない。
 ぼく個人としては、『JKハル』は今流行りの異世界転生ものの背後に隠された薄暗い欲望を衝いたお話として大変興味深く読ませてもらった。少なくともシャワーとか缶蹴りとかで切り捨ててしまうのはもったいない話であるのは間違いないとだけ言っておこう。


 ところで、何故ぼくがこの件に興味を持ったのかと言えば、山本氏のシャワーへのツッコミを見て「酸欠くん」を思い出したからである。「酸欠くん」というのは唐沢なをき『まんが極道』エンターブレイン)第4巻に収録されたエピソードで、この際あらためてその内容について説明する必要もあると思ったのだが、実はある小説の中で「酸欠くん」が詳しく取り上げられているので、説明に代えて少し長くなるが引用してみる。

「(前略)僕が一番好きなんはやっぱりこの四巻に入ってる「酸欠くん」っていう話なんです。“酸欠になる”っていうのが口癖の奴。こいつマンガ家志望なんですけど、プロの下で十年もアシスタントやってるのにプロになれへんのです。何でかというと、変にリアリティにこだわりよるんですよ。マンガはリアルやないとあかんと信じ切ってる。たとえば火事のシーンで、主人公にヒロインを助けるために飛び込ませようとはしない。火事の現場では酸欠になる! 飛び込んだら死んでしまう! リアルじゃない! って主張するんです。
 こいつ、ファンタジーもののマンガを描いてる先生の下でアシスタントやってるんですけど、そのマンガの中に、ドラゴンが洞窟で火を吐くシーンがあるんですよね。それを見て怒るんです。酸欠になるだろう酸欠に! って。いや、ドラゴンがいることはどうでもええんか!」
 ああ、分かります! そういう人よくいますよ。マンガだけじゃなく、アニメでも映画でも、少しでも科学的に間違ったところがあったら嘲笑したり、作品を全否定しちゃう人。
 でもねえ、“科学的に間違ってる”なんてことを言い出したら、SFは全滅ですよ。タイムスリップも超光速宇宙船も反重力も超能力も巨大ロボットも日本沈没も、科学的にはありえないんですから。ありえないと理解したうえで楽しまないと。
 あっ、もしかしたら、武人くんみたいなノンフィクション至上主義者に最も必要なのはそれかも。ありえないことをありえないと知ったうえで受け入れる姿勢。確かに事実にこだわることは大切でしょう。でも、荒唐無稽な物語でも、現実にありえなくても、人を感動させたり、生きる力を与えてくれることがあるんですよ。
 私はそれを知っています。

 上の文章は、山本弘『君の知らない方程式』東京創元社)P.94〜95から引いたものである。これと山本氏の『JKハル』への批判を比べてみると、小説とTwitterの違いがあるとはいえ、すごく複雑な気分になる。いったい誰が「酸欠くん」なのか。


 ここで「酸欠くん」に話を戻す。「酸欠くん」の内容は山本氏の小説にある通りだが、「酸欠くん」で一番大事なのは「ドラゴンが火を吐くと酸欠になる!」と騒ぎ立てる滑稽さではなくて、そこまで酸欠にこだわっているにもかかわらず、酸欠以外の事柄ではリアリティのかけらもまるでない幻想を疑うことなく受け入れてしまう都合のよさ、ある点にはすごく厳しいのに別のある点にはすごく甘い、そんなダブルスタンダードを茶化しているところにあると思う。かつて山本氏も参加していた「オタク座談会」で岡田斗司夫氏が「お前、〇〇は許せないのにどうして××は許せるの?」と語っていたのと同じ話である。「酸欠くん」には実在のモデルがいるらしいが(過去記事)、単なる奇人変人の紹介にとどまっていないのは、さすが唐沢なをきと言うべきであろう。…ああ、またギミノリに会いたいような、会いたくないような。


 上で引用した『君の知らない方程式』は「BISビブリオバトル部シリーズ」の第4作である。ぼくは前もって『君の知らない方程式』を読んでいたわけではなくて、「山本さんは前に確か「酸欠くん」に言及していたはずだ」とうろおぼえのまま調べていてたまたま行き当たったのにすぎないのだが、いい機会なのでシリーズ全作を読んでみた。『翼を持つ少女』『幽霊なんて怖くない』『世界が終わる前に』『君の知らない方程式』、以上4作品が東京創元社から現在刊行されている(『翼を持つ少女』『幽霊なんて怖くない』は文庫版もあるが、今回はすべて単行本に拠る)。
 最初に断っておくと、ぼくはこのシリーズは正直あまり好みではない。『去年はいい年になるだろう』(PHP文庫)は面白く読んだので(感想)、単にSF要素の有無が影響しているのかもしれないが、読んでいて首を捻る箇所がいくつかあったせいかもしれない。『翼を持つ少女』で差別主義的な他校の生徒をビブリオバトルで論破するくだりなどは「山本さんらしいなあ」と笑ってしまったのだが、『君の知らない方程式』におけるある問題の解決方法には「口にするだけなら簡単だけど実際にやるとしたら大変だぜ?」としかアラフォーのおっさんには思えなかった。伏見つかさ俺の妹がこんなに可愛いわけがない』(電撃文庫)がその問題の解決のヒントになっているのだが、その解釈がぼくとは全然違っていたのもよくなかったのかも。ただ、第5作に続くようだから、そこで納得できるオチがつくのかもしれない。あと、『幽霊なんて怖くない』のあとがきにもひっかかった。P.291より。

 当然、戦争に関するイメージが歪んでいる人もよくいます。太平洋戦争を美化したり、もういっぺん戦争をしたいと思っている人は、若い世代だけじゃなく、僕より上の世代にもいます。

 「もういっぺん戦争をしたい」っていったいどこと戦う気なんだろうか。そもそもそんな人がどこにいるのだろうか。まあ、そういう人が本当にいるとしても、逆に「外国が攻めてきたら降参すればいい」という著名人が何人かいるようだから、それでプラマイゼロになったりしてね。海水に砂糖を足しても真水になりはしないが。

 
 それから、『翼を持つ少女』P.121〜122には個人的にビックリさせられた。

「(前略)あと、そういう同人誌は著作権法には触れないんですか?」
「はい、それも微妙な問題です。特撮ものに限らず、二次創作同人誌というのは、基本的にすべて著作権的にはアウトです。
(中略)
ただ、日本では著作権法親告罪なんで、著作権者が訴えない限り合法なんです。(後略)」

 ということなので、著作権侵害を訴えても利益にならない、同人誌を黙認してくれている著作権者の広い心に感謝しよう、と言っているのだが、これ前に指摘したなあ(過去記事)。 



 これも『翼を持つ少女』から。P.392より。

「あまり薄い連中とつるんでも楽しくないからな。どうせなら濃い話がしたい。そう、たとえば……」先生はちょっと考えてから言った。「小金井」
「はい」
「『仮面ライダー響鬼』は全何話だ?」
ミーナは一瞬、ぐっと詰まったように見えた。だが、自信に満ちた声で力強く答えた。
「全二九話です!」
「いい答えだ」先生はにやりと笑った。(後略)


 これは少し解説が必要かな。仮面ライダー響鬼は第29話でプロデューサーが交替して、以降の話は大幅な路線変更がなされている(いつもの「平成ライダー」に戻っただけとも言える)。それまでの話を支持していたファンが路線変更に反発して、山本氏もそんなファンの一人だったのだ。
 …ただ、これって「薄い」「濃い」という話じゃなくて、ただ単に料簡が狭いだけの話だよなあ。もしも教え子が「斬鬼さんの最期には感動しました!」とか言ってきたら、この先生はどうするんだろ。いずれにせよ教育者の料簡が狭いのは困るが、同僚に異世界のシャワーの原理が分からなくて怒っている先生もいたりして。


 最後に話を山本氏の『JKハル』批判に戻す。氏のシャワーに関するツイートに関してはTogetterでも多くの批判が寄せられているし、異世界の作り込みが甘く粗かったとしてもそれだけで作品自体を否定する理由にはならないことは既に指摘した。山本氏が『JKハル』を批判する嫌う理由は他にあって、シャワーやら設定やらは実は本当の理由ではないのではないか、ぼくにはそう感じられてならない。もしくは、嫌いが先にあって、理由は後付けになっているとか。
 『JKハル』の作風が合わない人は当然いるだろう。陰惨なセックス描写が多く登場し、女をモノとしてしか考えない男も数多く登場する。異世界転生もののファンとしては居心地のいいお話ではない。そして、ヒロインであるハルが合わない人も当然いるだろう。なにしろ転生前は10人以上の男とセックスした経験があって過去には援助交際もしている女の子だ。山本氏の「ビブリオバトル部シリーズ」ならヒロインをいじめる側で出てきそうだ。そして、転生した後も生き抜くために娼婦をしながらも男の馬鹿さ加減を冷静に見定めている。不遇に甘んじたただただかわいそうな犠牲者というわけでもない。ぼくにはそんな彼女がなかなか面白かったのだが、もちろん嫌いだという人もいるだろう。それはしかたのないことだ。山本氏は「『JKハル』がエロだから批判しているわけではない」と何故かキレ気味でツイートしていたが、エロにも合うものとそうでないものがあって、『JKハル』のあけすけなエロ描写は山本氏には合わなかったのではないか。「こんな女の子は嫌いだ」「こんな暗い話は嫌いだ」と素直に言っちゃえばいいと思うが、もちろんこれはぼくの邪推でしかないし、外れていたら謝るしかない。もしかしたら山本氏らしい高邁な理想と熱い正義感に基づく批判である可能性もあるし、きっとそうなのだろう。うん。
 ともあれ、山本氏にはこれからも時々キレてほしいものである。「この人、どうしてそんなことでキレてるの?」とキョトンとさせられるの、結構好きなので。

※ おばちゃんさんのご指摘に基づき記事を訂正しました。

異世界はスマートフォンとともに。 (HJ NOVELS)

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JKハルは異世界で娼婦になった (早川書房)

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幽霊なんて怖くない BISビブリオバトル部

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まんが極道 4 (BEAM COMIX)

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封印―史上最強のオタク座談会

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S.H.フィギュアーツ 仮面ライダー響鬼

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みんなのソフトシリーズ ひょっこりひょうたん島 ドン・ガバチョ大活躍の巻

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君の瞳に鬱離婚だ。

・10月27日のエントリーで名無しさんからご指摘を受けたが、唐沢俊一氏は2016年9月に上演した舞台『お父さんは生きている』の映画を製作する資金300万円を募ったものの68500円が集まったところで終了している(Makuake)。その後、映画が作られる様子はなく、出資した人にも報告はないようだ(Makuake)。それを踏まえると、30万円を集めた眠田直氏の『燃え萌えナチス少女ゲッペルスちゃん』は凄いのかもしれない(FUNDIY)。


・本題。ブログを更新しなかった間にチェックしていたネタを取り上げる。日刊ゲンダイ』2016年10月11日発売分のシリーズ記事「私が書いた離婚届」唐沢俊一氏が登場して夫人との離婚のいきさつを語っている(日刊ゲンダイ電子版)。離婚を公言したのは吉田豪サブカル・スーパースター鬱伝』文庫版の加筆部分に続き2回目で(2014年11月8日の記事)、ここではだいぶ詳細に語っているが、吉田氏によるインタビュー(初出は『クイック・ジャパン』VOL.94)と比較すると齟齬をきたす箇所もあるので、今回はそれぞれ比較しながら読んでいくことにする。『クイック・ジャパン』でのインタビューについては既に取り上げたが(2011年2月10日の記事)、それを補完する意味合いもある。

 まず、唐沢氏夫妻と唐沢氏の母上との同居(厳密に言えばマンションで隣合わせで暮らしていた)が離婚のきっかけになった、というのは双方のインタビューで共通している。要は奥さんとお母さんの生活リズムが合わなかったのが別居の理由だというのだが、『クイック・ジャパン』(以下『QJ』)のインタビューを読み返すと唐沢氏が妙なことを言っているのが気になったので、以前にもツッコミを入れたがあらためて指摘しておく。『QJ』P.126〜127より。

サブカルチャー畑の人ってのは、完全に一般社会とは常識を異にした異端の世界の淵に自分を追い込んで、それを商品にして食ってくものなんですよ。それが、母親と向き合うときには親戚のガキが進学したとか病気になったとかいう話に合わせなければいけない。ウチの弟なんかはギャグの矛先を鈍らせないために、親戚付き合いとかは一切断っているぐらいなのに(笑)

 唐沢なをき氏には2012年にお子さんが生まれているが、それで「ギャグの矛先」が鈍ったかと言えば全くそんなことはなく、子供をネタにしてますます快調にギャグを生み出している。そもそもサブカルチャー畑の人」も社会とそれなりに折り合いをつけなければ仕事していけないはずなので、「異端の世界」なるものは唐沢氏の思い込みに過ぎないのではないか。むしろ常識が必要とされる業種なのではないか。唐沢氏はオタクが反社会的な存在だと思い込んでいることがしばしばあったが、これも似たような幻想だろう。


 さて、この後の話は双方のインタビューで違ってくる。まずは『日刊ゲンダイ』(以下『ゲンダイ』)のインタビューより。

 母は小商いの妻で典型的なルーティン生活。食事の時間も入浴の時間もきちんと決めないと承知できないタイプです。一方、僕たちはフリー稼業で、締め切りを死守する分、それ以外の時間は縛られたくないタイプ。 彼女にとって、母の干渉は束縛される感覚でしかなかった。お互い生活のパターンが徹底して合わなかったんです。 
 当時は芝居に力を入れ始めたところで、出費が増えること、妻よりも長時間一緒にいる女性スタッフがいることも、彼女は快く思っていなかった。母から逃げるように、代々木に仕事場のマンションを買い、母は母で嫌われたことを嘆き、 三者バラバラの生活……。

 
 次に『QJ』P.127より。

 まず、母との同居を奥さんが拒否して。じゃあ離婚か、というと、それはしないのね(笑)。掃除洗濯にはきちんと帰ってくるし、仕事とかもしてるし。でも、日常は共にしない、母がいるうちは一緒に住まない、と。簿記の勉強をいきなり始めて、あっという間に二級までとって、一級目指して五年目標でがんばるから生活は別々、と。君のような生活の不規則な人間とは一緒に住んでらんない、と。簿記別居(笑)。

(前略)こらいかん、と思って逆に演劇活動にハマりこんでみたりして。

 「あれ?」と思ったのは『QJ』の「君のような生活の不規則な人間とは一緒に住んでらんない」という奥さんの発言で、つまり奥さんは簿記の勉強のために「典型的なルーティン生活」をしようとしていたわけで、それだとお母さんと別居する必要はないんじゃないのかな? 唐沢さんと別居する理由にはなるけど。あと、演劇にハマったのが『ゲンダイ』では夫婦仲が悪化する前で『QJ』では悪化した後だと読める。「妻よりも長時間一緒にいる女性スタッフ」というのも何者なんだろうなあ。「大恋愛事件」(正確には「大片思い事件」と呼ぶべき)のお相手は女優さんだから違うよなあ。



 『ゲンダイ』のインタビューより。

そんな時、僕がたまたま舞台の打ち上げで“ニンニクのホイル焼き”をたくさん食べて。みんなに 「そんなに食べたら奥さんに出て行かれる」なんてちゃかされて家に帰ると、本当に「臭い! 仕事場で寝る!」 と怒って出て行き、それきり帰ってこなかった。後で聞いたら、ノイローゼ気味になっていて、僕に会うと殴られるんじゃないか、という妄想にかられて逃げていたようです。

 「ニンニクのホイル焼き」の件は「裏モノ日記」2006年9月13日にある。

ニンニクのホイル焼きをばくばく食べながら
「ニンニクの匂いをぷんぷんさせて帰ったらK子先生文句言いませんか」
「怒って“私、仕事場で寝る!”とか言って出ていってしまうかもな」
とか会話。12時半に店を出てタクシーで帰宅。K子とたまたま帰りが一緒になる。先にベッドに入っていたら、寝室に入ってくるなりK子、
「何、このニンニクの臭い!」
と叫び、
「私、仕事場で寝る!」
と言って、出ていってしまった。

 ああ、本当にあったことなんだ、と思いながら翌14日の日記を見てみると、

朝9時起床。朝食は9時半。それまでに入浴。雨、かなり強く降る。
K子は10時ころ帰ってきた。

 すぐに帰ってきてるじゃん! 『なぜか笑介』ばりにずっこけてしまった。まあ、こんなウソをついてもしょうがないから、記憶違いなのかなあ。この後奥さんが猫をトイレごと持ち去ってしまうというなかなか凄いイベントも起こっているんだけど(「裏モノ日記」2006年12月20日)。

 『ゲンダイ』のインタビューのラスト。

 母との別居から2年後、「1人になっていいですか?」とメールが来て、結婚は20年目で 離婚を叩きつけられた形で終わりました。無理して買った2世帯マンションも売りました。「トリビアの泉」のヒットがなければ母を東京に呼び寄せることもなく、離婚もなかったと思います。もちろん恩恵もたくさんありますが、複雑ですね。
 あの時、もっと強く止めるべきでした。今から1年前、母は亡くなる時も、「元妻には申し訳なかった」と言い残した。後味の悪い別れになってしまいました。今お付き合いしている女性はいますが、時々元妻のことを思い出し、切ない気持ちになります。下北沢でやる芝居は家族がテーマなんですが、男はどうも過去に執着してダメですね。

 「今お付き合いしている女性はいます」。さすがドンファンあと、マンションを「無理して買った」と書いているが、唐沢氏の母上はご自分で部屋を購入されている。「裏モノ日記」2004年1月16日より。

要するに、母の買う部屋の隣が空いており、この二軒は、マンションの二部屋とはいっても、他の部屋群とはちょっと離れた、入り口前をほとんど他の住人が通らない作りの、ほとんど別の一画という感じで独立している。この隣をわれわれの住居用に買ってしまわないか、ということである。扉と扉は向かい合っており、向かい合わせで鍵をあければお尻がぶつかるほど。親と住まうにはまず、理想の環境と言えるであろう。もちろん、母の方は即金だったが、われわれはローンである。

 そうか、中野のマンション、売っちゃったのかあ。
 「「トリビアの泉」のヒットがなければ」というのは自分もよく思うところで、あの番組のスーパーバイザーとして名前が知られていなければ検証されることもなかったかもしれない。ついでに書いておくと、上で出てくる「芝居」というのはクラウドファンディングで映画版の製作費を集めようとしていた『お父さんは生きている』である。
 
 それから、『QJ』のインタビューで唐沢氏はこんなことを言っている。P.127より。

 だから、これじゃ落ち着かないから離婚するか、逆に僕のほうが母と別れようか、と言ったら、それはかえって不経済だ、と。トラブル起こさずに長男が母の面倒見るにはこの形がちょうどいい、と。どうせ二人してやっていたサブカル系のコミックなんかは今、大きな仕事来ないから、と(笑)。 

 一度断った夫からの離婚の申し出を自分からしてきた、ということは奥さんのほうの事情あるいは心境に何らかの変化があったということなのだろうか。なお、唐沢夫妻が共作したのは2009年の『昭和ニッポン怪人伝』(大和書房)が現時点では最後となっていて、別居以降も一定の間は仕事は継続していたことがうかがえる。


 奥さんとの別居以降の唐沢氏の仕事のクオリティが低下したのは紛れもない事実であって、『新・UFO入門』での盗用も別居の翌年である(ただしコピペ自体は別居以前から見られる)。こうしてみると、奥さんは唐沢氏の仕事をよくコントロールしていたのだと思わざるを得ない。離婚に至った事情はどうであれ名コンビであったことは確かなのだろう。

鱗(うろこ)

鱗(うろこ)

Sensor in Twin Pillars.

2つの柱の間を通り抜けようとすると反応してピーピー鳴るやつだと思う。


【悲報】『中国嫁日記』の作者、開店祝いの色紙で字を間違えるとらのあな湘南藤沢店公式Twitter

 今風にまとめブログっぽい見出しをつけてみたが、そもそも「今風」という言葉が今風ではなかった。さらに言えばこのブログは悲報のかたまりみたいなものだし。ともあれ最近一番笑ったネタを紹介しておいた次第。そんなことってある? という間違い。誤字脱字は当ブログも気をつけねば。


唐沢俊一氏は来月また芝居をやるそうで、私は行かないが頑張って欲しいものだが、ブログで書いている稽古の日誌を読んで驚いてしまった。

作ってきた作品が6年で11作(今回含む)。まあ、演劇ユニットとしては平均のペースだと思うが、なんとか安定しはじめたのは3年前くらいからで、それまでは1作ごとに、荒波に翻弄される小舟のような有様だった。主演俳優とのトラブルで、演出権を奪われたこともあったし、女優の舞台上での骨折という大アクシデントに見舞われたこともあった。よく、演劇なんかやめちまおうと思わなかったものである。

 これも、そんなことってある? という話だ。「演出権を奪われ」るって演劇ではよくあることなのだろうか。一体何があったらそんなことになるんだ…。それから、「女優の舞台上での骨折」というのは2013年4月に行われた舞台で女優さんがアドリブでドロップキックをして着地に失敗して腕を骨折してしまったそうなのだが(2013年4月13日の記事を参照)、実はその後去年3月にも上演中にドロップキックをした役者さんがケガをしている(唐沢氏のTwitterおよび中澤隆範氏のブログ)。一度事故があったのなら、舞台上でドロップキックなんてさせるはずがないから、またアドリブなのだろうか。ペナルティだってもうドロップキックしてないのに(ヒデさんがどこか痛めたのかも)。身体能力のある人がドロップキックをすれば打点が高くて見映えもするけど、そうじゃないと微妙な感じになっちゃうから、危険なわりにそれほどウケないパフォーマンスのような気がする。いずれにせよ、役者さんがケガをしたら観客もドン引きするしかないので、安全には気をつけて欲しい。そういえば、又吉直樹『劇場』(新潮社)の主人公は公演のたびにネットで酷評されるダメな劇作家という設定なのだが、読みながら「本当にダメな劇作家は酷評すらされないんじゃないか?」となんとなく思った。もちろん特定の誰かを思い浮かべたわけではない。


・本題。新潮45』11月号唐沢俊一氏による『ネットに跋扈する「繊細チンピラ」』という文章が掲載されている。…えーと、唐沢氏の名前が入った文章を商業誌で読むのはいつ以来になるのか。当ブログで確認できる限りでは、『週刊新潮』2013年10月24日号以来になるのかな(2013年10月13日の記事を参照)。そうなると約4年ぶりだ。ウォッチ対象がそれでは当ブログも休眠状態になるのも当然か。なお、この文章の一部は「デイリー新潮」で確認できるので興味のある人は一読してほしい。
 実に久々の文章ではあったが、一言でいえば「唐沢節」という感じであった。オスカー・ワイルドの言葉を引いたり、最近の若者は「世界に一つだけの花」として育てられた、というのも前によく聞いた話だ。悪く言えば新鮮味も意外性もないが、よく言えばいつもと同じことが書かれてあって読まなくても中身がわかるので安心できる、ということになる。
 そもそも取り上げられている「繊細チンピラ」というワード自体新鮮味に乏しいのだ。少し前にテレビ番組でも取り上げられたというし、「流行り物がおじさん向けの雑誌で取り上げられるとその流行は終わる」というよくあるジョークをまさしく体現している。また、この「繊細チンピラ」という言葉の生みの親とされる小野ほりでい氏は自身のTwitterで「繊細チンピラ」を安易に用いる危険性を訴えていたのだが、唐沢氏の文章はまさに小野氏が危惧していたことをそのままやってしまっている。あちゃー。
 ひとつだけ文章を引用しておこう。『新潮45』11月号P.129より。

 自分が“世界でたったひとつの花”であると教えられた人間たちは、自分以外の人間が美しい花としてちやほやされることに耐えられない。自分が上に行けないのなら、せめて上にいるものを引きずり降ろしたいという欲望にかられてやまない。自己の欲求を満たすことこそ幸福、という教育によって、ネット世代、ツイッター世代は底なしの承認地獄、他者の自己承認を否定し続けなくてはいられないチンピラの陥る地獄の炎の中でもだえているのである。

 このコラムの締めくくりの部分を読んで思わず笑ってしまったのは、この「唐沢俊一検証blog」がある意味において「承認地獄」、あるいは承認欲求の墓場のようなものだからである。唐沢氏に限らず岡田斗司夫氏も承認欲求の強い人だった(何故か過去形)。なら俺は「オタク第一世代の墓掘り人」なのか?(トリュフォーかアンダーテイカーか)とも思ったが、ただでさえ悪いイメージがもっと悪くなりそうなのでやめておこう。それはともあれ、一番わかりやすいのは『ぴあ』におけるいわゆる「ガンダム論争」だ(2008年11月18日から全7回の記事にまとめてある)。あれこそまさに投稿欄が「承認地獄」と化した記録である。それを踏まえて『新潮45』の唐沢氏のプロフィール欄を見ると、「大学在学中よりアニメ評論を手がけ」とあるのでもう一度笑ってしまう。他ならぬ唐沢氏自身が「わたしを認めよ!」と若き日に言い募った記録がバッチリ残ってしまっているのに、「ネット世代」「ツイッター世代」を低く見るのは理解に苦しむ。承認欲求の強さは世代で決まるものではなく、各個人によって決まるものだ、と当たり前の話を一応書いておく。唐沢氏が世代論をするたびにこの手の注意をしているような気もするが…。
 もうひとつ思ったのは、文中で「繊細チンピラ」について、

自分と関係ない他者の痛みまでをも忖度して我がことのように傷ついたと称し、激昂する

とあるのは、盗用を指摘された時の唐沢氏にそっくりだということ。『社会派くんがゆく! 復活編』(アスペクト)より。

これを認めると、今後、単純な引用ミスをおかしただけの同業者が、これを前例として相手に過大な謝罪を要求されるという事態を招きかねない。 私自身の反省や意識だけでどうこうという問題をすでに超えてしまったのである。

 うん、チンピラ感あるな。ただ、自分がコミケで献本を断られた時に「周囲の人が病んだ」のを理由にしていたのを考えると、唐沢氏の場合は「他者の痛み」を理由にして自らの痛みを消そうとしているような気がするので、「繊細チンピラ」とはまた少し違う気がする。「効いてない」アピールがすごいというか。唐沢氏は『モンティ・パイソン』のファンだそうだから「黒騎士」と呼んであげようか。

アーサー王が馬に乗っているフリをしていて従者が「パカラッパカラッ」と音を出している



 さて、このコラムには実は前段があって、週刊新潮』9月21日号に掲載された『「インスタ映えの名勝」に死す 「自撮り命」のメッカで落命した「プロポーズ青年」』という記事に唐沢氏がコメントしていて、それが評価されて長い文章を書く話になったものと思われる。なおこの記事は現在「デイリー新潮」で読むことができる
前編後編)。以下少し長いが引用する。

同じく評論家の唐沢俊一も、次のように指摘する。
「私たちは『世間には100%の賛同を得られる事象などない』『誰もが異なる意見や嗜好を持ち、互いに認め合って生きている』と常識で理解していますが、インスタグラムにハマる人はそうではありません。自分と異なる意見と悪口との区別がつかず、みなヘイトと捉えてしまうのです」
 平易な例として、
「私がSNSで『リンゴよりみかんが好き』と書いたとする。すると『あなたは今リンゴを侮辱した。謝れ!』と言ってくる人がいるのです。最近はこれらの手合いを“繊細チンピラ”と称していますが、インスタグラムにのめり込む若者にはこうした自覚が乏しく、ブログやツイッターなど文章がメインのSNSを『ヘイトが多くて息苦しい』と感じる人もいる。その点、写真は感覚だけを発信するので批判されにくい。他人に与える情報量を減らせば周囲を傷つけることもなく、炎上騒ぎにも巻き込まれないで済むというわけです」
 反対意見には耳を塞ぎ、良いと思い込んだものを発信し、他人に共有して貰う。そんな快感が手離せないのだといい、
「文章で説明して分かって貰うSNSでは『いいね!』を量産できませんが、写真なら一目見た印象が全て。ですが、そのために出かけて写真を撮るなんて浅はかだし、『いいね!』としか言われなければ人はどんどんバカになる。実際に今、小学生でもインスタグラムを使いこなしているくらいです」
 つまりは、それほど単純なツールというわけで、
インスタ映えするとされている食べ物やスポットの多くは、鮮やかな原色がメインであることが多い。ビジュアル的にも目立つので見る人の注意を引きつけるわけですが、目立つものを好むとは、原始人の感覚と一緒です。大体『いいね!』も、若い子たちの『かわいいー』『ヤバーい』にしても、語彙がないからバリエーションもない。そんな承認を得るために手間暇をかけるなんて、愚の骨頂です」

 「繊細チンピラ」もここで出ている。しかし、文章ではなくコメントのせいなのか、だいぶ飛ばしてるなあ。インスタをやっている人を完全にバカ扱いしている。「原始人の感覚と一緒」って…。
 しかし、Snaplaceを見てみても、「インスタ映え」するスポットを探すのはそんなに単純な話でもなさそうだ。そして、自分はインスタをやっていないが、やってみたら楽しいかもな、と思う。逆に言えば、もっと若い頃にSNSが発達していたら、いわゆる「バカッター」みたいな真似をやっちゃっていたかも、とも思って怖くなる。たまたまそういう環境になかっただけの話なのであって、そういうのにハマる人をバカにする気持ちなどまるで起こらない。自分と違って唐沢氏は何かにハマったりしない自信があるのだろう。あるいは自己を客観視する能力に欠けているのか。というか、唐沢氏だってTwitterに食事の写真をよく載せているから、原始人の一歩手前まで来ているのではないか。若い人をあまりバカにしない方がいいと思うよ。


 新潮社が唐沢氏を重用するのは謎だが、「近頃の若い者は」系の論者としてなら需要があるかもしれないので、今後も頑張って欲しいものである。唐沢俊一検証blog」はこれからも変わらずに唐沢氏の商業誌での執筆活動を見守っていく所存です。

 

新潮45 2017年 11 月号 [雑誌]

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